一つの結論しか与えない指導者 | 裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

道の道とすべきは常の道にあらず。名の名とすべきは常の名にあらず。無は天地の始に名づけ、有は万物の母に名づく。

洗脳やマインドコントロールされやすい人には、ある特徴がある。
見たこと・聞いた事しか信じないタイプである。

ある権力者がマスメディアを使って、偏ったニュースを報道させた。
プロパガンダである。
北朝鮮のマスメディアなど、まさにそのまんまだし、古くはヒトラーも同じ手口を使った。

見たものをそのまま信じる人は、権力者の思惑に乗せられてしまう。
逆に、報道の奥にあるものまで観ようとする人は、マインドコントロールに引っ掛かりにくい。


ここで大切なのは、個人の思想や価値観を、(一時的に)脇に置くことである。

自分が信じる思想や価値観に囚われた状態で、その思想が傷付けられるようなニュースを見た人は、反射的に「これは嘘だ」「裏に何かがある」という発想に陥ってしまう。

陰謀論マインドということだ。
その実態は、短絡的な邪推や妄想の類に過ぎないし、それもまたマインドコントロールの一形態なのだ。

真に大切なのは、ニュートラルな目で洞察することである。
なんの欲望も感情も挟まず、余計な観念のフィルターを通さず、ただ観る。奥も観る。ただ洞察する。
それが大切なのである。


とはいえ、人間は主観的にしかモノを見られない生き物でもある。
現実レベルでの理解を進めるためには、今まで蓄積してきた経験や知識のデータが必要である。
それが無かったら只のアホだ。

だが、物事を見つめる出発点において、従前の観念に囚われ過ぎていたら真実は見えない。
まんまとマインドコントロールに引っ掛かることになる。

まずは淡々と観る。
細かい分析をするのは、その後で良い。


最もマインドコントロールされやすい人は、冒頭で述べたように「見たもの・聞いたものだけを信じるタイプ」であろう。

スピリチュアル界にはそんなタイプが多い。
指導者サイドもそれをよく知っており、平気でマインドコントロールを仕掛けてくる。

「意識したものだけが存在する」
「意識しないものは存在しない」

という意識万能論さえ、はこびっている。

まさに、見たもの(意識したもの)だけが存在する…という世界観であり、洗脳やマインドコントロールを受けやすい条件を満たしているのだ。


スピ界には、やたら「人は誰もが…」という言い方をしたがる人が多い。
実際には、必ずしも全ての人に該当しないケースであっても、安易に「誰もが」と言ってしまう。
例外を認めないわけだ。


「〇〇が全て…」
「全ては〇〇」

という言い方もよくある。
「貴方の現実は全て貴方の意識が作ったのです」がその典型的なフレーズである。

安易に「全て」などと断定するわけだ。
一つの結論しか与えない。
しかも初めから結論が決まっているのだから、読者は何も考えることなく、その用意された結論に従うしかない。

つまりそれ自体が支配欲の現れであり、マインドコントロールなのである。
本人にその自覚が無くてもね。


彼らは、「マインドの固定観念を手放して、自由な感性を取り戻しましょう」と言う。
だがその言動を細かく見てゆけば、彼らこそ固定観念の塊だと分かる。

そんな在り方だから、自分の世界観をすぐ法則化してしまう。
「〇〇の法則」とかね。
複雑で広大無辺な現象界の全ての物事を、単純すぎる法則のみに当てはめ、解釈してしまう。

エセ論理思考なのだ。
特定の法則の外からも考える…という柔軟な姿勢がない。


私のブログにも「人は誰もが」「〇〇が全て」という表現がある。
だが私がそれを言うのは、生命の本質的な仕組みについてだ。
今まで誰も現実に打ち破ったことのないものばかりである。

また、私のブログには、「〇〇になる可能性が高い」「多くの人は」という表現も多い。
つまり最初っから例外もあることを認めている。
「〇〇の場合は除く」と表現する時もある。

一部の人にしか当てはまらないケースでは、ちゃんと「一部の人は」と表現している。

私は読者に対して無意識的なマインドコントロールを仕掛けないように留意している。
悪影響をギリギリまで抑える工夫をしているのだ。


「エンライトさんのブログは辛辣で攻撃的です。もっと他の人と仲良くしましょう」
という忠告のメールを戴くことがあるが、私は単なる毒舌家ではない。

表面的には攻撃的に感じるかもしれないが、その裏では細かいところまで気を配り、慎重に一つ一つの言葉を選んでいるのだ。


スピリチュアルでは「愛と平和」という言葉をよく見かける。
その手のメッセンジャーのブログを見ても、穏やかな口調の人が多い。
見た目はとても温かくて優しいわけだ。

だが、本当に素顔なのか?

優しそうに見えるその文章一つ一つに「呪い」が仕掛けられている。
安易に「全て」と言ったり、「〇〇だけでいい」などと巧妙に人の自由を奪おうとする言葉が溢れている。

好きなことだけをやればいい。
ワクワクする事だけを選べばいい。etc…

自分の教えを絶対化し、結論先行の話を振りかざすわけだ。
結論が1つしかないため、読者はそれ以外の可能性を見出すことが出来ない。
典型的なマインドコントロールである。

物事の表面しか見る気がない人は、そういう指導者たちの下に集えばいい。
奴隷化された思考が好きならば、それもまあ自由と言えるだろう。

だが、私のブログにそんな態度を持ち込んでも無駄である。
胸に手を当て、本当の答えを自分自身に問う覚悟がある人だけが読んでくれればいい。


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