お雛様と五人囃子と能楽部と…の話 | 「育児書にない!」~ASD母子の育児&お勉強&歴史の授業~

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ASD(自閉症スペクトラム)当事者で、娘もASDである、元社会科塾講師のセザール=れくす、が描く、「ASDのお子さん向けの受験勉強についてのブログです。
育児についての話や不登校の娘への対応の話、自分自身の生き方についても語ります。

みなさま、昨日もありがとうございました。

昨日はお雛様を飾りました!





イラストは2018年に描いたイラスト。
雛人形を飾っているシーン♪
段があれ?と思うのは、飾るときに
キャラたちが間違えたのかな?というもの。

お雛様を飾る前は暗い気持ちになりますが
飾られたお雛様を見ると
やはりお雛様は華やかで良いです。
好きなんですよね、平安時代や宮廷の装束。
あと、私は牛車が大好きなので、
娘のお雛様を買うとき、
牛車のミニチュアがついているものを
買いたい!と決めていて買ったぐらいです。


娘のものは小さいお雛様なので、
お内裏さま、お雛様、三人官女のみ
なのですが、
昔は、8段飾りや10段飾りのお宅も
多くて、そうなると、
五人囃子をどう配置するか?
どの人形に何の楽器(囃子)を
持たせていいか、悩むことも。

私もよくわからなくて、
とくに、大鼓、小鼓の見分けがつかず
苦労しました。


それが大学で能楽部に入って
実際のリアルお囃子を知ることで
お雛様の五人囃子を飾るとき、
苦労しなくなりました。

大学時代は新入生勧誘の際には
「能楽部に入るとお雛様を飾るのを
楽になるよー」
というお誘い言葉もよくしていました。

しかし、今は、三段が主流、
一段のみ、というものも多いです。

なので、
五人囃子って何?

みたいになるみたいです。


娘もそうみたいで、
お雛様について説明しました。

お絵かきの関連で
娘は十二単は知ってので
「私、気がついたんだけど、
お雛様が着ているのって
十二単だよね!」
と言ってくれたとは
うれしかったです。
 


そして、このコロナ禍で
能楽部は
数年後には廃部の危機だったり
廃部に追い込まれたところもある、
と噂で聞きました。


私は今まで、
あまり能楽部について語ることは
ありませんでした。
語るとしても、良い部分や
宣伝めいたことのみ。

でも、なんか、もうそろそろ
すごく正直な気持ちを話しても
いいかな?と感じてきたのです。


私、実は能楽が大嫌いでした。

でも、それは大学四年生の夏までの話。

よくそれで能楽部をやめなかったな!
と思われると思いますが

実は何度もやめようと試みたんです。
でもそのたびに、タイミングが悪くて
のびのび…。

一応、大学3年のとき部の責任者に
うっかり就任してしまったため
辞められず、
ズルズルと4年生まで過ごしました。

しかし、夏休みに、自分があることを
したことをきっかけに、
能楽が「大嫌いから好き!」にかわりました。

それで卒業後にもちょくちょく
部活に顔出すことをするようになり、
そのことがきっかけで
今の夫に出会います。

実家の猫のみーたんも。
私が能楽部に入ってなければ
出会えなかった方が
保護されたみーたんが
私を通じて実家に来たのです。

今でも続いている親友も、能楽部で
仲良くなった親友です。


私が社会の塾講師で
史学部出身でもないのに、
一定層の生徒さんには
歴史についてわかりやすく教えられる、
というのは、
能楽を体験した経験があるからです。


そして、
小学校のいじめの冤罪盗作事件をきっかけに
絵を描けなくなった私が
絵を描けるようになったのは、
そして、
漫画を描くようになったのは
能楽部のメンバーにすすめられたからです。

その結果、卒業後に
北陸や関東、関西の大学の
能楽部さんに、
私の能楽部のイラストをHPや冊子に
使って頂けたこともありました。

冊子まるごと私のイラストを使って
能楽解説をつくってくれた
大学の能楽部さんもいらっしゃって、
とてもうれしかったです。

あのときはありがとうございました。




元社会科塾講師の
発達障害の娘のママの
同人作家
という私を作り出したのは
能楽部によるものです。

もし私が能楽部に入ってなくても、

みーたんは他の方にひきとられ
幸せに暮らしてただろうし、
夫も元気に生きてただろうし、
私も別のきっかけで
漫画は描くようになっていたかも
しれません。

しかし、これだけは違います。
少なくとも私が
能楽部に入ってなければ
娘はこの世に誕生はしてません。

夫と出会えていませんから!


明日から
もう少し詳しく能楽部についての
思い出を詳しく語っていきたいと
思います。

ただ、こちらは、
育児(小学生)というカテゴリーでは
あるので、あまりに育児から
逸脱している記事を連続投稿するのは
いけないと思うので、
一週間に一回程度で、思い出を語っていけたら
いいなぁ、と。


おそらく、
「能楽大嫌いだったのに、
能楽部に居続けた上に
途中で好きになった、という
好きな感情も嫌いな感情も
どちらも知っている貴重な存在。
他の能楽部のメンバーだけでなく
能楽関係の色んな人間関係を築いた話」
もあるので、見ていて
ほえーっな内容を書けるかなぁ?と。


あ、ただ、個人が特定できるような
内容にはしないです。