悲しきかな、行間を読めない人たち

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例え話を多用した
ショウペンハウエルに倣うこととする。
 
電車内で走りまわる子供がいる。
 
しかし、親は何も注意しない。
止めさせようともしない。
 
その親の隣にいた京育ちの上品なご夫人が、
「お宅の子さんは、元気でよろしゅうございますなぁ」
と、ささやいた。
 
余程でない限り、
その言葉を真に受ける者はいなかろう。
 
行間を読めとは、こういうことである。
 
閑話休題。本題に入る。
天皇陛下の生前ご退位に関してだ。
 
悲しきかな、政治家もマスコミも
国民も行間が読めていない。
 
皇室典範を改正し、恒久化すべきなどと
主張する政治家、政党も存在する。
 
悲しい。寂しい。残念だ。
 
行間を読めない人たちが多過ぎる。
 
本来、このことは平場で議論すべきことではなく
日本国民ならすっと察知すべきことである。
 
一代限りの特別法制定しかあり得ない。
 
その理由を聞けば、万人が納得する。
 
しかし、誰も言えない。
 
私の様な者でも、個々には話せても
流石に不特定多数が目にするブログには書けない。
 
是非とも、行間を読んでご理解頂きたい。
 
どうしても、読めなければ
電話なりメールで私まで直接お問い合わせあれ。
 
万人が100%納得出来る
行間の読み方をお伝えしよう。
 
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ラーハ

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縁あって、東海イラン友好協会と言う

組織に入会することになった。

 

それをきっかけに、

イランやイスラム教への興味を持つようになり、

AMAZONのKINDLE FREEで「イラン」と検索し、

『はじめてのイラン紀行・ラーハな時に身をゆだね』と言う

本を読み始めた。

 

このKINDLE FREEと言うのは、月々980円で

12万冊の本が読み放題と言うもの。

 

ただ、あまり大した本はないように思う。

入会する価値があるか否かは、微妙である。

 

さて、閑話休題。

 

その本のタイトルにもあるが、

イスラム圏には「ラーハ」と呼ばれる

時間帯が存在するらしい。

 

彼らは、時間を二項対立ではなく、三項で考える。

 

時間には、オン・オフ、仕事・遊び、公的・私的と言う

分類ではなく、彼らには第三の時間帯あるそうだ。

 

それがラーハだそうだ。


イスラムから日本を見ると

必死に仕事して、必死に遊んで、それ以外の価値観を

持ち合わせていない様に思える、と言う。

 

その概念は、

日本語には直訳出来る語彙がないと記してあった。

 

まだ、ホンの出だしを読んだに過ぎないが、

なかなか面白そうでもある。

 

もし、私にそれが理解出来たら

その時は、ブログに記そう。

 

暫し、お待ちあれ。

 

繰り返すが、もし理解できたら、である。

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ウンチク、クリスマス編

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ウンチクを垂れる。

 

当たり前のことだが、

今日、一日の始まりは午前ゼロ時である。

 

しかし、それがそうなったのは、

時計の存在が一般的になってからのことである。

 

詳細を勉強した訳ではないが、

時計が示す時間で人間が行動する様になったのは、

精々ここ二・三百年前のことではないかと思う。

 

では、それ以前の

一日の始まりと終わりは、何によって区切られていたのか?

 

それは、日の入りと日の出であった。


さて、今朝のこと。

テレビをつけると、「おはようございます。

今日(12月24日)は、クリスマス・イブですね」と

ニュース番組の司会者が挨拶をしていた。

 

ここから垂れる、どうでもいいウンチクは、

その言い方、つまり「今日はクリスマス・イブ」と言う

表現は、厳密には可笑しいよと言うことである。

 

もちろん、言葉は時代によって変化をする。故に、

それが、間違っていると言う自惚れた気持ちは更々ない。

 

揚げ足取りでもなんでもない。

くどいようだが、単なるウンチクである。

 

12月25日をイエスの誕生日としクリスマスが始まったのは、

今から1700年程前、4世紀のこと言われている。

 

多分、冬至を祝う風習が形を変え

たものと、想像されるとのことだ。

 

つまり、クリスマスは

人間が時計によって行動する以前に始まった訳だ。

 

