心が折れそうになる | Centotrenta 代表 加藤いさおのBLOG                        

ハインリッヒディンケラッカー大阪店が

オープンした直後

衝撃的なニュースが

飛び込んできた

 


ハンガリープタペストの工場を閉鎖して

工場をスペインに移すと・・・

ここまでは、よくある話

ハインリッヒ

総代理店のアイダスさんから

「スペイン製のサンプルが届いた」と

連絡が入り

石橋が見に行った

 

帰ってきた石橋の顔を見ると

何と無く、現状が把握できた

 

「ダメです、ハインリッヒじゃない

アイダスの社長さんもかなり

ガッカリされていました」

 

アイダスの社長さんとは

実は私の父である

 

僕が若い頃から

事あるごとにぶつかっていた

親子ではなく

相撲部屋の親方と弟子みたいな

関係で

まあ、とにかく昔気質の頑固な人で

ハインリッヒのよふに

無骨で繊細な人だ

私は10代の頃から父と離れて

暮らしていたので

共に暮らした年月よりも

同じアパレル業界で生きた年数の方が長い

ずっと長い間親父と呼ぶ事はなく

社長と呼んでいた

僕がまだアイダスにお世話になっていた当時は

とにかくぶつかるぶつかる

私も

若さゆえの無知さだったのか

大人特有の理不尽さにうんざりした時期もあった

だけどあれは

理不尽ではなく

教えてもらっていたんだなと今は思う

特に我が息子が同じ会社で働いていると

他の社員に対しての示しもつかないので

余計に厳しくなさっていたんだろうな

 

今、考えると独立を許してもらったのも

あれは、相当な) (親ならでは)の

愛情だったのだなと

現在、憶にふけながら

この文を書いている

 

独立してから

私と父との距離はより遠くなっていった・・・・・

 

たまに話すと怒鳴り合いの喧嘩にもなり

 

「なんでやねん・・・・

親なら、普通そんな事言えるんか・・・」と

思ったりもした。

 

歩み寄ったりもした

「ハインリッヒの

オンリーショップ出したら

共存できて互いに良き関係に

なるのではなかろうか?」と思い

父に話した

 

父も70を過ぎ昔より相当丸くなっていた

いや、息子としての立場から見ると

(かなりしんどそうに見えた)

 

そして

これからまた一回揉めたが笑

ハインリッヒがオープンする

 

「素晴らしい店やないか!」

父に褒められた経験が無い私は

少し嬉しくなった

 

昔からの父をよく知る

得意先さんは

よく

「あいつは頑張っているのか?」

「もう、俺など抜かされている」

と私の居ないところで

少し、嬉しそうに私の話をしていたらしい

 

「そんなわけないでしょ」と

得意先の社長に言うが

「いやいや、君の話ばかりやで」と言う

 

少し関係が良好になってきたのか

今まで敬語で喋っていたが

タメ口で喋ってみた

「社長」から「親父」と

呼び替えても

父は平然と答える

 

「嗚呼、親子に戻ったんやな」と

少し思った

 

互いに

少しづつ 少しづつ

距離を縮めていた矢先の

 

このハインリッヒの衝撃的なニュース

 

ハインリッヒの魅力は

伝統を重んじて

クラフトマンシップをスローガンに

手先は器用だが

不器用な性格の職人たちが

(手)で縫うから

カスタマーもそれに魅力を感じるのだが

 

スペイン製はマシンメイドだった

 

わかりやすく言うとハインリッヒという名の

OEM(相手先生産)で

もうハインリッヒでは無くなっていた

 

このオープンしたばかりの舗をどうする?

父の会社はどうなる?

様々な壁が一気に襲ってきた

ハンガリー製のハインリッヒの在庫も

うちのSHOPで底をついてきた

ふと記憶を辿り

私のInstagramの昔のメッセージを見た

彼とはドイツベルリンの

ハインリッヒの展示会で

マイスターという職人として来て

デモンストレーションをしていた

そこで

意気投合して

たまに連絡を取っていた仲なのだが

 

ハインリッヒが

ドイツの大手の会社に買われて

一気に体勢が崩れたと聞き

 

「俺も、付いていけなくて辞めたんだ

新しいブランドを立ち上げたから見てよ」と

何度もメッセージを

送って来てくれていた相手だ

 

彼に相談した

「俺は、まだハインリッヒを縫えるぜ」と言う

 

神にもすがる思いで

「頼むからサンプルを上げてくれと言った」

 

「わかった、2ヶ月待ってくれと言う」

 

時間軸が少し変わるが

ブタペストのVASSというシューズがある

ハインリッヒとは少し違うが

その靴もハンドメイドで作っていて

靴好きにはたまらなくレアな靴で

今は日本で取り扱いをしているショップもない

 

そこのマネージャーからInstagramに

メッセージがきた

 

「VASSに興味は無いか?」

 

当時は我々もハインリッヒ一筋だったので

「ハインリッヒで充分で僕は父の会社と組んで

日本でもっともっとハインリッヒの市場を拡大してゆきたいんだ」と

断っていた

本物志向の父がスペイン製のハインリッヒを

やるはずが無い

ハインリッヒと父の会社の契約が切れると

弊社のSHOPは路頭に迷う

何故なら弊社もハインリッヒのスペイン製をやるつもりはゼロだ

最悪閉店も有り得る

どう守る?

