90年代のスピリチュアル界が失ったもの | 裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

道の道とすべきは常の道にあらず。名の名とすべきは常の名にあらず。無は天地の始に名づけ、有は万物の母に名づく。

私がスピリチュアルを始めたのは中学生の頃だから、だいぶ昔の話になる。
ただ、中学時代はお小遣いが少なかった為、万単位の受講料がかかるセミナー等とは無縁だった。

頼りにしていたのは、もっぱら書籍である。
しかし、中学生ゆえに、月に数冊買うのが精一杯であった。

高校時代にバイトを始め、使えるお金の桁が変わった。
いろんなセミナーを受講することが出来たし、スピ本も月に30冊ぐらい買っていた。

書店の精神世界のコーナーの常連だった。
新しい本が出れば、すぐ購入した。
いずれも90年代に刊行されたものだ。

私の青春時代はスピリチュアル漬けであった。


その90年代は、精神世界(スピリチュアル界)に激震が走った時代でもあった。
まずオウム真理教が地下鉄サリン事件を起こした。死者13名、重軽傷者およそ6300名の大惨事。

この事件で教祖 麻原彰晃(松本智津夫)と幹部が逮捕され、公判が始まった。
治安維持のためにも当然のことである。
凶悪犯は裁かなければならない。

しかし、話はそれで終わらなかった。
この事件が精神世界全体に波及したのだ。


オウム(AUM)という言葉は、太古から伝わるヴェーダの聖音である。
故にインドのヒンズー教徒やヨーガ行者がこのマントラを唱えるのは至極当然。

日本の多くのヨーガ教室でもこのマントラを使った瞑想法を教えていた。
本来はカルトの犯罪と何の関係もないのだが、多くの誤解を呼んでしまった。

オウムの信徒は「ヘッドギア」と呼ばれる装置を頭に着けていたが、これも一部の自己啓発業界に影響をもたらした。

当時の自己啓発業界は、80年代から始まった右脳ブームが更に広く浸透し、定着していた。
アルファ波という脳波に導くために、脳波バイオフィードバック装置を導入していた団体も多かった。

それがオウムのヘッドギアを連想させたため、「この団体はオウムと関係あるのか?」と疑いの目を向けられた。

レイキ・ヒーリングもオウムの影響を受けた。
当時のレイキ教室では能力伝授の儀式を「イニシエーション」と呼んでいた。
しかし、オウムが同じ名称でインチキ霊感商法を展開していたため、これまた疑惑の対象となった。

各レイキ団体はイニシエーションという儀式名を捨てて、新たに「アチューンメント」という用語を使い始めた。

名前は変わっても、中身は同じだけどね。


まあ、そんなこんなで精神世界全体を巻き込んでの騒動があったわけだが、それが原因で精神世界から突出した個性が出にくくなってしまった。
出る杭は打たれるのごとく、カリスマ性ある指導者が減ってしまった。

悪貨を追放するのは良いことだが、世間一般の人たちには「悪貨と良貨」の違いを判別する知性が無いため、良貨まで駆逐されてしまった。

人間社会とは、いつも洞察眼のない連中の集まりなのかもしれない。
しかし、当時の私は高校生だったため、社会の愚かさを身に染みて理解していたわけではない。

「いい迷惑だなぁ」
「世間の連中は何を見ているんだ? 精神世界をなんでもかんでも一緒くたにするほど馬鹿なのか?」


とは思ったが、人間の根源的な無知・無明のことまで分かっていたわけではない。
結局のところ、私も無知だったのだ。


世の中に流されれば、自分を失ってしまう…。
私は世間の下らない喧騒とは距離を置き、マイペースで精神世界を求め続け、瞑想修行に打ち込んだ。

ある日、大型の古本屋で、70年代・80年代のスピリチュアル系の書籍や雑誌を大量に買い込んだ。いわゆる大人買いである。

スピ本を買うのは既に習慣になっていたが、内容の薄さに気付き始めた私は、もっと古い時代の本が欲しくなったのである。
今度は古本屋めぐりが始まった。

買い込んだ古本を読み、内容の濃さに驚嘆した。

70-80年代の精神世界はバラエティ豊かだったんだなぁ。
僅か10年や20年ほどの差で、世界もこんなに変わってしまうのか、と思った。


結局、私が青春時代を駆け抜けた90年代は、いろんなものが失われた時代だったことになる。

まして現在は…
2010年代のスピリチュアル界は、ろくな洞察もなく「〇〇の法則」などと乱暴・かつ安易にパッケージ化した教えを、これまた安易にコピーするだけの人が急増した。