で、戻るが、一日は日没から始まり日没で終わる。

 

時計社会以前の12月25日は、

今とは違い、時計社会で言うところの

24日の日没から始まり25日の日没で終わる。

 

冬至だから日の入りは早い。

 

だからクリスマスのディナーは、

どんなに早く食事を取る家庭でも、

時計社会で言う24日の夜になる。

 

夜は、英語でイブニングと言う。

クリスマス・イブのイブは、

このイブニングのイブのことだそうだ。

 

と言う事で、

前述のアナウンサーが云った、

「今日は、クリスマス・イブです」と言う表現は、

厳密に言うと、可笑しいよ、と言うのがお解り頂けよう。

 

つまり、クリスマス・イブとクリスマスは

同じ24時間の中に存在するのであって、

二日間に分かれ、当日と前日を指すのではない。

 

大晦日と元旦とは訳が違う。

 

では、時計社会で言う

25日の日没後は何と言っていたのか?

 

簡単である。12月26日。

 

その日没によって

クリスマスは終わり普通の日に戻るのである。

 

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イタリア国民投票に思う、その4

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つづき。

 

「院」とは、本来階級制別の

議会であることを記した。

 

故に、イギリスが二院制をとっているのは

階級制を残している以上、普通のことだ。

 

但し、上院には選挙も任期も定数も

所属政党もないことは既に記した。

 

その他の国を見ると

階級制が過去のものとなった国は、

一院制に戻している国々が大半を占める。

 

もちろん、フランスの様な例外も存在する。

 

フランスは革命によって

階級制がなくなったが、二院制を敷いている。

 

上院である元老院は、日本で言う県の様な単位から

選挙人が構成され、彼等による間接選挙が行われている。

 

あと、アメリカは上院SENATORと

下院CONGRESSMANからなり、双方とも

直接選挙で選出される。

 

ただ、この国は連邦制国家である。

州によって、独自の法律をもつ。

 

端的な例を言えば、

ユタ州では、酒もたばこもダメ。

 

今は緩めたようだが、過去にはコーヒー、紅茶も

だめだったと記憶している。

 

実際に私は、州都であるソルトレイクシティーへ

行ったことがある。

 

レストランでビールを頼んだら、

ここは、Dry Stateだと説明されたことがあった。

 

一方、隣のネバダ州へ行けば、

カジノはもちろん、公認売春宿も存在する。

 

この例が示すように、云ってみれば、州が国の様な存在だ。

 

故に、上院は各州から6年任期で裏表2人を選出する。

 

この際、一票の格差などない。

 

3900万の人口を持つ最大のカリフォルニア州も

最少の60万しかいないワイオミングも二人づつだ。

 

まぁ、この様な理由でアメリカは二院制にしている。

我が国のそれとは、大違いである。

 

ざっと、ホント大雑把にではあるが

数カ国の例を上げた。

 

まとめると、階級制度がなくて

連邦制国家でない国々で上下院共に

直接選挙による二院制を敷いている国は、

恐らく、日本とイタリアだけである。

 

その為、この両国は、

他の国々より国会議員選挙が必然的に多くなる。

 

よって、首相を長く続けるためには

それらの選挙で勝ち続け与党で

いつづけなければならない。

 

或いは、与党には留まっても所属政党内の

求心力を保つだけのものが必要と成る。

 

あまりうまく表現できなかったが

この様な土壌が原因となって日本とイタリアでは

首相がコロコロ変わることがお解り頂けると思う。

 

そして、結論。

 

手っ取り早いのは、憲法を改正し42条にある

二院制を規定する文面を一院制に改める。

 

しかし、憲法は金科玉条と思っている人も

少なくない中で、これは、長い時間を要する。

 

ただ、幸い42条には選出方法は記してない。

 

よって、参院の直接選挙をやめ、各都道府県の

知事と市長の中から上院議員を選任し、兼務させる。

 

これをすれば日本の政治は、

一歩も二歩も前進するに違いなかろう。

 

 

イタリア国民投票に思う、その3

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確か、中学の社会の授業で明治期に

我が国はイギリスの政治システムを真似た、と

習った記憶である。

 

共に君主国であり、それは良い選択だったと思う。

 

