みなさま、本日もありがとうございます。
昨日はシリーズ更新が
できなくてすみませんでした。
1 私立中受験は視野に入れなかった理由

2 自宅学習で使っていた教材


3 不登校から学校登校再開へ

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みなさま、本日もありがとうございます。
昨日はシリーズ更新が
できなくてすみませんでした。
みなさま、本日もありがとうございます。
みなさま、本日もありがとうございます。
本日から5回に分けて
不登校の娘が小学生のときに
自宅学習の授業についての備忘録について
アップしていきます。
今回は、まず、
自宅学習するときの
基本姿勢についてです。
一時期、半年間だけ、学校登校をした時期は
ありますが、娘は小学生高学年のときから
ずっと不登校生活です。
しかし、不登校になってからの方が
勉強もするようになったし、学力も
ついています。
人間関係も、
子供らしい人間関係ではないので
世間的には「駄目」と言われるかも
しれませんが、
学校に行っていなかったときより
うまく築けています。
どのように不登校生活をしながら
生きているのか?
未来を生き延びようとしているのか?を
今回書いていきたいと思います。
娘が小学生のときに、
コロナ禍の学校一斉休校が
おきました。
幼稚園児のころは、
こだわりが強く、
ちょっとしたことで癇癪をおこしていた娘。
幼稚園児のころは、まだ
ASDであること、言語性IQ数値が120を
超えている、ということも
判明しておらず、
幼稚園や世間が求めるような
「みんなで仲良くすることが幸せな子」に
しなければいけないと思っている反面、
心の底では、「この子の幸せは別のところに
あるのではないかな?」という気持ちが
私の中にあり、
娘が常に家にいるのは、不安感で苦しく
親である私が耐えられない状態でした。
しかし、
小学校入学後に
ASDとIQ数値がわかり、
心療内科の先生にも
「他の子と同じような子にしようという育児は
しなくても良い」と言われてからは、
「学校に行くこと」に対して
あまりこだわらなくなりました。
「みんなと仲良くすることが
本人の幸せとは限らない」と
確信ももてました。
でも、当時は
学校に行かないで、家にこもって
勉強は親の私が教える、というのを
実行するつもりはなかったのです。
なぜなら、
娘も私も
「学校に行かないことで
おきること」の
具体的想像が
できなかった怖さが
あったから
です。
しかし、その高くて厚い壁が
コロナ禍により
その壁が簡単に飛び越えられる壁に
変容したのです。
コロナ禍の一斉休校前に、
自ら「学校に行かない」
という選択をすることは
頭にはありませんでした。
しかし、コロナ禍の数ヶ月の一斉休校で
ずっと家にこもり、
娘と教科書や市販の問題集を使いながら
私主導で自宅学習をしていくうちに
二人とも
「こっちの方が
ストレス少ないし
明らかに学力が上がるわ」
と気がついてしまったんです。
「自分たちが、
体調不良(下痢や微熱、身体のダルさ)や
癇癪をおこしやすいものが
ほとんど学校生活に起因するものだ。
学校生活に主軸をおかなければ、
学力も上がるし、
自分が信頼できる相手に対して、
自分が信頼されるように生きることができる。」
と。
それまでは、信頼できる相手に対して、
無意識に
相手の愛を試すような反抗(怒りが爆発して
癇癪おこしてしまう。)をしていたけれど
学校に行かないと、目の前の信頼できる相手の
愛を信じることができるから、
自分自身もその相手を尊重して動ける。
私や娘は
癇癪というのは
「不安感」「罪悪感」
それに伴う「パニック」の
限界でおきます。
「劣等感」ではありません。
「不安感」と「罪悪感」です。
他の子のように出来ない「劣等感」から
癇癪がおきるわけではないので
「できたことを褒めてもらう」ことを
してもらったり、
「あなたはあなたのままで良いよ」
と言われても、根本的な解決にもなりません。
その人の前で愛想笑いするようになるだけで
ストレスは溜まり続け、
結局、家で癇癪爆発がおきる頻度が多くなるだけ。