事態はさらに深刻化しているわけだ。

少なくとも80年代の精神世界には、それなりに修行・訓練を積んだ人が多かった。
教えひとつひとつに重厚さがあったし、人間的にも個性派揃いだった。

覚醒者ダンテスダイジの名著「ニルヴァーナのプロセスとテクニック」も80年代の書籍である。


私が買い込んだ古本の中には、雑誌トワイライトゾーンや学研ムーも含まれていた。
毎号さまざまなスピ指導者の記事があった。
ちょっと気になったのは、8次元の超念力パワーを操るというE氏であった。

E氏は排他的なところがあった。
ユリゲラーはもとより、あらゆる超能力者、ヒーラー、はたまた宗教まで批判していた。
そして自分の超念力パワーの威力を得意気に語っていた。

E氏はその8次元パワーで、多くの難病患者を瞬時に癒したという。
その他、倒産寸前の企業を立て直したり、様々な奇跡を起こしたという。

E氏はその実績をもとに、世界中の超能力者を酷評したわけである。
「彼らは奇跡を起こせない。低次元の能力だから」と…。

しかし、力のある人はいるはずだ。
私が知ってるだけでも、五本の指では収まりきらない。
真言密教の祈祷僧もだ。

まあ、さすがに個人個人で能力の差があるため、全ての密教僧が凄い実力の持ち主とは言えないが、探せば凄い人もいる。
東京のK氏は、これまで何人もの末期ガン患者を救ってきた。

しかしそれでもE氏は批判の手を緩めない。
密教、ヒーラー、霊能者、超能力者など、あらゆるスピリチュアリストを徹底批判した。
その理由はなんだろう?

ヒントは「施術にかける時間や手間」にあった。

E氏が施術にかける時間は極端に短いという。
たとえクライアントが難病患者でも、それは変わらない。
実際わずか1分間、8次元パワーを注入しただけで末期ガンを快癒させた事例がいくつもあるという。

E氏はそのパワーを他人にも伝授できると述べていた。
要する時間はわずか2分だという。
これは西洋式レイキの霊授(アチューンメント)よりも短い。

その短い時間、E氏は難しい所作はなにもしないという。
宗教的な儀式を行なうわけでもなく、心に呪文を唱えるわけでもなく…。

西洋式レイキのアチューンメントは、体の各部位に手を当てたり、シンボルを描いて、エネルギーを注入する。
ヒーリングの時も同じだ。
時間をかけてエネルギーを浸透させる。

密教の各修法に至っては、もっと複雑なプロセスがあるし、時間も長い。

E氏はそれを批判していたのである。
「本物の能力者なら、そんな儀式に頼る必要はない。長い時間も要さない。本物の神の力はシンプルに一瞬で奇跡を起こす」
と豪語していた。

密教の祈祷修法の目的とするものは、目先の現世利益のみを与えることではない。
どんな修法も、結局は即身成仏に繋がっている。
全てが本格的な仏道なのだ。

その意味を洞察すれば、なぜ密教僧があれほど過酷な祈祷修法を行なうかが見えてくるに違いない。


しかし、そこまで洞察する人はほんの僅かだ。
時代を問わない。
本格派ぞろいだった80年代の精神世界にも、E氏のようなインスタント志向の人物がいた。

人間は本能的に、楽をしたい生き物である。
故に、それ自体は否定することは出来ないが、楽なものに慣れすぎれば、マインドの思考もそれが当たり前になり、物事の深いところを見る目が曇ってしまう。


いつの時代にもインスタントな空気はある。
それがその時代の主流かどうかの違いがあるだけ。

まして慧眼の目を持つ者、持とうとする者は、いつの時代も極めて限られているのかもしれない。


エンライトの未発表原稿を代理でリリースしました。(美雨)