その当時の我が国には

公爵から男爵までの爵位をもつ貴族が存在した。

 

よって、明治憲法下には、

上院である貴族院と下院の衆議院が存在した。

 

それで、佳かったのである。

 

そもそも「院」とは、階級間抗争が絶えなかった

中世ヨーロッパにおいて、階級別議会が出来たことに始まり、

スェーデンでは四院制の時代すらあった。

 

問題は、我が国の現行憲法が

1947年(昭和22年)5月3日に施行されて以降のことである。

 

先ず、憲法第14条に、

「華族その他の貴族制度は、これを認めない」と、

直訳故か、日本語としては、きれいでない表現である。

 

と言う、ことは、この時点で「貴族院」の存在は否定された。

 

次に、第42条に目をやると

「国会は、衆議院及び参議院の両院でこれを構成する」とある。

 

これが、問題である。

 

何でか不思議に思い調べてみると、

実は、GHQも階級制社会を否定し

連邦制国家でもない日本が二院制であるのは、おかしい。

一院制にすべきであると主張したが、日本側からの

要求でしぶしぶ入れたらしい。

 

その事後策として、貴族院を参議院と名称を変更し、

選出方法も貴族院時代とは、ちがう国民の直接選挙に

してしまった訳だ。

 

その結果、他の西側先進国ではイタリアを除いて類をみない、

政治を収入源とする「政治によって生きる政治家」が

行う院になってしまった。

 

これだと、参院は政党政治の衆院の

カーボンコピーに成らざるを得ない。

 

これは、本来の二院制ではない。

 

 

まだ、まだ

「なぜ、イタリアと日本の二院制が諸悪の根源なのか」を

述べ尽くさないうちに、言うのも時期尚早であるが

この14条と42条の不整合性一点をみても憲法改正は、

焦眉の急である。

 

つづく。

 

イタリア国民投票に思う、その2

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前回、首相がころころと変わる国は、

日本とイタリアであり、そこには、共通した

政治システムの欠陥が存在するとまで記して終わった。

 

日伊の政治システムと

英仏独米加など西側諸国の政治の決定的な違い。

 

それは、ズバリ上院のあり方である。

 

日本とイタリアだけは、

上院と下院の双方が国民からの直接選挙で

選ばれ、同等の力をもってしまっている。

 

そんなことは、ない。

アメリカはどうだと言われそうだが、

その違いの詳細は後で記す。

 

上下院が直接選挙で選ばれ、

同等に力をもってしまっている。

 

ここに日伊の政治における諸悪の根源がある。

 

今回のイタリアにおける改革は、

上院の数を315人から100人に減らし、

上院の直接選挙をやめ、それぞれの地域から

知事なりの有識者を送り出す仕組みである。

 

現在、このシステムを用いているのは、ドイツである。

確かカナダもそうだった様な記憶だ。

 

それでは、なぜ国民の直接選挙で

上院を選んではいけないのか?

 

それは、ドイツの社会学者で知の巨人と称される

マックス・ウェーバーを読めばわかる。

 

と、云っても彼は、悪文家で有名で

難し過ぎて著書を読んでもよく理解出来ない。

 

よって、多分に私の解釈も入るので

マックス・ウェーバーと阿部伸一郎の共作理論を述べる。

 

マックス・ウェーバー曰く、

『政治家には政治を収入源とする

「政治によって生きる政治家」と政治による収入を求めない、

「政治のために生きる政治家」』の二つが存在すると説く。

 

そして、その二つを組み合わせる

事からより良い政治は生れる。

 

もし。上下両院の議員が、

政治による収入を求めない、「政治のために生きる政治家」

であったなら、政治は資産家だけのものとなってしまう。

 

これは、まずい。

 

故に、政治を収入源とする「政治によって生きる政治家」

が、存在することは、当たり前のことである。

 

日本とイタリアの場合は、この

政治を収入源とする「政治によって生きる政治家」のみで

上下院双方が独占されてしまっている。

 

一見良さそうだが、実は、これも、非常にまずい。

 

なぜ、まずいかと言うと、

政治を収入源とする「政治によって生きる政治家」は、

選挙によって選ばれる。

 

すると彼らは、選挙に勝利することを最優先課題とし

国家を蔑ろにし、選挙区でドブ板合戦を繰り広げ

大衆迎合主義に陥り易い。

 

