貴方は今までの人生で、いろんな体験をしてきた。
楽しいことも悲しいこともあったことだろう…。
だがそんな貴方でも、これまで一度も体験したことがない世界があるのだ。
未だ想像したこともない奇妙な世界が…。
私はそれを疑似的に体験させたいと思い、あるシナリオを用意した。
以下の文章を心の中でイメージしながら読み進めて戴きたい。
真夏のある日。
貴方の部屋のエアコンが故障し、部屋の温度が一気に上昇。
うだるような暑さ。
貴方はたまらず窓を開け、物置部屋から扇風機を持ってきた。
扇風機のファンを全開。
グォングォン唸り声を上げている。
すると数分後…。
部屋にあった1枚のティッシュが扇風機の風に乗って、窓の外へと飛んでしまった。
貴方は全く気に留めなかった。たかがティッシュ1枚なのだ。
外の世界ではちょうどその時、微風が吹いていた。
軽いティッシュが風に乗り、ゆらゆらと飛び続けた。
風が弱まり、住宅街の通りに落ちそうになった。
その道に一台の自転車…。
乗っているのは小学校低学年の児童だった。
ティッシュがその児童の顔に張り付き、視界を奪った。
慌てた児童は自転車ごと転んでしまった。
その時…後方から一台の車。
児童は無残にも轢かれてしまった。
乗用車を運転していたのは、現在世界を熱狂させている大物ミュージション。
既婚にも関わらず、その日の彼は、愛人とのお忍びデート。
その最中に児童を轢き、死なせてしまったのだ。
過失はあったのか? なかったのか?
児童は目の前でいきなり転んだ。
避けることは可能だったのか?
世間の声は二分されたが、すぐ非難の声が優勢になった。ネットでも大騒ぎだった。
いずれ裁判が全てを明らかにしてくれるだろう。
だが例の大物ミュージシャンは既に「裁き」を受けたも同然。
非難の声で荒れ狂った。
小学生を死なせたという事実。
しかもその時、不倫相手とお忍びのデート中。
事故だけだったら、同情の声もあったかもしれない。「避けることが出来ない事故だったはず」と…。
だが不倫の事実がバレたため、人々の心証は最悪の状態。
そのミュージシャンは、絶望した。
何もかも失ったと思った。
児童への罪悪感。
妻への罪悪感。
そして芸能界で全てを失ってしまった絶望感。
真夏のある日、彼は断崖絶壁に立っていた。
下は日本海が広がっている。
今日は波が少し荒れていた。
彼は身を投げた。この世の全ての絶望を身にまとい。
彼の全身が海に落下してゆく。
だが、その真下には豪華クルーザーがあった。
船上ではパーティーが開かれていた。
日本の首相とアメリカ大統領の姿があった。
数秒後、米国大統領・スコット氏の全身は投身自殺者のアタックを受け、下にたたきつけられていた。
2人とも即死である。
5日間もの長期日程が組まれていた日米首脳会談。
その最終日、大統領と首相はクルーザーでパーティーをしていたのだ。
世界はその頃、緊迫していた。
北朝鮮が超強力な核ミサイルを完成させ、米国を威嚇していたのだ。
米国の同盟国である日本も非常事態である。
日米首脳会談はその事態を受けて、開催されたのだ。
米国大統領・スコット氏は抜群の外交手腕を持っていた。
北朝鮮との駆け引きで、巧みに主導権を握っていた。
だがそのスコット氏が予期しない事故死とは…。
彼に代わる外交手段の持ち主はいなかった。
急遽、副大統領のスティーブ氏が大統領代行として表舞台に立ったが、海千山千の北朝鮮を相手に劣勢を強いられた。
追い詰められたスティーブ大統領代行は、精神的に焦り、パニック状態に陥り、北朝鮮相手に致命的な外交ミスを犯してしまった。
激怒した北朝鮮の書記長は遂に核ミサイルの発射を決断。
米国も一方的にヤラレルわけにはいかなかった。
同じく核兵器で応戦。
最悪のシナリオが現実になってしまった。
この事態により、世界のパワーバランスが崩壊し、大混乱に陥った。
欧米各国、東南アジア、中東も巻き込んで、第三次世界大戦が勃発。
世界中の核ミサイルが飛び交った。
そして数日後…。
人類は滅亡した。
科学の世界に「バタフライ効果」というものがある。
気象予測に必要なデータがほんのわずか違っただけで、数か月後の気象に大きな違いが出る可能性があることが判明したのだ。
極端な話だと思うかもしれないが…、昆虫の蝶が羽ばたいて空気がほんの僅か振動しただけでも、一年後のニューヨークに巨大な竜巻が起こるかもしれない。
可能性としては十分にあり得ることが判明したのである。
先の世界大戦、人類滅亡のきっかけは、たった一枚のティッシュであった。
気象とはジャンルが異なる話だが、ほんの小さな出来事が後々大きな事態を引き起こす可能性がある点は共通している。
貴方はこのストーリーに対して何を感じ、何を想うだろう?
単なる空想ではなく、実際、起こり得ると考えた時…。
バタフライ効果を気象以外のジャンルにも当てはめた時、あることに気付く。
この世には確定的な未来など存在しない。
運命論は正しくない。
僅かなズレ、些細な出来事さえ、未来を大きく変えてしまうのだ。
それを考えるなら、運命は数百年前から決まっているという幻想など吹き飛ぶだろう。
まして人間がそんなものを正確に予知できるはずもない。
我々は日常で、幾多もの「小さな選択」を繰り返している。
それはあまりにも日常的であり、なんらドラマを感じない。
当たり前すぎる光景だ。
だが本当にそうなのだろうか?
貴方は今、生きている。
それはもしかしたら、数十年前の「たった一つの小さな選択」のお陰かもしれない。
もし、その選択をしていなかったら、貴方は今頃、この世の人ではなかったかもしれないのだ。
今後の話も考えよう。
貴方にとって予測が出来ないことでも、これからの一つ一つの小さな選択が、十年後の未来を大きく変えているかもしれない。
貴方は何を選択するのだろう?
何を選択したいのだろう?
貴方が「こうなりたい」という願望、未来ビジョンを明確にすれば、貴方の今この瞬間からの選択が変わる。
意識する・しないに関わらず…。
エンライトの未発表原稿を代理でリリースしました。(美雨)
代理人の個人ブログ。
「美雨ひそひそ、こちょこちょ」