多くのスピリチュアルでよく話題になるのは 「カルマ」 であろう。
そこからカルマ解消の様々なメソッドが生まれたわけだ。
ところが 「カルマは無い」 という意見もある。
それはどの次元から観るかで結論が異なってくる。
根源的な次元まで探究すれば、「全ては幻」 ということになる。
カルマも幻というわけだ。
ただし 「有ると思えば有る」 「無いと思えば無い」 という次元の話ではない。
有る…という肯定。
無い…という否定。
それは浅い次元の心理操作メソッドに過ぎない。
仏典やヨーガ教典に説かれているカルマ解消法は、そんなレベルではない。
ヨーガでは、深い瞑想状態の中でカルマへの統制を行なう。
仏教にもよく似た瞑想法がある。
(深い瞑想系の修行は万人向けではないし、優れた指導者のリードも必要)
仏教もヨーガも、表面的な心理操作とはまったく次元が違う。
純粋観照が基本なのだ。
魂レベルまでの全ての次元である。
引き寄せの法則では、「思いの力」 を重視している。
その力は、エーテル次元の潜在意識に強い影響を及ぼすし、心身の状態を左右している。
故にエーテル次元のカルマ解消にも効果的である。
リフレーミングによる観念記憶の書き換えがよく行なわれている。
だがその方法では、アストラル次元のカルマ解消効果はかなり限定的になってくる。
メンタル体以上の次元では、ほとんどお手上げ状態だ。
何故だろう?
生命の根源的次元のカルマだから。
無いと思えば無い…とは、基本的に 「思い込みの力」 に依存している。
真の理解が伴っていない。
だから 「無い」 という想念は、真実に蓋を被せるのと同じことなのだ。
見えなくなっただけ…。
本質的なカルマ解消にはならない。
心の創化力を利用する以上、依然としてカルマの法則の範疇に過ぎない。
仏教やヨーガでは、それを 「有漏の業」 と呼んでいる。
有漏とは煩悩のこと。
仏陀釈尊は 「一切が苦」 と説いた。
人間を構成する全ての要素が 「苦」 ならば、それを生み出した宇宙も苦だと言ってよいだろう。
仏陀は
「全ては相依性で成り立っており、無常である」
「生命は、煩悩の力で成り立っている」
とも説いた。
生命力が強ければ強いほど、煩悩が強いという事だ。
ラージャ・ヨーガの経典にも 「生命欲は煩悩だ」 と説かれている。
一切が苦なら、生命も苦ということになる。
当然、真我と呼ばれる高次元体も苦である。
釈迦は 「真我は見出されない」 と述べたが、ここで焦点になるのは何だろう?
真我があるかないか…というレベルの話ではない。
たとえ真我が存在しても、それもまた「苦」である。
故に、あらゆる執着から離れなさい、ということだ。
認識論と実在論 (存在論) を混同し、思い込みの力をどんなに駆使しても、本質は見えてこない。
釈迦の 「カルマの法則に例外は無い」 という教えも、それに基づいている。
その次元の観照の目が無ければ、それぞれの法則の繋がりを見失ってしまう。
私のスピ後輩の一人の例を挙げよう。
彼女は 「幸福に生きるための実践」 という次元において、実際にひとつひとつのカルマを観て、解消してきた。
幸せを邪魔しているカルマを…。
あくまで実践ペースだから、単なる観念論ではなく、実感が伴っていたわけだ。
私が実践するスピリチュアルも基本的に 「現実を幸福に生きる」 という目的がある。
カルマ解消の出発点も、そこにある。
それ自体は問題ない。
だが、宇宙での生命活動を離れようとする最終ステージでは、その指針だけでは十分だと言えないのだ。
輪廻を止める決定打にはならない。
人間の本来の仕組みでは、魂の願望がすべて満たされたときに、輪廻が終わるはずだった。
故にハートに照らしながら現実的に幸せに生きるだけで十分だった。
だが、不十分になってしまった。
人間本来のシステムに異常が生じたからだ。
原因を一言で表すなら、「必要以上に地上に留まり続けた」 ということ。
繰り返すが…、当初は少ない数の輪廻だけで魂の願望がすべて満たされ、根源世界に回帰できるシステムだった。
その予定だった。
ところが多くの人は、魂を傷付ける方向でのカルマを積んでしまった。
そのため魂の願望を満たすだけではなく、カルマ解消も重要なテーマになった。
しかし輪廻をどれだけ繰り返してもなかなかカルマが解消できない。
その道を選ぼうとしない。
むしろますます大量のカルマを積んでしまう。
こうして相対宇宙での生活が長引いている間に、その世界の霊的磁場(?)の拘束エネルギーが、魂とエネルギー体に深くインプットされてしまった。
故に、魂の願望がすべて満了したとしても、それだけでは現象界から離れることが出来なくなってしまったのだ。
だが、道が無いわけではない。
地上で生きる力とは結局 「地上に引き止めておく力」 だから、基本的に 「下降」 のエネルギーなのだ。
そのエネルギーを意識的に上昇させる手段が必要になった、ということ。
仏陀が説いた道は、まさしくそれである。
地球だけではない。
(相対宇宙において) 生命活動が可能な次元世界のどこに行っても、同じような仕組みがあると思料される。
その世界で生きる為に必要なシステムが無ければ、生命活動そのものが成り立たない。
したがって様々な条件がそこにあり、ある種の拘束力が生じるのだ。
最終解脱の道では、その力を打ち破れるような強力なエネルギーが必要となる。
だが、皆さんがいきなりその道を求める必要はない。
物事には順序というものがある。
まずは自分自身をよく観て、魂を生きることだ。
この記事は2013年12月にエンライトのスピ後輩のIさんが執筆・発表した記事がベースです。
その後エンライトが全面的にリライトをかけ、当時のmixiのスピ系コミュニティで再発表していました。
現在そのmixiページは閉鎖されていますが、兄のPCにhtml形式のログファイルが保存されていたので今回復元してみました。
みゅー@エンライト代理人