故に、日伊以外の国々は、この盲点を補う手段として、

政治による収入を求めない、「政治のために生きる政治家」が

上院議員として政治に関与する仕組みを構築している。

 

その端的な例は、イギリスである。

 

イギリスの上院である貴族院の議員は、

大半世襲制で定数もなければ任期もない。

 

もちろん、選挙も選挙区もない。

当然の様に所属する政党もない。

 

議決権もない。

 

彼らの役割は大所高所から

国家百年の大計を論ずることである。

 

日本人はみんな勘違いをしている。

 

このイギリスの様に、日伊以外は、

事実上は、一院制なのである。

 

他の国のこと、日本のあるべき姿等々は、

明日以降に、より詳しく記すことにする。

 

イタリア国民投票に思う、その1

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先般、イタリアで憲法改正を問う国民投票が行われた。

 

私が、イタリアの政治に詳しい訳ではないが、

日本のメディアは、何時もながらのことではあるが

肝心なことは書かないので、僭越ながら私が書くことにする。

 

我が国では、戦後70年間に渡って一度も改正が

行われていないので、憲法改正と言うと天と地がひっくり返るように

騒がれるが、その間イタリアでは16回改正が行われている。

 

因みに、イタリアと我が国同様の敗戦国ドイツは、59回。

フランス27回、カナダ19回、アメリカでは6回の憲法改正が行われている。

 

70年も経てば、全てが変わる。

それに合わせてルールを変えるのはごく当たり前のこと。

 

憲法も、我が国以外では、その内の一つと言う証の数字だ。

 

で、今回イタリアでは何を改正しようとしたのか?

 

これは、我が国とっても非常に重要なことなので

しっかりと勉強しなければならない。

 

イタリアの政治と我が国のそれの共通点がある。

 

それは、首相がコロコロ代わることである。

 

1993年の細川総理以降

今の阿部伸一郎、否、安倍晋三総理が就任した

2012年までの20年間に、我が国は14人、イタリアは11人の

首相が誕生した。

 

この間、アメリカとドイツ3人、イギリス4人。

如何に、我が国とイタリアが異常かがお解り頂けよう。

 

それは、日伊両国が

政治システム上同じ欠陥を持つからに他ならない。

 

じつは、今回のイタリアの憲法改正は

その欠陥を改正しようとしていた。

 

残念ながら、御身大切の国会議員に

惑わされてしまったのであろう。

 

否決されてしまった。

 

その欠陥とはなにか?

 

長くなるので、明日以降に記すことにする。

 

ふるさと納税 その2

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先日、ふるさと納税を募ろうと

ニンジンぶら下げ合戦に熱を入れる中津川市のことを書いた。

http://ameblo.jp/central1961/entry-12224702792.html

 

正確に言うと、私は、ふるさと納税のばかばかしい仕組みを

記して、「それに便乗する中津川市の取り組みが新聞にあった」

と言うことを知らせたまでに過ぎない。

 

まぁ、確かに品がないとは書いたが・・。

 

すると、街で会った人やFBなどで複数の反応があった。

 

在ったと言っても言っても、

中津川を擁護する意見は皆無で、

そんな酷いシステムとは知らなかったと言うものだった。

 

それが常識的意見だ。

 

こうなると、我がまち恵那市はどうかと心配になって来た。

 

今日は日曜日なので調べようがない。

きっと市のHPを検索すれば解ると思うがそれもめんどくさい。

 

明日、市の担当部署に聞いてみようと思う。

 

私の意見が通るかは分からないが、

恵那市は、一切のニンジンぶら下がげ合戦に参戦しないで

欲しいと言うつもりだ。

 

制度が存在する以上、拒否する必要はない。

 

が、しかし、お礼の品物は一切送らない。

 

必要なのは、丁寧に感謝の意を記したお礼状のみで良い。

そして、それに市長が実筆で署名すれば、それで十分である。

 

見返りを期待しない純粋に恵那を

愛してくれる方々のみから、ありがたく頂戴する。

 

それが本来の姿である。

 

となりの市がどうかは関係ない。

恵那市には、王道を歩んでもらいたい。

 

