今昔物語 | Centotrenta 代表 加藤いさおのBLOG                        
スーツに興味を持ちだしたとき
近所の書店で売っていた
この本
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当時は
日本語訳のものが売っていて
 
これを読んでいる自分が格好良いと
かたちだけにトラワレテ購入したのだが
 
読んでも「オッサンクサ~~」と読む気が失せて
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廃品回収に出してしまった
大馬鹿野郎だった青年期の私
 
この前 ふと「あ、あの本もう一回読んでみたいな」と急に気になって
 
調べると
 
イギリスの書店に置いているとの事
 
英語版だが
 
どうしても欲しくて
購入した
 
いざ読んでみると
 
「なんて、なんて!ワクワクする本なんだ」と改めて思った
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あの頃の自分と今の自分の
価値観 知識 場数の違いから
 
同じモノでも受け止める印象が変わってくる
 
「愚かだった」と若い時の自分を悔いた
 
カタチだけで 格好良いと表面だけしかみなかった 青年期
 
カタチなど、どうでも良い 中身を今一度見たいと
喰い入るようにこの本を見るチカラが身についた 中年期
 
中年は気付く
成長とは
外見でモノゴトを判断しなくなった時点で
また「知識を得たい」「このヒトの本質を見たい」という
キャパシティというノビシロが増え
「深いナニカ」を読み取れる 観察力 洞察力が養われる
 
それが世に言う「成長」なのだなと
 
この歳になってようやくキチンと気づく
 
わかりやすいのが服で
例えるなら
 
同じ歳の男性が2人いるとする
いくら高級ブランドでかためて装っても
「え?なんか無理してない?全然似合ってないやん」と思われる人
 
「うわあ、さすが格好良いなあ着こなしてらっしゃる」と賞賛を得るヒト
上記は
中身スカスカやん
下記は
中身が伴ってるやん
 
この違いは
表面だけの格好よさにとらわれて「このブランド流行ってるし買おうか」
 
経験というヒキダシが豊富で
理屈ぬきで
「お!格好良いやん買おう」と余裕で思える人
同じモノを着るだけでも真逆の違いが生じるわけですな
それは
のびしろを己でツクッタヒトと
のびしろに気付かずトメタ人との違いだと思うのです
 
私もノビシロを止めてしまっていた1人なので
今一度 己でノビシロを増やす努力をしてみよふと思い・・・・・・・・・・鱒。