最大の危機がすでに訪れている | 裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

道の道とすべきは常の道にあらず。名の名とすべきは常の名にあらず。無は天地の始に名づけ、有は万物の母に名づく。

今から10年前のことだ。
「これはマジでヤバイな」と思った。
分かっていた事ではあるが、まさかここまで…。

自分の体験・周りの現実を真に受け入れている人が殆どいなかったのだ。

一部分だけを受け入れるケースはよくある。
歪んだ形で受け入れるケースもよくある。
これでは真に全面的に受け入れたことにはならない。

何故こんなことになってしまったのか?

全面的に向き合い、認めなければ、それらの体験を終わらせることが出来ない。満了させることが出来ない。
だからカルマ解消も出来ないことになる。一歩も進めない。
それどころか、日々、新たなカルマを積むことになる。


本来、自分が能動的に関わった現実なら、全面的に向き合うことが出来るはずである。
だからこそハートを開いて、受け入れることも可能になる。(拒否する自由もある)

だが、私の観察によれば、向き合い方が中途半端な人が多い。
故にハートも十分に開くことが出来ない。
やはり状況は深刻である。


一般的にネガティブとされる「辛い」「悲しい」「苦しい」と感じる出来事ならば、向き合うのを嫌がっても仕方ないのかもしれない。
だが私の観察によれば、「幸せ」「嬉しい」「ありがたい」と感じる出来事にも全面的に向き合っていない。


この様な心理反応は、かつての私が陥っていた典型的なパターンであった。
その原因は執着心だ。
嫌な出来事なら一刻も早く忘れ去って、安らぎを取り戻したくなるはずなのに、心のどこかで引き摺ってしまう。

「失敗から学び、心の糧にし、成長する」という指針があるが、それすら出来ない状態だ。
形だけ学んだフリをすることは出来る。
だが実際には臆病になり、必要以上に慎重になり、冒険や挑戦意欲が削がれてしまう。

そんな状態だから、単に忘れるというシンプルなプロセスさえ困難なものになる。


ただし、それだけなら多くの人が経験している事である。
ショックの強い出来事は、忘れたくても忘れられない。
そんなことが簡単に出来るなら、トラウマと呼ばれる心的外傷など生じるはずがない。

しかし現実には、このトラウマに苦しめられている人が多い。
ある種の自己防衛本能でもある。
ひとつの例を挙げよう。

幼い頃に台所で無邪気に遊んでいた。
だがその時、好奇心でガスコンロを点火させてしまい、火傷を負った。
それ以降、火が怖くなり、台所に近付くことも出来なくなった…。

自己防衛という観点では自然な反応であり、それによって「危険なことはしたくない。止めよう」となる。
慎重な姿勢が必要だという事を学び、身を護るすべを心得る。

それ自体は必要なことだ。
だが恐怖心が過剰すぎて台所に近寄ることさえ困難になれば、生活に支障をきたす。
恐怖心をゼロにする必要はないが、やわらげる必要はある。

だが、10年前に私が知った現実は、トラウマを生むようなネガティブ体験だけではなかった。
幸福感を伴うポジティブな体験さえ、「味わい尽くす」ことが出来ていない。
中途半端な体験で終わらせているため、心のどこかに未消化なエネルギーが残っている。

潜在意識に「私は幸せになる資格がない」「幸せになってはいけない」という観念がある場合は、当然ポジティブ体験との関わり方も中途半端になるだろう。

だが、私は気付いてしまった。他にも原因があるぞ、と…。


スピリチュアル界には「過去を引きずらず、『今』の体験に集中し、味わいましょう」という有名な教えがある。

しかし、その様な教えを自分の指針にしようと心掛けても、人間という存在自体が過去の記憶に依存しているわけで、その記憶が無ければまともに生きる事さえ出来ない。

「今」に集中すること自体はとても良い事である。
だがそのような生き方だって過去の記憶があってこそ成立する話なのだ。

貴方が日本語をきれいさっぱり忘れてしまったら、日本語を母語とする人達との会話も困難になる。
日本語で書かれた本を読むのにも難儀する。
一語一語すべてをGoogle翻訳などのサービスに頼ることになる。


瞑想などの修行を積んで、あるステージに達した人は、記憶障害のような状況に陥るケースはある。
私も以前そんな状態になった。
具体的には「何を体験しても、心の中に印象が残らない」というものだ。

感動的なTVドラマを見て、素直に感動する。そこまでは普通の人と同じだ。
ところが次の瞬間には、その感情が消えている。
美味しい料理を食べて「旨い」と思っても、すぐその感覚を忘れてしまう。

私はその原因に気付いたため、敢えて自分の霊的ステージを下げて、まともな生活を送れるようにしたけどね。
もしあの時、その様な処置を行なっていなければ、現世解脱していたかもしれない。

つまり心の中に印象が残らない現象は、解脱を目指す者にとって最高のチャンスでもあるのだ。
私はその道を自ら封印したことになる。


だが、今回の記事の導入部で触れた「異変」はまったく別のモノだった。
予想していた事とはいえ、ここまで深刻な状況だったとは…。


宇宙レベルで霊的な次元転移が加速している。
師匠によれば90年代には既に始まっていたらしい。
多くの現代人の魂が断末魔の悲鳴を上げている。

ハートの声を大切にし、魂を生きている人なら特に問題はないが、そういう人があまりにも少ない。
多くの現代人は魂を無視し、ハートを傷付けまくっている。

今に始まったことではない。
多くの人は幾多もの過去世でもハートを傷付けてきた。

それだけでも大問題なのに、例の次元転移もあり、その激流にもみくちゃくされ、回復不可能と言える深い傷を負ってしまった。
各次元のエネルギー体にもひずみが生じ、あちこちにブロックが出来た。

皆さんはこれが何を意味するか分かるだろうか?
マインド・肉体・エネルギー体で体験する全ての出来事が甚だ不完全なものになってしまったのだ。

当然、体験への向き合いや受け入れにも問題が生じる。
不完全・かつ歪みまくっているため、マインドの機能も正常に働かない。
これでは魂を生きる道に入ることさえ困難になる。入り口にも立つことが出来ない状態なのだ。


可能性が完全に断たれてしまった人も激増している。
魂が逃げ出してしまった人達のことだ。
肉体やエネルギー体は留まっていても、魂はもうその人に関わっていない。
見捨てて、宇宙に還ってしまった。

これではもう駄目だ。
魂が居なくなったのだから、その人はもはや魂の声を聞くことが出来ない。
今更どんな努力を始めても無駄になった。既に手遅れだ。魂の道は完全に塞がれた。


全ての人の可能性が無くなったわけではない。
不完全ながらも自己観察の行を続け、真剣に取り組んできた人なら、まだ可能性の扉は閉ざされていない。

その人達にとって次に必要となる課題は、「何のために現象界に生まれてきたのか?」を知ることだ。
知識ではない。
真に気付き、真に知ることだ。

貴方は「体験」をするために現象界に降りてきたのだ。

この文章を頭にインプットしても、真に知ったことにはならない。
自分で気付き、肚に落とし込む。
貴方自身の、これからの「心の在り方」に全てが懸かっている。