幸せの黄色いバケツ | Centotrenta 代表 加藤いさおのBLOG                        

突然ですが

皆様は「黄色いバケツ」をご存知ですか?

私と同じ歳くらいの世代の方は

「あ〜〜〜あれね!!」

と懐かしさに目を細めて

手を叩くと思います

 

短編小説 「黄色いバケツの物語」

私が小学生の頃なので

昭和 56年から平成元年にかけての出来事である。

 

 

「なあ、こんなんできるか?」

昼休みが終わろうとしていた

図工の授業が始まる前に

隆之が僕に話しかけてくる

水道水を黄色いバケツに入れて

無我夢中にグルリと手をまわす

「凄いやんか!」

 

「そうやろ、何故か

水がこぼれへんねん」

 

洗いきれていない

パレットから漂う

独特の湿気た

絵の具の匂いが

教室には充満していた

 

今日の図工の事業は絵画で

優等生達は 着席し

次の授業の準備をし始める

 

「みんな、見てみ

隆之のバケツから水がこぼれへんから」

 

「わあ、ほんまや

俺もやってみたい」

 

皆それぞれ

真似して 黄色いバケツに

水道水を入れて振り回した

 

失敗して「バシャン」と水をかぶる者が入れば

成功して

ぐるぐると腕を回して

得意げになる奴

 

普段は 絵の具の付いた

「筆を洗う」バケツも

このクラスでは

「いかに水をこぼさずにまわす」かの

道具になっていた。

 

当たり前のような「黄色」

学校から支給されたのか

近くの文具屋

「博文堂」で買ったのかは

遠い記憶すぎて思い出せないが

あのバケツをグルグルとまわした

記憶は鮮明に残っている

 

そして

あのバケツを

まわしていた時代

そう、昭和という時代

 

ファミリーコンピューターが

発売される少し前のお話し

 

子供達は

外で遊ぶのが当たり前だった時代

 

創意工夫して

「あるもので楽しんだ時代」

 

少しの変化が大きな感動を生んだ時代

 

些細な事で

子供達は歓喜した

 

現在に時が戻る

 

半年前の出来事

 

20年お世話になっている顧客さん

「大森様」

ふらりと店にやってきて

 

「加藤君、うちの会社

廃業する事にしたわ」とおっしゃる

 

「え?なんでですか?

大森さんのお仕事をお伺いして事なかったのですが

どのようなお仕事なのですか?」

 

「あんたらが知っている

モノを作っててん」

 

「と言いますと_」

 

「黄色いバケツ使った事あるやろ?

学校の授業で」

 

「黄色いバケツですか?

あ〜〜〜〜っ!!よく

振り回してたやつですかね?」

 

「そうそう、それや」

 

「大森さんは

あのバケツを作っていたのですか?」

 

「そうや、ビックリしたやろ?」

 

「はい・・・」

 

「なんかな、コロナもあって

物も安くなってな

とどめに少子化やろ?

注文が入れへんようになってしもてな

清算することに決めてんけどな

Twitterで今までありがとうございましたって

投稿したら、今の加藤君みたいな

反応がたくさん返ってきてな

びっくりしてるねん

うちのバケツがこんなにも

沢山の人に愛されててんな」と気付けて

良かったよ、まあ僕も歳やし

残りの人生少し好きなことして

生きていく事にしたわ」

 

「大森さん

めちゃくちゃ残念です

黄色いバケツ・・・

なんで、もっと早く言ってくれなかったんですか?

僕如きですが、何か協力できる事も

あったかもしれません」

 

「そうやなあ

タイミングやなあ

安井には言った事あるねんで」

 

「ほんまですか・・・・・」

 

「明後日工場も完全に撤退するねんけど

見にくる?あんたも

もしかしたら見て何か感じてくれることも

あるかもしれへんし」

 

「行っていいのですか?」

 

「いいよ

車でおいでや

渡せるものもあるかもしれんし」

 

そして2日後

坪川と一緒に閉鎖前の

工場にお邪魔した。

 様々な歴史を感じながら


工場をゆっくりと歩かせてもらった




坪米製作所 代表 大森氏

※掲載許可を頂いております。


機械の止まった工場は

どこか寂しげで

「まだ、やれる」と

伝わってきている気がした

 

「えっとな、このスケッチブックと

鉛筆、あんたにあげるわ

売るなりあげるなり好きにして」

 




 

大量に用意されている

スケッチブックと鉛筆を見て

 

「これは、今の子供に伝えるべきじゃないのか?」

と心で呟いた

 

「大森さん」

 

「はい」

 

「商標登録はどうするのですか?」

 

「あと数年はうちで持ってるけどな」

 

「僕は服屋です

大森さんのバケツ、忘れていた

大切なナニカを思い出させてくれると

思っています

その商標権を僕に使わせてもらえませんか?

必ずこの大切な事を

服を通じて

皆さんに伝えたいと思います」

 

「加藤君がそんなん言ってくれたら

嬉しいけど

無理しなや、別に好きに使ってくれて

かめへんけど」

 

 

スケッチブックと鉛筆 カッターナイフを

頂き

帰りの車で

「大森さんにこのタイミングで

仕事を教えてもらったのは

何かの縁やと思う

仲間達を巻き込んで

まず、子供達、そしてその親御さん達に

黄色いバケツを思い出させてもらおう

そして子供達に

アナログを知ってもらおう」

 

「それ良いですね」

 

「じゃあ、俺は六景に早速デザイン起こしてもらう」

 

弊社のロゴを作ってくれた

上村氏に

この想いを伝えた

「いさおさんが言うなら

全面的に協力しますよ」

 

「昭和の子供がバケツ振り回してる

イラスト頼んだ」

 

「え?それだけですか?」

 

「おう、君ならやれる」

 

「わかりました・・・」

 

そして

OEMをやっている友人に電話をした

 

「剛、お前

黄色のバケツ知ってるやろ?」

 

「黄色いバケツ?なにそれ?」

 

「俺らがガキの頃振り回してた

バケツや」

 

「あ〜〜〜〜〜っ!!

知ってるよ、それがどうしたん?」

 

「ちょっと話あるねん」

 

あれから3ヶ月が経った

 黄色いバケツは

Tシャツとして復活した



大人用 フリーサイズ

バケツの刺繍



ツボヨネさんのロゴ


そして

イメージキャラクター


 ¥3.900-(税別)


子供用

サイズ130



子供用は

 スケッチブックと鉛筆付

¥3.900-(税別)

「そのTシャツなに?」

「これわなあ、

黄色いバケツって知ってるか?」









そんな会話から始まる

黄色いバケツの物語を

後世まで語り継いで欲しい。







服屋で良かった

そして大森さんと

出会えて良かった。

縁とはこういう事である。