過去記事「ヤル気を持続させる」
にて
「自己コントロール法で潜在意識を書き換えれば、嫌いなものを好きに変えることは出来るが、本心に対する嘘になるため、お勧めしない」
と書いたが、これは全てのシーンで適用できるものではない。
ケースバイケースだ。
嫌いなものを「好き」に書き換えたほうが都合よい場合もある。
野菜が嫌いな子供がある日、催眠療法(ヒプノセラピー)を受け、野菜を抵抗なく食べられるようになった。
その子供は元々、野菜の味が嫌いというより、食わず嫌いな面があった。
だが催眠療法のお蔭で楽に食べられるようになり、栄養状態も改善された。
更に毎日、野菜を食べ続けたことにより、その美味しさにも目覚め始めた。
どうせ悟りを得るなら、野菜の美味しさを悟った方がはるかに有益だろう。笑
冗談はさておき、上のような実例もあるため、感情や観念を書き換える方法の全てを否定する気はない。
役立つ時もある。
人が何かを嫌うとき、本人が自覚できなくても、潜在意識にブロックが潜んでいるケースが多い。
嫌いにならざるを得ないようなトラウマがあったとか…。
その場合も、ブロックを外すことで、嫌いな物が好きになるかもしれない。
これも非常に役立つことだ。
私が「嫌いなものを好きに変えることは出来るが、本心に対する嘘になるため、お勧めしない」と書いた理由は、何かのトラウマや観念による「嫌い」のことではない。
純粋な本心による「嫌」を指している。
それは紛れもない本心であるため、無理に好きになろうとする必要はない。
重要なのは、単に認識し、受け入れることだ。
「嫌い」という感情に気付き、認めることである。
それを自己受容と言う。
ただし、「今のままで良い」という固定的な姿勢のことではない。
自分の今の状態を認めた上で、次のステップに進む。
「自分はどうしたいのか?」を探り、嫌いなままで良いと思ったなら、そのままにしておけばよい。
だが「好きになりたい」という気持ちがあるならば、その為の手段を講じる。
嫌いな物や苦手なものでも、仕事に必要なことならば、その苦手感覚は克服したほうが良いだろう。
好き嫌いだけの話ではない。問題全般に当てはまる。
我々が感じる問題は、単なる思い込み・固定観念によるものが多い。
本当は問題ではなかったわけだ。
悟り系スピの場合は、更に徹底している。
先の私の話は「多くの問題は、問題ではない」という指摘だが、悟り系では「全ての問題は、問題ではない」と断定してしまう。
「多く」と「全て」では、えらい違いだ。
彼らは全ての価値基準を手放そうと試みるため、「これは問題だ」と決める物差しさえ無効化されることになる。
結局、「全ては完璧」 「問題は無い」という結論に行き着くより他はない。
だが貴方は、ビルの手抜き工事で大勢の住民が亡くなっても、原発の事故が起きても、問題は無いと言い切れるだろうか?
それを平気で言い切ってしまうのが「悟りの観点」なのである。
健康に良い食物と、猛毒入りの料理が並んでいたら、殆どの人は安全な料理の方を選ぶだろう。
価値基準に基づいて判断するだろう。
この世で生きる以上、全ての価値基準を捨てるわけにはいかない。
言い換えれば、「観念は大切」ということになる。
もちろん、観念を解放することの意義を否定するつもりはない。
必要な時もある。
自分の幸福を邪魔する観念は、手放したほうが良いだろう。
だが、全ての観念をゼロにしてしまったら、悟りや解脱と同じだし、この世で生き続ける必要もなくなってしまう。
「宇宙よ、サヨナラ」の次元だからね。笑
多くの場合、観念がなければ悩みは生じない。
その代わり、喜びもない。感動もない。
全てが初期化されちゃった境地だから。笑
認識論の次元ではそれで全てが片付くが、私は現実的な視点も重視している。
先ほども言ったように、難病にかかれば苦しいし、適切な治療を受けることが大切であろう。
つまり、私のスタンスには「観念の書き換えだけでは解決しない問題にもアプローチする」という軸があるため、現実性のあるスピを追究している。
最終的には、自分の奥深いところにある「魂のテーマ」が大切だと思う。
↑
これも観念だと言われれば、確かにその通りだが。笑
この世に生まれてきた動機、体験したかったことを体験する。
そのために役立つ観念は取り入れ、障害になる観念は手放すだけ…。
それで十分じゃないか?
「この仕事が嫌い」というとき、認識論に基づくスピリチュアルでは「好き」に書き換えようとする。
そのために視点の切り替え(リフレ―ミング)の訓練をすることもある。
視点が変わるだけで、物事の好き嫌いが変わることがあるからだ。
または、潜在意識に直接「好き」のイメージを入力する手法もある。
それらの方法が役立つ時もあるだろう。
だが私はその手段は採らないことが多い。
面倒臭いからだ。笑
私が「この仕事が嫌い」と思った時は、無理に好きになろうとするのではなく、
「では自分が今やりたい仕事は何か?」
に意識を向け、そのとき本当にやりたいと直観した仕事を選んでいる。
その方が現実が変わるスピードが早いし、チャンスも多くなる。
もちろん様々な事情により、今すぐ仕事を変えることが出来ない人もいるだろう。
そのときは仕事を創意工夫して、楽しめるようにする。
認識や心理的なレベルだけで解決しようとするのではなく、現実的な創意工夫をするわけだ。
その方が自分の創造性が発揮できるし、可能性が広がる。
私が今回書いたことは、本格的な悟りの道を進む人にとっては全く無意味である。
悟りだけが目的なら、すべての観念を見破り、手放す必要があるだろう。
それは世捨て人の道である。
先ほども言ったように、魂の願望を軸に置き、その為に役立つ観念は大いに活用すればいい。
障害になる観念だけを手放せばいい。
この世での体験ゲームを楽しむには、それが最善だと思う。
妙に悟り澄ました顔をして、「全ては完璧」 「問題は存在しない」などとうそぶく必要はないのだ。
※代理人の美雨より。
2015年12月29日にエンライトが発表した記事を復元させていただきました。
それに伴い、冒頭のリンク記事のURLも変えております。
代理人の個人ブログ
「美雨のひそひそ、こちょこちょ」