桜鑑賞ツアー。 | ☆★ツアーコンダクター★☆

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北海道に生まれ育ちましたが、現在は東京にて添乗員してます、『にぽぽ』です☆
国内、海外毎日飛び回ってます!よかったら寄ってみて(≧ω≦)b
かなりサボり気味です…www

桜を見に静内の二十間道路の桜並木を見に行ってきましたが…まだ咲いていなく汗
開花予想日ものびのびで、今日だったのに…気付いたら今日になっていたけどあせる



まぁ、ここの桜は『エゾヤマザクラ』という種類の桜なんですよね~汗
北海道の桜の中でも比較的遅くに咲く桜なんですよねダウン


咲いたら、濃いピンクのお花がカワイイですよラブラブ


平取の義経公園に行ってきましたDASH!
北海道には源義経が渡ってきたっていう伝説が残されていて、『義経神社』なるものがあるんです!!
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文治五年(1189)閏四月三十日、藤原泰衡の裏切りにより源義経は衣川(岩手県胆沢郡)で三十一歳の生涯を終えたと、多くの史書は義経の最後をそう伝えています。
しかし、東北から北海道の各地には、衣川で討たれた義経は影武者で、義経は密かに落ち延びて、蝦夷を経て大陸に渡り、やがて成吉思汗(ジンギスカン)になったという伝説が残っています。
北海道のアイヌ民族の伝説に、衣川を脱出した義経は、竜飛岬から津軽海峡を渡り、蝦夷へ上陸したというものがあります。その事は、徳川幕府の大学頭であった林羅山の著わした『本朝通鑑』にも「衣川之役、義経死セズ、逃レテ蝦夷島ニ至ル」と記されています。
北海道平取町にある義経神社の社伝によれば、義経一行は蝦夷地白神(現 福島町)に渡り、西の海岸を北上、羊蹄山麓を廻り、日高ピラトリ(現 平取町)のアイヌ集落に落ち着いた。そこで義経は外夷よりアイヌ民族を守り、その傍ら農耕、舟の作り方と操法、機織などを伝え、アイヌの民からは「ハンガンカムイ」あるいは「ホンカンカムイ」と呼ばれ敬われていたと伝えています。
しかし、これには異論があり、先の義経神社の社伝とは全く異なる話がアイヌ民族の伝説として伝わっています。それによると義経はアイヌ民族から宝物を奪った大悪人ということになっています。
寛政十年(1798)、幕府の命を受け蝦夷地の探検にやって来た近藤重蔵(後の幕府書物奉行、大阪弓奉行)がアイヌ民族に義経伝説が残っていることを知り、翌十一年、江戸の仏師橋善啓に義経像を彫らせ、日高沙流のアイヌの民達に祀らせた。これが義経神社の始まりといわれています。


そういえば、公園内にはカタクリが咲いていましたよ~アップ
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ランチはお寿司です音譜
お客様は食べ放題でしたが、私は…ドライバーさんが魚嫌いの為、写真×2を食べまして汗
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