突然 | カズくんとセリカ(celica GT-FOURRC)とsw20(MR2)との珍道中記





今年は、ラッキーな年なのか?アンラッキーなのか?分からなくなりました。


オイラは高校3年の頃、然も!高校3年と言えば、1番中学3年の時より大事な頃。進学するのか?将又、就職してやって行くかの先ず最初の人生の分かれ道。分岐点とも言う時期ですよね。


その頃にオイラは、致命的なコレから先一生、難儀して付き合って行かなきゃならない。治しようがないと、下関のオイラの地元の済生会病院の医師に、宣告を受け突然、人生のドン底に堕とされた経緯があるんですね。


それは、突発的に発症した、右足首関節炎。ただの関節炎なら、所謂、関節の炎症で肩が付きますが、なんと!オイラの右足首。アキレス腱(踵の部分)に、針の様な骨?が、アキレス腱に干渉して、炎症を、起こしていたのが、この時の大元!発症原因だったんです。


っで高校の時、通院していた下関にある済生会病院に、それ専門の医師が居るからと、生前オイラの母ちゃんが、探し出しそれで済生会に通院していたんですが、痛恨でした。「今回の君の右足は、私では手の施しようが無い。手術出来ない。」「申し訳無いが、一生この右足に発症した関節炎と、付き合うしか無い。」ダメ出しまでされてました。


皆んなは、高校卒業した後の行き先が、確定や内定した者、まだまだコレから大事な受験を、控えた者。勤しんでいました。そんな中、オイラは人生の行き先が、決定付けらたも同然でした。しかし、腐らず右足とは、付き合って行くしか無いと、踏ん切り皆んなワイワイ賑やかにしている中、オイラの右足首に、気遣ってくれる者、誹謗中傷する者色々要るなか、前を向いて行く事に、決意した時でもありました。


そんな状態で、欠席扱いでしたが、オイラの母ちゃんが卒業証書を、受け取って来てくれました。そして定期的に、済生会に通う日々を、暮らしていた最中、オイラの母ちゃんが、心の病に伏せ働けなくなり、そして平成12年1月18日明朝、息を引き取りました。

そしてオイラは再起をかけて、再び右足を手術して治る!絶対治して皆んなみたいに仕事について、生活しちゃる!免許も取らなきゃな!意気込みました。


皮肉でした。母ちゃんが亡くなってからオイラが、22歳の時、済生会から自宅から近い町医者。時任整形外科と言う、町でもちょっとした評判の病院です。オイラが小学生の時、自宅裏の道路で、自動車に跳ねられその時に人生で、初めて救急車で運ばれました。その時以来の時任整形外科でした。


そして時任整形外科に、必然的に入院。治療が始まりました。しかし、入院して10日も経つが、結果は済生会の時と同じ!かに思えた矢先でした。鹿児島にオイラと同じ手術を行い治した名医が居た!との朗報に、胸沸き驚きました。希望が復活した時でした。


そうしてメチャクチャ痛かったけど、オイラの右足は、普通に歩けるし走れ、人並みな事が出来る程、回復。今までそんな事が有ったのか!?と、思ってしまう程、オイラの右足は自然です。そして、見事に普通自動車免許(現在 中型自動車免許 8tまで)を、山陽自動車学校に通い中免から卒検まで、見事!1発で合格。


その後、山口県は新山口(旧 小郡)に免許センターがありますが、本検も見事!合格!それから3年後、オイラは国内B級ライセンスを、山口県支部のJAF支部で受講。国内B級ライセンス取得後、初めて観戦していた側から、選手。プレイして行く側となった始め。最初の時ですね。


結果、母ちゃんが亡くなってオイラが、22歳の時でした。物凄い不安と「母ちゃんが生きていれば…どんだけ喜んでくれた事か!!…」そんな複雑な心境でしたね。今でも決して忘れることの出来ない。忘れちゃいけない頃の事ですね。普段は決してオイラの口から積極的に、話さない今回が初めてではなかろうかと、思います。


今回、突如、起こったオイラの左手?左肘?左腕の腱鞘炎。確かぁ、オイラの母ちゃんも、利き手は右手だったが、右手…腱鞘炎だったよなぁ。日々、痛い痛いが口癖だったよなぁ…っと、走馬灯の様に、思い浮かんでも来ましたね。


まさか!この腱鞘炎。一生付き合って行かなきゃならないんか!?そう思うと、居ても立っても居られなくなり、折角、作ったセリカくんの復活車検の資金も多少使って、完全に完璧に治療して治す事に、専念する事にしました。



それで、セリカくん弄る事はもとより、オイラの日々の工場への出勤も、一時休止してました。クリニック(整形外科)では、診察しに行ったその日に、ドクターストップ!がかかり、仕事も何もかんも、一時休止しました。ってか、痛過ぎて左手が動かないんです!


左手がグー✊パー✋に、頑張って動かしても親指の付け根が、痛過ぎて動かない。右手は疲労困憊してるだけ。利き手が使えなくなると、かなり辛い。そうして医師から社宅で出来るリハビリ法など、教わりました。


そうしてやっと昨日から、左手の指が動く様になって、しっかりグー✊パー✋が、出来る様になりましたが、咄嗟な時。咄嗟に何かにしがみ付こうと、握るとまだ痛いみが出ます。握力も完全回復してないもんなんで、まだ危ないですね。


しかし、昨日よりかはかなり、握力も回復して来たかの様に、思える今日ですね。処方箋で貰った湿布が足りなくなり、昨日、クリニックに貰いに行った時に、付け加える様に言われました「じゃあ〜今が1番肝心な治りかけ!」「ですね!無理な晒す、治るまで大事になさって下さい。」


でした。なもんで、部屋でも教わったリハビリ法を、やりながら処方箋を、服用しながら大人しくするしか無いな。致し方あるまい。左手が完全回復するんなら…。


そう思い、左手の回復に専念しています。やっとiPhoneや箸も持てる様にまでなって来ましたが、箸を使う時、時折、手の甲に痛みやしこり、手首に「痛っ!!」って、悲鳴をあげてしまう痛みが、今だに退きませんね。



しかし、昨日より確実に回復して来ています。仕事にしろセリカくん弄るにしろ、オイラの左手が完治するまで、今しばらくお待ち下さい。





宜しく、お願いします。





















…to be continued。