他の子のようにできないことから
「集団に迷惑がかかっている」と
感じる罪悪感、
「自分はどうして、みんなと同じことが
できないのだろう?」と解決法が見つからない
不安感、
これが癇癪につながります。
「罪悪感持つな!完璧主義だからいけない!」と
諭されても、感情っていうのは、
持とうと思って持つわけではないから、
どうしようもありません。
娘の場合は
「周りの子に合わせられないと、
先生に何か言われる」
「何か言われないように、周りに合わせ続ける
しかない。」と言う学校生活という存在が
癇癪の元でした。
毎日、毎日が、
癇癪で何時間も時間がつぶれるか、
癇癪おこさないように常に周りに言われないよう
過剰適応おこして家に帰るとダウンして
何時間もトイレにこもる、
という、時間になるのが、
一斉休校前は「それが私達の日常」で、
服薬の方法以外で
まさか、そんな日常が存在しない方法が
あるとは、思いもしなかったのです。
私自身が高校生、大学生のときまでは
「学歴」がすべてだと思っていましたが
いざ、仕事を始めると
「学力」のほうがないと信頼されない、
と思いました。
「学歴をもっているのは、
それ相応の学力がある証拠」と
思っていましたが、
実際には、
「学歴だけの人」もいれば
「学歴はないけれど、
学力はとんでもなく高い人」もいる、
「学力と知力は、必ずしも比例しない。」
「学力というのは、積み重ね。」
ということを知りました。
大学までは、自分はなんて狭い世界に
いたのだろう、と。
「学歴」は仕事を始めるため、
入り込むための鍵で、
その鍵で入ったあとの部屋は
「学力」が生き残るために必要だ、と。
もちろん、入り込む鍵(学歴)がないと
自分が就きたい仕事につけないかもしれないので
学歴は大切です。
でも、その学歴って、最終学歴が
一番関係してくるんですよね。
そのため
「小学校や中学校に行くことは大切だけれど、
もし行けなくなったときは、
就職や将来のことを視点に置けば
小&中学校に行くことは
こだわらなくても良いのではないか?」
「目の前の足並み揃えにこだわること(小学校、中学校登校)より最終学歴を手に入れるための努力を最優先しないと、娘の場合は、
最終的に就職ができなくて
経済的に困るのでは?」
というのを、
コロナ禍前にしたPTA活動で感じた絶望と
コロナ禍の一斉休校を体験した
私が出したのは、このような結論でした。
でも、娘はそのとき、
学校に行かない、という考えは
ありませんでした。
私も可能なら学校に行ってもらいたい、
学校に行ってもらえれば仕事を再開できる、と。
しかし、そのあと、一斉休校が終わり
学校が再開したとき、
「なぜ、勉強するところは、
学校でなければ
いけないのだろう?」
という疑問が娘に出てきました。
そして、その後、娘の場合は、
「学校に行くと学力がさがる。
(勉強できない。)」と娘が
気がつきました。
学校では「皆で話し合う授業」で
教科書の内容は自分で勉強するしかない形。
これは今の学校の方針で、
塾ありき、の形としてはアリだと思いますので
学校のことを批判する気はありません。
でも、娘の場合、
学校に行くと、帰ってからは
癇癪と下痢などの体調不良で時間が終わり、
ほぼ勉強できない形。
コロナ禍で一斉休校のときに
家で勉強したときに一気に学力があがり、
勉強が楽しくなったので、
「勉強をしない」「学力はつけない」と
いう選択肢がなかった娘。
それで、
「癇癪やトイレに
こもる時間を
なくして、
家で勉強して、
最終学歴を手に入れた方が
就職もできる確率が
高くなるのでは?」
という結論に達したのが
小学校高学年の時でした。
娘にとって、
「同年代の子供たち」の世界にいるには
過剰適応しか方法はありません。
無意識に過剰適応してしまうのだから
どうしようもない。
しかし、世間では
同年代との子供たちと交流することが
「対人スキルを手に入れる」
「他人に感謝する心を育てる」
「自ら考える力を育てる」
「情緒豊かになる」
「健全な心を育てる」ための
唯一の手段のように語られます。
たしかに、それが多くの人にとっては
そうであるかもしれません。
しかし、同年代の子どもたちの集まる場は