カジノ法案に思う

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4年前の2012年。政権与党時代の民主党は、

「カジノを含む統合型リゾート推進法案」を進めていた。

http://naikaku.tamuken.net/home/20120726

 

そして、今も

40名ほどの推進議員連盟が存在する。

http://www.sankei.com/politics/news/161124/plt1611240062-n1.html

 

 

観光立国を目指す、

我が国にそれが必要なことを彼らも知っている。

 

しかし、何でも反対路線に先祖帰りした

蓮舫執行部は、党として反対を決定した。

 

その理由を、最もらしく、ギャンブル依存症の

問題が不備だからと主張している。

 

それなら、パチンコはどうだ。

 

今まで一度たりとも

パチンコ依存症の対策を民沈党が唱えたことはない。

 

むしろ、パチンコを推進した方ではないのか。

 

パチンコには入館規制などないが、

カジノは身分証明が必要になる。

 

つまり、カジノではパチンコではなされていない

ギャンブル依存症者の入館を拒否することが可能になる。

 

誰がどう考えたって、

カジノがダメならパチンコなどは言語道断である。

 

因みに、韓国は、

カジノはあるが2008年にパチンコを禁止した。

https://goo.gl/56H6Yu

 

 

現在、世界の主要国の殆どは

カジノを認めている。その国数は、132か国に上る。

http://www.bar-henry.com/column/kiji015.html

 

 

そして、それらの国々では、

余裕のある外国人に対する高級な娯楽の場、

それが、カジノと言っても過言ではない。

 

インバウンドには必要不可欠なものだ。

 

与党時代は推進し、その必要性も知っている。

 

だけど、反対する。

 

無責任も甚だしい。

 

 

ニンジン、ふるさと納税

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私は、殆ど新聞を読まない。

 

全くではないが、適当に見出しを眺めて、

内容をちょこちょこと観る程度だ。

 

そんな私が、珍しく今日は、そこそこ読んだ。

 

それも朝日新聞と共に

滅多に手にすることのない、中日新聞を。

 

最初に夕刊に目をやると

「ふるさと納税は即刻廃止すべき」と言う

元鳥取県知事で現慶大教授https://goo.gl/T1sZKz

主張を読んだ。

 

氏の見解を要約するとこういうことだ。

 

例えばA市に住む太郎さんが

A市に納めるべき税金の中からB市に

10万円をふるさと納税の名目で納税したとする。

 

すると、A市は、太郎さんに9万8千円の税額を控除

しなければならない仕組みだそうだ。

 

この際、A市は、本来納められるべき税金

9万8千円を確実に損したことになる。

 

そして、太郎さんは「パッと見、2千円の損」となる。

 

一方のB市は、本来A市に入るべき

10万円を横取りしたと同じ事に成る。

 

丸儲けだ。

 

さて、「パッと見、2千円の損」をしたはずの太郎さんだが、

実は、その何倍も得をしている。

 

どういうことかと言うと

ふるさと納税をしてもらった市町村は、

そのお礼と称して何倍ものお返しをしているのが常だ。

 

ここで、同紙の朝刊にあった

お隣中津川市の記事に触れる。

 

中津川市は、現在納められた額の

2割程度の額の飛騨牛や和菓子などを送り届けているそうだ。

 

それを今後は5割にすると言う記事だ。

 

5割返したところで、5万円は得する。

より高価なニンジンをぶら下げて、

税収を上げようと言うのが中津川市である。

 

これを上記のAさんに当てはめると

「パッと見2千円の損」で2万円相当の飛騨牛を送ってもらっていたが

今度は、5万円相当を送ってもらえることになる。

 

こんな美味しい話は、そうそうあるものではない。

 

しかも、ふるさと納税をする市町村は、

ふるさとである必要はないそうだ。

 

全く縁のない行ったこともない

市町村だろうが関係なく、自由に選べる。

 

だから、より大きなニンジンをぶら下げようと言うのだ。

 

ナンセンス至極である。

 

片山教授の言うとおり。

こんな馬鹿げた制度は、即刻廃止しなければならない。

 

バカげた制度がある以上、中津川市の姿勢を

一方的に批判することは出来ない。

 

しかし、・・・

それにしても品がないと思うのは私だけではなかろう。