天職に囚われるな | 裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

裏宇宙からの遺言 -悟りと覚醒のプログラム-

道の道とすべきは常の道にあらず。名の名とすべきは常の名にあらず。無は天地の始に名づけ、有は万物の母に名づく。

天職という言葉にはロマンを感じる。
通常は現実レベルの才能・適性にぴったり合う仕事を差すことが多いが、スピリチュアルでは 「魂の願望」 「霊的なミッション」 といったレベルまで話が広がるケースが多い。

それはそれで大いに結構なことだが…、具体的なノウハウは実に貧弱だったりする。

一例が 「ワクワクすることをしよう」 「気分が良くなることを選ぼう」 である。
たったそれだけなのだ。

もっと重症になると、「好きなこと=魂の願望」 という短絡的な世界観を口にする。


好きという感情はアストラル体から発生するため、魂の意思とは必ずしも一致しない。
詳細は過去記事「嫌いなことをやれ」 で説明済みだが、…まあつまり、嫌いなことを魂が求めるケースもあるわけだ。

まず知ってもらいたいのは、「好き」と「得意」は違うということ。
「嫌い」と「苦手」も異なる。

好きと得意が一致するとは限らない。

広島カープの偉大な投手だった黒田博樹氏は、
「僕は野球を楽しむことが出来なかった。 チームを勝たせなければ…という責任感に縛られていた」
と述懐している。


好きなことにはメリットとデメリットがある。
嫌いなことにもメリットとデメリットがある。

好きなことは長続きしやすい。
努力を努力とも思わないから、苦にならない。
傍目には苦労人のように見えても、本人は 「楽しいからやってるだけ」 と涼しい顔だったりする。

そんな人に向かって 「頑張らなくていいのです。変わらなくていいのです」 などと迂闊にアドバスした日には
お前なに言ってんの?
と軽くいなされるだけである。笑

つまり好きなことは、モチベーションの維持という点でも有利なわけだ。


逆のことを言う人もいる。
「起業するなら、嫌いなことや苦手なことを選べ」 と…。

日本マクドナルドの創業者・藤田田氏がその1人である。
藤田氏は戦後、ユダヤ商法の見習い期間を経て、女性用の高級アクセサリーの輸入商を始めた。

「私は男だから、女物のアクセサリーを身に着けるわけじゃないし、本当は苦手なジャンルだった。
だから必死に研究した。
私が男である限り、女物は単なる商品として冷静に眺めることが出来るのだ」


その仕事で大きな財を成した後、米国マクダーナルズ社のフランチャイズ権を獲得した。
日本マクドナルドの誕生である。
設立12年後には、年商1000億円に達する大企業に成長した。

「私は戦前生まれだから、主食は未だに米食である。ハンバーガーのようなパン食は苦手なのだ」
「好きなことで商売するべきではない。溺れてしまうからだ」


藤田氏は画商の例を挙げて説明していた。
以下、簡単にまとめて紹介しよう。

絵画のコレクションを趣味にしている人がいる。
そういう人が画商を始めると大抵は失敗する。
貴重な作品を仕入れる度に、自分のモノにしてしまうからだ。

なにしろコレクションが趣味なのだからね。

だが、商いという点から考えれば、希少価値の高い作品ほど高値で売れることになる。
絶好のビジネスチャンスなのだ。
だが絵画が好きで好きで溺れてしまう人は、自らそのチャンスを潰してしまう。


特殊な才能がある人は、その分野で成功しやすいと言える。 好きだろうと嫌いだろうと…。
だが才能に溺れ、振り回され、転落してしまう人もいる。
どんな才能であれ、それを使いこなせる器が無ければ、身の破滅の原因になりかねない。


好きなことを気楽に楽しみたいだけなら、いちいち努力しなくていい。
だがこの世は相対界である。
好きなものと同じ数の嫌なことがある。

それは表裏一体である。
好きだからこそ、何かのキッカケで大嫌いになってしまう可能性もあるわけだ。


人それぞれの個性がある。
平凡な日々の中に幸せを感じる人もいるし、世界的な大成功者を目指す人もいる。

どんな道を選んでも良いが、そこで必要とされるものは単純ではない。
好きな分野で成功するとは限らない。
好きだからこそ、自分が憧れた業界の真の姿 (汚い実態) にショックを受け、絶望してしまう人もいる。

単なる趣味とビジネスは違うのだ。
お金が動く本当の世界は、綺麗事だけでは通用しない。


いろんなスピラーさんが願望実現や成功のメソッドを説いているが、真に現実化の仕組みを理解している人は少ない。

能天気で世間知らずの人間が 「好きなことだけやればいいんです」 とか 「心地良く感じることだけ選べばいいんです」と説いている。

それらは自我を気持ち良くさせてくれるが、その手の指導者の大半はお小遣いレベルの収入しか得ていない。
まあ、捏造写真でリア充をアピールする人は多いけどね。笑

中には巨万の富を得ている人もいるが、よく観察すると単なる 「信者囲い込み商法」 だったりする。
その人が説いている成功法則には大した効果がなく、「別の何かの要素」 で稼いでいるに過ぎないわけだ。

だからそんな成功法則をいくら実践したところで、大半の人は成功できない。
重度のスピリチュアル・ジプシーへと転落するのがオチである。

まともな指導者なら、人それぞれ最適なやり方が異なることを知っているはずだ。
だが今のスピ界には、まともな人が少ないから、「〇〇だけでいい」 という画一的なやり方を無神経に押し付けてくる。
その本質はマインドコントロールである。


「他人からの評価は気にするな」 「自分が自分を高く評価すれば十分」 とか本気で言ってるのか? と思う。

社会で生きる者にとって他者との繋がりは欠かせない。
もし、人からの評価が最悪だったら、死活問題になりかねないのだ。
動物だって発情期にはメス (オス) の気を引くために求愛行為をする。
他者からの評価を気にするのは当然なのだ。


スピリチュアルは全体的にあまりにも理想的で高潔で完璧な生き方を求め過ぎだと思う。
いいじゃん、多少の欠点はあっても…。

怒ってもいいし、嫉妬してもいいし、人と比較してもいい。
それらは度を越した時だけ問題になるのであって…、節度をわきまえていれば問題ないよ。


未発表のストック原稿を発表しました。(美雨)