登録年:1999年
登録範囲:ツァー山を中心とする総面積4k㎡の巡礼公園

昨日の『シリーズ世界遺産100』はポーランドのカルヴァリア・ゼブジドフスカが紹介されましたが、この世界遺産のユニークさはルーマニアの城壁

教会に匹敵するでしょう。
ポーランド南部の村カルヴァリア・ゼブジドフスカにある丘とその一帯は、ポーランドの人々の聖地となっています。
「カルヴァリア」とはラテン語で「ゴルゴダ」を意味します。この巡礼公園は、自然の中にキリストの受難の地を巧みに再現した独特の景観で知られて

います公園は、地元の豪族ゼブジドフスキが1600年にツァー山に個人的に建てた礼拝堂が起源となっています。ツァー山の山頂をゴルゴダの丘に

見立て、山頂に至る道沿いにキリストの道行きを再現した44の聖堂や礼拝堂が建てられ、巡礼地となっていきました。


世界遺産シリーズ「カルヴァリア・ゼブジドフスカの景観複合体と巡礼公園」
www.nhk.co.jp/sekaiisan/card/cards310.html

登録年:2001年
登録範囲:ローマの東31キロ、チボリにある総面積4万5000㎡のエステ家の別荘


イタリアの遺産が多いのは。私がイタリア好きという事もありますが、3年連続で訪れた為、デジカメの画像が豊富なのです。

エステ家別荘はヴィラ・アドリアーナ(ハドリアヌスの別荘)と同日に見学しましたが、ハドリアヌスの別荘は広大なので、チボリに一泊してゆったりと見学する事をお勧めします。私はローマから日帰りで行ったのでチボリ家で2時間しか取れませんでした。
チボリはローマから31キロ東に位置する町ですが、古代から王侯貴族の保養地であり、周辺には自然を生かした広大な瀟洒な別荘が建ち並んでました。
ルネサンスの名門エステ家は修道院を改造したもので、完成するまでに100年以上費やしました。
この別荘を有名にしているのは付近を流れるアニエーネ川を利用した噴水で、その数は500にも及びます。
人の往来に合わせて水が流れる「楕円の噴水」、水の圧力で音楽を奏でる「音楽の噴水」などユニークな噴水が人々を魅了しています。



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登録範囲:城壁に囲まれた総面積7.3万㎡の範囲

登録年:1988年


ロンドン塔は88年に一度訪れただけです。
とにかく、拷問道具の数々があまりにも恐ろしかったのを覚えています。

この塔はあの有名なタワー・ブリッジの近くにあり、テムズにその白亜の美しい姿を映し出し、歴史の重みを感じさせます。
シェイクスピアは好んでロンドン塔を取り上げますが、それほど当時の人々にとっては畏怖の対象だったのでしょうか。

ローマの武将シーザーが現在のイングランド、ブリタニアに侵入したのは紀元前55年ですが、紀元43年、ローマ皇帝グラウディウス1世がブリタニアを征服したのちこの地にロンデニュウムという集落が形成され、それがロンドンの名称の由来だと言われています。
実際、地下鉄タワー・ヒル駅を降りると古代ローマの遺跡が残されていてその眼前にロンドン塔の城壁が広がっています。
ロンドン塔の主塔であるホワイトタワーが造られたのが1066年、今のフランス・ノルマンディーからイングランドに侵入してノルマン王朝初代の王ウィリアム一世制服王となったウィリアム・ギョームがホワイトタワー居城としたことが始まりです。1078年になると彼はホワイトタワーを中心に石造の宮殿を造ります。この宮殿城塞はのち歴代のイングランド王によって造営されますが、12世紀のリチャード一世、13世紀のエドワード一世の頃に大規模な改築工事が行われ、牢獄、王立造幣局、王立天文台、財宝置き場などた次々と増築されていきました。
その後、チューダー王朝に入ると牢獄、処刑場のイメージが濃厚になります。
ハンリー八世が「ユートピア」の著者トマス・モアや王妃アン・ブリンを処刑したことで有名で、一度入れば二度と生きては出られない場所として恐れられていましたが、かのバスティーユなどと同様、権力争いで破れた政治犯など高貴な囚人で溢れかえり、エリザベス一世も謀反の汚名を着せられて2ヶ月ここに収容されていました。

