あなたの真の居場所 | 裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

道の道とすべきは常の道にあらず。名の名とすべきは常の名にあらず。無は天地の始に名づけ、有は万物の母に名づく。

私は個々のチャクラの役割と機能の他に、それらをまとめて「上半身のチャクラ」「下半身のチャクラ」に分類している。
なにかと便利なんだよね。

肉体の場合、頭頂から下腹部までが上半身で、骨盤から下は下半身と呼ばれている。
だがチャクラの場合は、胸よりも下のチャクラは全て下半身のチャクラに分類している。
胃のチャクラ(マニプーラ)も下半身のチャクラというわけだ。

今の日本人は下半身のチャクラが弱い人が多い。行動力や勇気に欠けている。
昔の日本人は胆力があったのだが、すっかり弱体化してしまった。
しかも精神世界・スピリチュアルの実践者にその傾向が顕著である。上半身と下半身のバランスが取れていないのだ。

精神的なもの・霊的なものを求めすぎているからだ。

宇宙からのシグナルは頭頂のチャクラが受信し、喉のチャクラで次元転換される。
眉間のチャクラは思考力を司り、メンタル体と連携して高度な知性を生み出す。悟りに必要不可欠な叡智の源でもある。
ハートチャクラは愛を司り、コーザル体と連携している。魂の座でもある。

ハートよりも下のチャクラは、大地のエネルギーとの繋がりが強い。
上腹部・胃のチャクラは判断力や決断力を司っている。
霊能力との関わりも深い。

下丹田のチャクラは行動力・不動心・勇気・人間的な器に関係している。
会陰のチャクラは大地の力に直結し、生命力を生み出す。

既に述べたように、スピリチュアルの実践者はあまりにも精神性に偏り過ぎて、下半身のチャクラが弱い人が多い。
地に足が着いていないのだ。
単に弱いだけではなく、邪気・濁気・マイナスエネルギーも大量に溜め込んでいる。

行動エネルギーがスムーズに循環していないからだ。
停滞すれば腐敗してしまう。
水だって一か所に留まっていれば、いずれ腐ってしまう。

「人間の意識が全ての現実を作っている」
という脳内お花畑のファンタジーに走る人も、下半身のチャクラが弱い人が多い。
やはり邪気が多く、ゴミ箱のようになっている。

思考・マインドの使い方が間違っていることも原因の一つである。

魂からの直観シグナルは、メンタル体で「人間の言葉」に翻訳され、本人の意識に届く。
このとき、アレコレ頭を使う必要はない。
メンタル体の次元で既に翻訳が終わっているからだ。

私が瞑想中に受け取る直観も、極めてダイレクトである。
深い瞑想中は心が動いていない。思考と感情が止まっている。
なのにその直感の内容をすぐ理解できるのだ。

何故、頭を使わなくても解釈・理解ができるのか?
答えは簡単。
受け取った瞬間に理解が完了しているからだ。
メンタル体の仕事である。


脳内お花畑なスピ実践者はその真逆を行っている。
彼らは口では「頭であれこれ考えず、直感を大事にしましょう」と語っている。
だがその言葉とは裏腹に、直感を大事にすればするほど頭が激しく動いてしまう。

魂からのシグナルを受け取っていないからだ。
彼らの言う直感は、アストラル体が発信源である。
この次元体は感情・感覚・感性を司っている。自己保身の本能が優勢であり、近視眼的でもある。

「好きなこと・ワクワクすること・心地よいことだけを選びましょう」
という幼稚なメッセージの中にその特徴が表れている。

アストラル次元の直感シグナルは、受信と解釈が同時に成立しない。タイムラグがある。
その直感の中身を解釈するときに、マインドの思考力が必要となる。
魂レベルの直観との違いである。

アストラルの直感を受け取れば受け取るほど、頭も忙しくなる。
エネルギーを浪費してしまう。
本来なら理路整然とした頭の使い方が出来るはずなのに、まるで雑念みたいになってしまう。

これではチャクラが弱体化するのも必然である。
思考のゴミが溜まりに溜まってしまう。
雑念マインドの残滓なのである。

ちなみに私は「直観」「直感」を区別している。
前者は魂由来であり、後者はアストラル由来。


仙道や気功法では、その行の終了時(収功)に、気を下丹田に収める。
それは単に気のエネルギだけの話ではなく、自分自身の居場所に帰ることを意味する。

霊的な次元においてはハートの奥の「魂」が中心であり、そのシグナルが指針となるが、現実次元の私達にはもう一つの重要なポイントがある。
それが下丹田というわけだ。

この場所に自分の意識が収まっている時、余計な雑念思考は湧かない。
下らない直感に惑わされることも無い。
そしてマインドの透徹した知性・思考力を無理なく活用することが出来る。

多くの現代人は本来の居場所を忘れたため、下半身のチャクラが弱っている。
特にスピリチュアル実践者がそんな状態とは非常に情けない話である。
現実を観ず、ファンタジーに逃げている。

真のスピリチュアルは、ただ自分自身に鎮まることだ。

貴方の居場所は外側のストーリーではない。
脳内お花畑のファンタジーではない。
自己内部の居場所に収まる…、その感覚を思い出してほしい。


単なるファンタジーだけで終わるなら、まだ可愛い面もあるかもしれない。
だがその本質は極めて悪質。犯罪スピである。
なにしろマイナスの物事に意識を向けさせないのだ。これでは防犯も防災も成り立たなくなってしまう。
命に関わる重大問題である。


仕事でも趣味でも生活でも、それは外部にエネルギーを使うことに等しい。
しかし自己観察が出来る人は、外の世界で生きつつ、自分自身に鎮まっている。
だからエネルギーを浪費することがない。
生霊も飛ばさなくなる。

私は一時期、気功法、柔術、修験道に熱中していた。
精神的な鍛錬の意味合いが強いが、とにかく肉体を酷使する。鍛えられる。
その経験を通じて、下丹田のチャクラがぐんぐん強化されていった。

しかし、単に強くなるだけだった。
他に何も残らなかった。
本当に重要なのは、中心を確立しつつ、拡大することなのだ。
私はその点が全く駄目だった。


師匠との出会いが自分を大きく変えた。
特別なことは何もない。
日々のありきたりな生活を大切にしただけ…。
ハートに耳を傾け、当たり前のことを一つ一つこなしてゆく。

この様な生き方を通じて、丹田が鍛えられ、拡大していった。

神秘行はとても役立つが、あくまで補助的なものに過ぎない。
本質はそこではない。
普段の生活の中に修行のチャンスがある。自己理解のテーマを教えてくれる。

貴方が現実に向き合い、貴方自身の見たくない真実を受け入れるならば、「道」に入ったことを意味する。
だから自然に下丹田の中心が完成される。


この様なことは他のメソッドにも言えることなのである。
例えばヒーリング。
以前、SNSでこんなやり取りを目撃した。

「臼井レイキは素晴らしい」
「でもカルナレイキの方が高波動だよ」
「ライタリアンレイキこそ究極です」
「レムリアンヒーリングは可能性を最大限に引き出してくれる」
「シータヒーリングこそ最も根源的です」

こんな批評をしていても意味がない。
暇人の遊びである。
意識が外にズレている。エネルギー以前の問題だ。

大切なことは命に向き合うこと。
クライアントの命に向き合うことはもちろん、自分自身の命にも向き合う。
真っ直ぐに。
そうすればヒーリングパワーは勝手に強化されるし、深さと厚みも増してゆく。