この世では必要な事しか起こらない | 裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

道の道とすべきは常の道にあらず。名の名とすべきは常の名にあらず。無は天地の始に名づけ、有は万物の母に名づく。

この世では必要な事しか起こらない。
換言すれば
「この世では必要な事だけが起こる」

スピリチュアルの世界ではよく知られた概念であろう。
故に全ては完璧とか最善と言うのである。
だが人間にとって都合の良い事が起こるとは限らない。不幸のどん底に叩き落されることもある。

この世であらゆる現象を起こさせる法則とシステム…。
それ自体は完璧だが、そこに幸・不幸の区別はない。
不幸な現象が起こる方向に法則が発動すれば、事実として不幸現象が起きる。


「貴方が体験する現実は全て貴方が作っている」
という教えもある。
引き寄せの法則、潜在意識の法則、成功哲学では、つとに有名な概念である。

だが私の教えは全く異なる。
冒頭の「必要な事だけが起こる」「全て完璧」という概念とよく似ていると思うかもしれない。だが重要な点で大きな違いがある。
何もかもが思い通りになるわけではない。誰も生老病死から逃れることは出来ない。

法則は法則である。
元々人間の都合に合わせて存在しているのではない。
大地震・台風・津波・火山の噴火などで大勢の人が亡くなることがある。人間にとってはまさしく悲劇だ。

だが…地球側に立ってみればどうか?
必要だから地震等が起こるに過ぎない。
それは純粋な自然界の法則に基づくものあり、本質は科学的である。
血も涙もない。


「いや、それは自然現象のせいではないよ。地震兵器の仕業なんだ」
「東日本震災も阪神淡路大震災も地震兵器によってもたらされたんだ。この世を牛耳る支配者がいるんだよ」

病的な妄想者・陰謀論者は今すぐ立ち去っていいよ。読むだけ無駄だ。

私は地震兵器なるものが存在するのかどうか分からない。
はっきり言って興味がない。
故にその存在を肯定も否定もしない。

仮に地震兵器なるものが存在するとしよう。
だがそれは地球という星があってこそ…である。
当然、地球の自然界の法則によって成り立っている。その法則が無ければ地震兵器なるものも作動しないはずだ。

全ては相関性である。単独では何も起こらないのだ。

地震兵器が地球に何らかの刺激を与え、応力に方向依存性が生まれ、地殻変動を引き起こし、地震になった…としよう。
つまり地震が起こる原理・メカニズムを利用したことになる。
地震兵器だけでは何も起こらない。


大規模な戦争が起こり、多くの市民が巻き込まれ、死ぬこともある。
本人に「戦争で死ぬカルマ」が無い場合でも、国家間の争いに巻き込まれて命を落とす場合がある。
国家レベルの大きなカルマが動くときは、個人の徳分もカルマも無力同然なのである。

以上の理由を以って、引き寄せの法則の連中の「貴方が体験する現実は全て貴方が作っている」という常套句を私は否定する。
いくらポジティブ思考を心掛けようと、ネガティブな現象が起こるときは起こる。
生じるときは生じる。

この世を支配する因果律は単純ではない。
因果律そのものは存在するが、個人の力が到底及ばないケースがある。
身・口・意の全てにおいて善行(善根)を積んでも、悪いことが起こるときは起こる。

それは縁起に関係する。
物事は直接的な原因だけではなく、膨大な間接的原因(縁)によっても引き起こされる。
因に縁が触れて果が生じるのである。

万物はすべて相互に繋がっている。
個々の存在が独立自存しているのではない。
故にその縁のつながり方次第では予想外の果が生じることになる。

分かりやすい例を挙げよう。
大学合格を目指す受験生A君は普段から成績優秀。学業に打ち込み、高校の担任からも合格間違いなしと言われていた。
だが受験当日、彼はインフルエンザに感染・罹患し、受験することが出来なくなってしまった。

他の現象も考えられる。
A君は体調を万全に整え、意気揚々と試験会場に向かった。
ところが途中で彼を乗せたバスが事故を起こし、大怪我をした。当然受験どころの話ではなくなってしまった。

