前回、首相がころころと変わる国は、
日本とイタリアであり、そこには、共通した
政治システムの欠陥が存在するとまで記して終わった。
日伊の政治システムと
英仏独米加など西側諸国の政治の決定的な違い。
それは、ズバリ上院のあり方である。
日本とイタリアだけは、
上院と下院の双方が国民からの直接選挙で
選ばれ、同等の力をもってしまっている。
そんなことは、ない。
アメリカはどうだと言われそうだが、
その違いの詳細は後で記す。
上下院が直接選挙で選ばれ、
同等に力をもってしまっている。
ここに日伊の政治における諸悪の根源がある。
今回のイタリアにおける改革は、
上院の数を315人から100人に減らし、
上院の直接選挙をやめ、それぞれの地域から
知事なりの有識者を送り出す仕組みである。
現在、このシステムを用いているのは、ドイツである。
確かカナダもそうだった様な記憶だ。
それでは、なぜ国民の直接選挙で
上院を選んではいけないのか?
それは、ドイツの社会学者で知の巨人と称される
マックス・ウェーバーを読めばわかる。
と、云っても彼は、悪文家で有名で
難し過ぎて著書を読んでもよく理解出来ない。
よって、多分に私の解釈も入るので
マックス・ウェーバーと阿部伸一郎の共作理論を述べる。
マックス・ウェーバー曰く、
『政治家には政治を収入源とする
「政治によって生きる政治家」と政治による収入を求めない、
「政治のために生きる政治家」』の二つが存在すると説く。
そして、その二つを組み合わせる
事からより良い政治は生れる。
もし。上下両院の議員が、
政治による収入を求めない、「政治のために生きる政治家」
であったなら、政治は資産家だけのものとなってしまう。
これは、まずい。
故に、政治を収入源とする「政治によって生きる政治家」
が、存在することは、当たり前のことである。
日本とイタリアの場合は、この
政治を収入源とする「政治によって生きる政治家」のみで
上下院双方が独占されてしまっている。
一見良さそうだが、実は、これも、非常にまずい。
なぜ、まずいかと言うと、
政治を収入源とする「政治によって生きる政治家」は、
選挙によって選ばれる。
すると彼らは、選挙に勝利することを最優先課題とし
国家を蔑ろにし、選挙区でドブ板合戦を繰り広げ
大衆迎合主義に陥り易い。
故に、日伊以外の国々は、この盲点を補う手段として、
政治による収入を求めない、「政治のために生きる政治家」が
上院議員として政治に関与する仕組みを構築している。
その端的な例は、イギリスである。
イギリスの上院である貴族院の議員は、
大半世襲制で定数もなければ任期もない。
もちろん、選挙も選挙区もない。
当然の様に所属する政党もない。
議決権もない。
彼らの役割は大所高所から
国家百年の大計を論ずることである。
日本人はみんな勘違いをしている。
このイギリスの様に、日伊以外は、
事実上は、一院制なのである。
他の国のこと、日本のあるべき姿等々は、
明日以降に、より詳しく記すことにする。