お久しぶりです。
約2年も帰って来れませんでした。
言い訳はたくさんあるものの…
とりあえず、この2年間で大学に編入し、卒業。
この大学、実は2回目の卒業です。
以前は、別の科に在籍していましたが今回は日本画。
現役では、京都の某大学のデザイン科で、視覚伝達デザインを学んでいた私。
しかし、私の時代にマニュアルでの制作から、デジタルに変化したデザイン業界。
写真をカッターで切り抜いて合成する、ムラなくガッシュを塗る、などの技術が使えなくなっていました。
学んだことは大いに役立つことは多かったけれど、デジタルを1から学ぼうとは思えない時代でした。
だから、アートは趣味と割り切って、しばらく他の業種でのキャリアを積んでいました。
まあ、このキャリア、今では天職やと思ってますが。
しかし、どうしてもアートの世界に戻りたい気持ちは収まらず。そして編入したのが、京都芸術大学。
海外在住でも日本に住所さえあれば、編入学できました。まずはそこで、現役時代に履修できなかった博物館学芸員課程を履修、卒業。
通信制大学のくせに(笑)なんて、面白い大学なんだと、その大学の「色」に魅了されました。
今度は、長年学びたかった日本画の世界へ飛び込みました。画塾で日本画を学んでいたものの、やはりアカデミックな中で学んだほうがいいと、師事していた先生に言われたのです。
それからは、時差と距離との戦いでしたね。
作品提出や画材の入手、パネルが日本独自のサイズであったことなど、困難を極めました。
授業は通信でも、一回でも落とすと一年やり直しだったため、入学と同時に卒業制作までの計画を練り、履修開始。
授業は金曜日に仕事を終えると、すぐ23時まで仮眠
24時過ぎからの授業に遅れないよう、ひつこいくらいのアラームをセット。翌朝10時くらいまでの授業でした。これが二日間続き、多い時は3週間連続。
課題も多く、2年間の提出物を編入と同時に全て計画、画材は紙一枚に至るまで日本から取り寄せました。
これには、日本でハブになって下さったお友達の存在が不可欠で。彼女は、自宅のポストに私の名前も足してくれて、家族のように助けてくれました。
感謝しても仕切れない。
卒業できたのは、彼女のおかげでもあります。
そして絵の助言、深夜のアラームにも2年間文句もなく、快くサポートしてくれたパトロンでもある夫のおかげでもあります。
卒業間際には、また別の幼馴染が、自身も超多忙にあるにも関わらず、快くサポートをしてくれました。
彼のおかげで、作品の搬入搬出もつつがなく進められました。その幼馴染は、私の作品を初めて正規の値段で購入してくれた人でもあります。
これで、自分のことを「日本画家」と呼ぶことができました。
そんなこんなで、2年間駆け抜けました。
後半は体調も崩し、同じ時間で学べたら
どんなに楽しいだろうとまで思っていましたが。
海外で日本画を学ぶとは、本当に難しいのだなと
実感した時間でした。
ま、これが、2年間ほど(3年近いですね…)ブログを書けなかった言い訳ですな。
日本画は本当に奥が深い。
これからも、少しずつ頑張ろうと思います。
ありがとうございます。