これらは極端な例だが、次のケースも起こり得る。
試験会場まで無事に着いたが、極度の緊張でいつも通りの実力を発揮できず、不合格…。

全く逆のケースも起こり得る。
受験生B君はいつも成績が悪く、本人も勉強が嫌いだった。ゲームに熱中し、勉強に身が入らない。
そしていよいよ受験日まで一ヵ月と迫った頃、B君はようやく勉強に集中し始めた。

しかし僅か一ヵ月の猶予期間しかない。出題範囲を全てカバーするのは到底無理。
そこでB君は大胆な賭けに出た。
思いっきりヤマをかけ、それのみを集中的に頭に叩き込んだのだ。
結果は奇跡的に合格。

A君とB君の例を見ると、人生とはなんとも不公平で理不尽だと感じてしまう。
しかし人生において、この様なことは十分に起こり得るのである。

受験だけではない。
仕事などでも大して実力もない者が思わぬ幸運に恵まれ、出世することがある。
その一方で、実力があり、仕事に誠実に取り組んでいた人が不測の事態で何もかも失うこともある。


「大難を小難に」「小難が無難に」
という言葉がある。
これは実際に起こり得ることなのだ。

難病で苦しみ、亡くなるような重いカルマの持ち主だったのに、何の奇跡か…世界的な名医と出会い、奇跡的に回復するケースがある。
または神仏からの援助のエネルギーが入り、事態が好転するケースもある。


また当然ながら、逆の現象も起こり得る。
「小難が大難に」のパターンである。
カルマ的に見れば、決して難病で苦しむようなカルマは無かったにも関わらず、触れた縁が悪質で大規模だった場合、重病になり、苦しみ続けるかもしれない。


この様に人生は自助努力だけではどうにもならないこともある。
私が100%自分原因説を否定するのもそれ故だ。
もし自分が体験する現実をすべて自力でコントロールできるならば、それは「縁の操作」に他ならない。

自助努力により、直接的原因を積むことは可能だが、間接要因である「縁」は勝手にコントロールすることは出来ない。許されない。
もしそれが出来るのであれば、その人につながりのある他者の自由意思を勝手に操ることを意味する。
支配欲である。

そんな行為に走れば、却ってカルマを増悪させることになりかねない。
引き寄せの法則メソッドそのものは非常に有益だが、極端に走った場合は後々思わぬリバウンドが起こるかもしれない。


私があなたにお勧めしたいのは、毎日自分自身のハートに向き合い、
「この世は必要な事しか起こらないことを理解しています。私に起こるすべての出来事はすべて必要だから起こった…という事を理解しています」
と語り掛けることである。

これは自己暗示法ではない。
「全ては必要な事なんだ」と信じることではない。
あくまで自己観察の回路を生成し、自己理解を深めるために行なうのである。

いつも言ってることだが、私の教えを信じても意味はない。
そこに真の理解はないからだ。

だが私の話を否定するのも無意味である。
全面肯定や全面否定ではなく、貴方自身が真理に気付き、理解を深めることが大切なのだ。

「この世は必要な事しか起こらないことを理解しています」
「私に起こるすべての出来事はすべて必要だから起こった事を理解しています」
「私は魂の成就のために、必要な体験の全てを受け入れます」


これを繰り返し唱えながら、そのとき湧き上がってくる感情に注意を払っていただきたい。

認めたくない時もあるだろう。反発心が湧くときもあるだろう。
それはそれで良い。
既に述べたように、私の教えを信じる必要は全くないのだ。

私がここで紹介したメソッドは、意識のリソースの一部を「現象化のメカニズム」に向けさせる。
単純な因果律ではなく、そこに絡む膨大な「縁」の力に少しでも気付くように…。

このメソッドを日々続けることにより、確実に自己理解が深まり、この世を支配する法則に徐々に気付くようになる。
もし今回の記事に何かを感じたならば、ぜひ挑戦していただきたい。

私は一時期このメソッドを1日200回以上繰り返した。
心でゆっくり唱え、ハートの感覚や感情の動きを観察する。
それを200回以上も繰り返すのだから、数時間はかかる。だが私はそれを毎日、5年以上続けたのである。

もちろん読者の皆さんにはそんな難行苦行(?)を勧めるつもりはない。
10回だけでもいい。
大切なことは毎日続けること。継続することだ。

エンライト@太古の道先案内人