娘にとっては、
「怖くて思考が停止する場所」
になってしまいます。
ある本で
「社会性」とは
「集団にいれば、どこでも身につくものではなく
本人が安全な場と認識しないかぎり、
大人が求めるような社会性は身につかない」
と書いてあるのを見て、
「学校が危険な場所と感じているかぎり、
娘がそこで社会性を身につけるのは無理。」
と思いました。
大学だと、「自分で安全だと思うところに
飛び込む勇気」「自分で安全な場所をつくる」
ということも可能なので、
今は、認識力と構成力を身に着けていこうと
思いました。
このようなことから、
私は
「不登校で自宅学習して
先生たちが言うボンヤリした
将来に従うのでなく
自分の将来は自分で切り開くための
力を身に着けさせてみせる!」と
決心しました。
世間が私をどれだけ悪人、愚者と
言おうが、もう私は前しか見たくない!と。
そして、何年も不登校で自宅学習を
していくうちに、娘も
精神的に安定し、学力もつき、
あらゆる思考もできるようになったのです。
みなさま、本日もありがとうございます。
本日も育児マンガです。
育児というより、ファミリーマンガですね。
ゲーム大好き夫その3です。
このゲーム好きシリーズは今回でおしまいです。
みなさま、本日もありがとうございます。
本日も育児四コママンガです。
前回の続き?でゲーム好きな夫の話です。
脳内シュミレーションって
楽しいというか、心が落ち着くんですよね。
この四コママンガを書いたときは
私はゲームの攻略シュミレーションは
していなかったのですが、
ゲーム攻略シュミレーションをしていると
強迫性障害の症状がひどくならない、
ということがわかったので、
最近はゲーム攻略脳内シュミレーションを
しています。
あとは、ゲームをしながら、
マンガの物語をネームを
考えたりもしてます。
他にも、新しく勉強した内容や
不登校の娘への授業カリキュラムや
授業展開をどうしようか?を
考えるときに、
ゲームをしながら考え、
マンガ原稿や授業用プリントを書きながら
ゲーム攻略を脳内シュミレーションしたり。
常に頭を動かしてないと
強迫性障害が出てしまうので
脳内シュミレーションは助かってます。
家族全員が脳内シュミレーションするのが
好きなので、お互いに相手を否定しないため
助かってます♪
みなさま、本日もありがとうございます。
本日も育児四コママンガです。
今回は、3回続いて、ゲーム好きな夫の話です。
この事件から、
夫の「ん〜。」という返事は
何も聞いていないと思うことにしました。
そして、過集中すると
食事や睡眠がおろかになる夫。
ASDの私も娘も過集中すると
食事や睡眠が疎かになるので
それがテスト勉強や受験勉強では
良い結果のほうになるけど
普段の生活だと、過集中って危険なんですよね。
でも、過集中しないとストレス溜まるので
過集中とはうまく付き合えるような生活を
家族でお互いに協力していきたいですね。
受験勉強は過集中する自分には
「楽しい」と思えるので
やはり勉強から離れられない。
みなさま、本日もありがとうございます。
なので、ASD家族の私達にとっては
こういう関係でお互いに幸せなのかな?
とは思います。(笑)
たぶん、娘は
ただ事実として「寒い」と言ってただけで
「寒いから、親にどうにかして欲しい」と
いう含みで言っているわけではないので。
みなさま、本日もありがとうございます。
本日も育児四コママンガです。
私は、今までに3回、強迫性障害に
陥っています。
(1回目と2回目は、今から思えば強迫性障害だったんだな、というものなので、未診断です。)
3回目に強迫性障害になってから
もう10年ほど経ちます。
昔ほどひどい症状は出てませんが
今でも、ヒョコッと強迫観念が出て
生きるのが苦しくなることがあります。
受験勉強や受験勉強指導をしているときだけは
強迫観念が出ていなかった、出ていないため、
常に勉強の世界から離れないようにしています。
勉強してないときも
常に頭の中を、何か考えている状態に
しておかないと強迫観念が出やすいので
UFO襲来などのあり得ない未来への
心配で頭をいっぱいにしています。