無い知恵を絞って

この現実と戦うには

ハインリッヒ以上のインパクトがいると

VASSの彼にメッセージをした

「彼は、ハインリッヒがブタペストの工場を

閉めたのを知っていたので

君のことが心配だった」と返信をくれた

 

石橋に言った

「万一ハインリッヒができなくなったら

VASSという線も考えられるか?」と

「VASSは僕も憧れの靴です

ハインリッヒが取り扱えなくなっても

それは起死回生のチャンスだと思います」と言う

 

「興味がある、サンプルを送ってくれ」と頼んだ

彼は快く

「わかった」と言った

 

あまりにもレスポンスが遅いので

気になって連絡すると

 

「僕はVASSを辞めた、

VASSも職人不足で

自分のショップとWEB販売だけで

他国は勿論 卸を全てやめると決断したらしい

だから僕はもう必要無くなったんだ」と言う

 

また大きな壁が僕の目の前に現れた

頭が真っ白になった

 

「すまないがVASSの偉いさんにメールをしたいのだが

メールアドレスを教えてくれるか?」と頼んだ

 

「教えるけど、彼らは頑固だから

希望はないと思う」と言うが

「とにかく教えてくれと頼んだ」

 

そのメールアドレスを

お世話になっている

商社の友人に頼んだ

「頼むからコンタクトを取ってくれ

このままじゃ、うちは路頭に迷う」

 

「いさおさん、わかりましたやってみます」

 

数日後

彼から連絡があった

「ダメです取引をやるつもりはない

日本人には何度も嫌な思いをさせられたみたいです」

と言う

 

「じゃあ、1月にブタペストに会いに行くと伝えてくれ」と

彼に頼んだ

 

「わかりました」

 

そして返事が来た

「メールの返信もないので電話してみたら

Mr.VASSの娘さんが出て

テンション低く会いに来てもいいが

取引をするつもりはない」と言っていました

 

諦めたら終わり・・・・

 

それは

自分で芽生えた感情だと思っていたが

 

昔、父にも教わった

「俺はな、当時カルティエが日本で無名の時

カルティエのライターが

絶対売れると思い

何度も粘ってパリのカルティエ本社に行った

当時はパリに行く日本人が珍しかった

高度成長時代

「得体の知れないアジア人が何度も来る」と

カルティエでも少し問題になり

最後父は

スーツをビシッと着て

毅然とした態度で

もう一度行ったらしい

カルティエも根負けして

ライターを大量に卸してくれたらしい

そしてスーツを着ている父を見て

昨日までの得体の知れないアジア人から

日本からやってきたビジネスマンに見えたのだろう

「この商売執着が大事や、

売れると思ったらとことんまで諦めたらあかん」

まだ若い頃の僕は

「ふ〜〜ん」と聞き流していたが

今になって、ふと

そんな話を思い出していた

 

何度も何度もアタックした

 

弊社スタッフ全員がVASSはできないと思っていただろう

 

電話が鳴った

「いさおさん、VASSに電話したら

ようやく出てくれて

根負けしていさおさんとビジネスをしようと言って来ました」

 

鳥肌が立った

 

石橋に報告すると

普段、そんなに感情を露わにしない彼さえも

大声で「本当ですか?」と喜んだ

彼は、私も諦めていて

VASSは無いものだと思っていた

 

良いことは続くもんだ

ハインリッヒ独立組のサンプルが届いた

 

手が震えた

「ハインリッヒだ・・・・

間違いなく僕らの知っているハインリッヒだ・・・・」

 

涙が出そうになった

 

弊社スタッフ達も

驚き喜んだ

彼ら独立組と新しいブランドを立ち上げてやる

という気持ちに変わっていたので

 

目の前に光明がさした

 

そしてそのサンプルを持って

報告に行かねばならない相手がいる

 

それは(父)だ

 

電話した

「喜ばせたいことあるから今から行くわ」

 

「お前が俺を?」と笑いながら「じゃあ待っている」と

電話を切った

これまでの経緯を説明して

父にサンプルを見せた

 

「ハインリッヒやな」

 

「これを、アイダスに渡す

うちの店にもアイダスを通して

置くことにするから

初めての親孝行や

これでアイダスも起死回生になるやろ!」と

僕は得意げに父を見た

 

総代理店である父の会社はハインリッヒを失うと

かなりの窮地だ

 

しかし

父の返事は私の予想と反していた

 

「これはな、お前がやるべきや

お前が動いてたんやろ?

気持ちは嬉しいが

きちんと筋を通してきた事の方が

俺は嬉しい

だから俺も筋を通してお前に言う

ブランドを一から育てて頑張れ」

 

とある想いでが

僕の脳裏を過った

 

初めてコマなしの

自転車にチャレンジしようとしていた

幼少期の僕と父が居た

 

「ちゃんと後ろ持っといてや」

 

「大丈夫やちゃんと持ってる」

 

「漕げた、漕げたで」と後ろを振り返ると

父はいつの間にか手を放して

一人で漕いでいる僕を見て

優しい笑顔で

「よくやった」と確実に言った

 

あの感じが蘇った

 

僕は感極まりその場に居づらかったので

「じゃあ、帰るわ」と父の会社を後にした

清々しい気持ちで

会社に着き

社員達に事情を説明すると

 

「やはり、親子ですね」

アイダスの社長格好良すぎます

と皆口々に言う

 そして昨日VASSが届いた


僕らは

このハインリッヒショップを

かつてない

靴のセレクトショップとして再スタートします

 

VASS ハインリッヒ独立組と弊社とのブランド そして

靴の最高峰に位置する

サンクリスピン

 

誰もが

あっと驚く品揃えで

近々、リスタートします

 

諦めず

心が折れそうになっても

折れていない

そしてまた折れそうになっても

諦めない

 

その結果が

現在です。

 

皆様に良き報告ができる日が来て

私も心底嬉しいです。

弊社一丸となって

このプロジェクトを成功させるので

今後とも宜しくお願いいたします。

 

そして最後に 父へ

貴方の血が私に通っている事を

誇りに思います。

ありがとう。