血塗られた歴史があるだけにロンドン塔にまつわる恐い話は数限りなく伝えられています。

数々の血塗られた歴史はロンドン塔名物の赤い上着と黒い帽子を被ったビフィーターと呼ばれるガイドが詳しく語ってくれますが、残念ながら私は英語が不自由なのでほとんど聞き取れませんでした。
このビーフィーターは最低22年の軍籍と功労賞を持つ退役軍人がヨーマン・ウォーダーが努め、"牛肉食らい=beefeater"という通称は、フランス語のブフェティ(buffetier)が変化したものだと伝えられています。

ロンドン塔は20の塔と建物から成っていますが、主要な名所は以下の通りです


◎ホワイトタワー
1078年、ウィリアム1世が起工させた石造りの建物で、王宮と要塞を兼ねている。外壁の風化防止用に塗られる石灰塗料で白く見えることからこう呼ばれる。
内部には武具、甲冑、拷問や処刑に使われた用具の展示がある。ヘンリー8世の妻アン・ブーリンやキャサリン・ハワードの処刑に私用された斧や斬首台なども残されている。

◎ブラディ・タワー
ロンドン塔の心臓部であるホワイトタワーに通じる入り口で、エドワード4世の死後、王の王位を継承した12才のエドワード5世と9才の弟が叔父のグロースター公リチャードによってここに幽閉され、殺されたと信じられている。

◎セント・トマス・タワー
13世紀にエドワード1世によって作られた。その水門はトレイターズ・ゲート(反逆者の門)と呼ばれ、国事犯がテムズ川から船でこの水門をくぐって城内に入った事に由来する。映画「エリザベス」にもそのシーンが登場する。

◎ベル・タワー
宗教改革に反対したトマス・モアはここに15ヶ月投獄されたのち、処刑された。エリザベス王女21才の時、陰謀に荷担したと疑われ、投獄されるが、奇跡的に2ヶ月で出られた。そのせいでエリザベス1世は終生ロンドン塔を嫌ったという。

◎ピーチャム・タワー
西側の防衛の役割を担当する塔で塔内に収容された幽閉者の刻字で有名。
石の壁に囲まれたこの部屋に閉じ込められた人々は、自分が処刑場に送られる日が来るのを恐怖と不安に脅えながら、自分達の非業の運命を嘆き、時世の文字をその壁に刻んだ。その中に17才にして斬首台の露と消えた女王ジェーン・グレイの名前を見ることができる。

◎タワー・グリーン
ロンドン塔内の処刑場で、計7人の首が跳ねられ、そのうち5人は女性。
その中にはあの1000日の女王アン・ブリン、上記の17才の犠牲者ジェーン・グレイも含まれている。

◎武器展示室
中世にはロンドン塔に大武器庫があったことから、その伝統を引き継ぎ、現在ホワイト・タワーには多くの武器が陳列されている。

◎セント・ジョン礼拝堂
1080年に完成した石灰岩で作られた簡素なノルマン式の礼拝堂。

◎ジュエル・ハウス(宝物館)
王冠や刀剣など、王室の宝物が煌びやかに展示されている。
注目は1838年ヴィクトリア女王の戴冠に使われた"インペリアル・ステート・クラウン"でこれには「第2のアフリカの星」といわれる309カラットのダイヤをはじめとする宝石がちりばめられている。
また、十字架飾りの王しゃくには530カラットもある世界最大のダイヤモンド"アフリカの星"がはめ込まれている。これは南アフリカ政府から1910年に献上されたものである。


ちなみに、ロンドン塔最後の囚人はあのナチスのルドルフ・ヘスでした。