政治の組織の場その1 | 日本という物語にサヨナラ

日本という物語にサヨナラ

職場や学級や家族など、さまざまな場で起こっている問題の原因と解決を考えます。どちらかというと若いお父さんお母さん、ご家族に読んでいただければと思います。

先の、会社の組織の場の項で、最初にある市町村の長の話を書いた。その話は厳密には政治の場の話だった。もちろん、会社の組織のみならず、政治の組織の場でも同じ種類の問題があるので、例に引いた。ここではその、政治の場での話を続ける。

 

とはいえ私に政治の経験はないのだが、紹介せずにはおれない本がある。90年代だったか、カレル・ヴァン・ウォルフレンが書いた「日本/権力構造の謎」はベストセラーになった。タイトルに目がひきつけられて思わず買ったがあまりにわからなすぎた。しかし権力に関わるウラ話が面白く、理解したと思うまで10回以上、分厚い上下本を繰り返し読んだ。それから「人間を幸福にしない日本というシステム」なども繰り返し読んだ。読んで一通り理解できたころ、大きな疑問が一つ残った。

 

この疑問こそ、今までこのブログで場の問題として書いてきた、小集団の問題に通じている。

 

ウォルフレンは日本に独特の権力構造を「システム」と呼んで解説した。政治家の言うところとは程遠くいかに官僚の政治に及ぼす力が強いかを解説した。中央の政治組織のみならず、いろいろな圧力団体、組織の権力の在り方も分析されていた。それぞれの組織が互いに相互作用するさまを書いた。官僚の支配が強いとは言ってもそれが権力のトップということではない。財界のトップに君臨する人たちも含めて、政・官・財で日本の政治が実質的に動かされている。そのどれが頂点に立つものでもなくて、それらのトップにいる人たちのことを「管理者集団」と呼び、彼らの相互作用によって物事が動いているとした。


ウォルフレンのこの本は当時のみならず今でも政治権力の分析のためには欠かせない教科書となっていることだろう。基本的には、日本の伝統的な権力の行使の仕方を、全く文化の異なる欧米の人の目から見たらどう記述されるのか、という問に一つの答えを出してくれている。極めて客観的で鋭い分析になっていて、政治学や社会学では必ず読まれていると思う。しかしこのブログは社会学に通じるところはあると思うが、子育ての問題、家庭の問題、学級の問題、ひきこもりの問題、生きづらさの問題、からはじまった。この内容にウォルフレンが引用されることはほぼないと思う。ウォルフレンを知っている人にとっては、このブログでほんの少しの内容だけ紹介されるに過ぎないことはがっかりかもしれないが、そもそも全般的には異なるジャンルの話であり、その上で引用する一部だけは決定的に関係があると私は思っている。

 

先の話に戻ると、この管理者集団とは結局、一体何かと、一通り理解した後の私は疑問に思った。権力の所在を分析するのに、最終的にはシステムと、管理者集団という言葉でオブラートにも包まれてしまった気がした。よくあるマンガなどでは黒幕という年老いた悪者が出てくるが、そんな存在はいないというのだ。長い間その事を考えていて、結局そこに見えたのが日本の文化なのだと思った。長いものには巻かれろ、出る杭は打たれる、など。総理大臣でも杭になってしまったら打たれてしまうのだ。だから集団体制にくるまれているのだ。ならば、結局ウォルフレンも、日本の文化がわからなかったのだろう。彼はとても日本を愛してくている人なのだが。


そんなふうに思いながら私はわかった気でいたが実は私もわかっていなかった。私がわかるのはもっと後に中根千枝の概念を理解してからだった。管理者集団といえどもつまりは中根の言うところの小集団にすぎない 。個が出るのではなくて主体が集団にあるのだ。そのよくわからない様体をウォルフレンはシステムと名付けたのではないか。

 

一見すると全く異なる分野の問題、家庭や学級での場の問題、つまり例えばひきこもりが長引いたりいじめがなくならない問題と、政治の中枢で生じている問題、つまり政治家によってふさわしく権力が行使されていない問題、集団体制でいつも意思決定が遅い問題など、とを同じ地平で眺めることは、実は意味があるし、その共通基盤に小集団を据えることですべての現象を、解明とまではいかないだろうが、十分にわかりやすく光を当てると私は考えている。


いま自民党は派閥のパーティーなどで得た資金を個々の政治家に還流し、そのことを帳簿に記載してこなかった問題で揺れに揺れている。岸田内閣は全く頼りないが、頼りなくリーダーシップも取れていないことに失望する人にとっては、それまで強いリーダーシップを取れてきた安倍元首相のイメージが大きいのではないかと思う。ウォルフレンは当時までの歴代首相のリーダーシップのなさを挙げていた。当時はたしか中曽根元首相はまだ強い首相のイメージがあったが、ウォルフレンに言わせれば彼が残したはっきりとした実績は国鉄の民営化くらいだと断じていたと思う。そのウォルフレンをもってしても、安倍元首相の手腕は歴代首相の中でも抜きんでいると評価するのではないかと思う。私は自民党の支持者ではないが、安倍晋三さんの手腕はすごいと思って見ていた。あの大きな自民党を動かすし、官僚には法律を整えて彼らの意向を制限して政治主導の体制を築いた。安倍さんがまとめた法律はかなり多いのではないか。だから、安倍さんを基準に見ると、政治家はリーダーではない、管理者集団の一人としか見れない、とする考え方には違和感を持つと思う。けれども例えば安倍さんが首相になる前には1年毎くらいに首相がコロコロ変わり、何もリーダーシップを発揮できていなかった。長い目で見れば安倍さんだけが特異な切れ者だったと思う。


もともと安倍さんは、派閥の個々の政治家への、パーティ収入からの資金還流をやめて改めようとしていたとの記事があった。ご存命中にできていればよかった。五人衆の体制になってリーダーシップは取れなくなり、どっちつかずに放置されたのだろうと想像する。残念なことだが彼らは政治家としては普通の、通常の人たちなのだろうと思う。


そういうわけで今の自民党の体たらくを嘆くのは、それはそれぞれの方のお考えによるが、それ以上に、政治家を持ってしても、日本という大きな物語の、その中でも最も重要な特徴である、小集団の特性からは自由になれていないのだ、それはウォルフレンの昔から、いやそのもっともっと昔からそうだったのだ、ということを嘆いていただいてもよいのではないかと思う。


※ウォルフレンの権力構造に関わる話や政治の話は私にとって敷居がやや高く、無理解の点、お見苦しい点もあるかもしれない。徐々にでも、気がつく範囲で改定していきます。