登録年:1990年

登録範囲:城壁内の歴史地区


中世から19世紀にかけて、トスカーナには個性豊かな城塞都市が数多く建設され、それぞれが独自の文化を育み、発展していきました。
このサン・ジャミニャーノもその一つですが、個人的にはアッシジと並んで思い入れのある町。
伝説によると権力争いに敗れた兄弟のムツィオと共にローマから逃れたシルヴィオという若者が丘にとどまって、"カステッロ デッラ セルヴィア"(森の城)を築いたのがこの街の始まりだと言われています。この町はサフランの一大生産地であり、ローマとフランスを繋ぐフランチェジナ道が町まで伸びていて、商人や旅人が訪れ、街が活性化しました。交易で富を蓄えた貴族達はやがて競って富と権力を現すシンボルを築き始めました。
それが今も町に残る塔であり、最盛期にはそれは72基の塔が林立したと言われています。最初は、教皇派と皇帝派に別れて争う貴族達が防衛上の目的で建設しましたが、いつの間にか貴族が力を誇示するための高さを競うものとなっていきました。中世の面影をよく残していてイタリアの偉大な監督フランコ・ゼフィレッリはこの街をアッシジに見立てて『ブラザー・サン・シスター・ムーン』を撮影しました。
長い昏睡状態から目覚めたフランチェスコが鳥を追いかけて屋根を歩くシーンでは、この塔が映し出されてますが、青空の中を羽ばたく鳥と高くそびえる塔とのコントラストが見事でした。サン・ジミニャーノは不便な場所にあり、フィレンツェからバスでポッジポジという街まで出て、そこからサン・ジミニャーノ行きのバスに乗り換えなければなりません。幹線から離れているがゆえに開発から取り残されて、中世の街がそのまま残ったのは他の城塞都市にも言えますね。サン・ジャミニャーノに向かうバスからの眺めの美しさはため息が出るほどで、オリーブとぶどう畑に覆われた緩やかな丘稜の所々にトスカーナ独特の糸杉を抜け、突如として不揃いな塔が空に向かってそびえるその街が姿を現わすその情景はとてつもなく印象的で、その感動はとても言葉では語り尽くせません。



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登録年:1999

登録範囲:総面積1.2k㎡の別荘跡


五賢帝の一人、ハドリアヌスはヒスパニア(スペイン)のイタリア系貴族の出身で非常に統治能力に優れた皇帝でした。
彼は広大なローマ帝国全土を旅しましたが、この別荘ヴィラ・アドリアーナは彼が旅行した土地の特色が色濃く出ていました。当事ローマ統治下にあったエジプトやギリシアなどで皇帝が感銘を受けた建物が再現されています。この別荘はローマから一時間ほどのチィボリという街に118年から建設されました。別荘の敷地は300ヘクタールにも及び、一つの街と言ってもよいほどの規模でした。
現在明らかになっている4分の1のスケールでさえこの広さだから往時の姿がどのようなものだったのか 現在残っている廃墟からも容易に想像できます。ヴィラ・アドリアーナは街の斜面の緑の中に建てられていて、自然との調和を考えて建設されました。 都会に住む貴族達はローマの喧騒を離れ、このような田園風別荘を建てたものでした 広大な敷地内には池や浴場、神殿や劇場までありますが、中でも印象的なのは「カノーポ」と呼ばれる池を囲んだ一角だ。 カノーポとはエジプトのアレキサンドリア近郊にあった場所でハドリアヌスが寵愛した美少年アンティノウスがここで溺死したことで有名です。



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ここがカノーポ





登録:2000年

登録範囲:旧市街を含むヴェローナ中心部の約4.6km


ヴェローナへは2002年4月に初めて訪れました。その前日までいたコモ湖は、雨が降っていて摂氏10度という寒さに震えていたものですが、ヴェローナに到着すると雲一つない快晴で気温も22、3度という暖かさで慌てて防寒着を脱いだものでした。

 ここにはローマ時代のアレーナがほぼ完全な形で残されていて、コロッセオ程ではありませんが、かなり巨大なもので2万人が収容できるようになっていて夏にはオペラが開催されます。
 でも、この街を世界的に有名なのはロミオとジュリエットの舞台となった場所だから。
 この街にはジュリエットの家があり。蔦の絡まる家にはバルコニーがあり、ここに立つ観光客が後を絶ちません。中庭にはジュリエットの銅像が立っていて、その右手に触ると幸せな結婚ができるという言い伝えがあり、彼女の右手はピカピカになっています。ここがジュリエットの家だったという保障はありませんが、今でもこの家で悲劇に終わった恋に想いを馳せる人々がバルコニーを見上げ、壁には恋の成就を願って観光客による落書きで埋め尽くされています。
 この物語にはモデルがいて、ジュリエッタは皇帝派のカプレーティ家の娘、片やロメオのモンテッキ家は皇帝と対立する教皇派であり、若い二人は政治的な争いに巻き込まれ、悲恋に終わりました。
 彼らの物語は中世の時代、吟遊詩人によって語られ続けられ、それが1530年頃、ルイジ・ダ・ポルトによって初めて文章に綴られたました。そのフランス語訳がイギリスに渡り、1562年にアーサー・ブルックが『ロミオとジュリエット』の悲劇の物語として詩に綴りました。この詩がシェイクスピアの目に留まり、彼の作品の原型になりました。
 ヴェローナが最盛期を迎えたのはデッラ・スカラ家の治世下の13~14世紀とヴェネツィアの支配下にあった15~18世紀のこと。
駅を降りるとすぐバスのロータリーがあり、そこからバスに乗ってアレーナで降りるとそこから北東へとお洒落な繁華街が伸びています。これはマッツィーニ通り-Via Mazziniはモダンなショッピング通りで、イタリア特有のカラフルな色彩が溢れるブティックやジュエリー・ショップなどが軒を連ね、そのまままっすぐ歩いていくとエルベ広場に突き当たります。ここは町の中心地になり、数多く建ち並ぶ屋台と観光客とで地面が見えないほど。街の喧騒を逃れ、川の方に向かうとカステルヴェッキオとスカリジェロ城に辿り付きます。



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ローマ劇場



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ジュリエットの像