不登校に陥っている子を前にして、大人は何の話ができるだろうか。本人によりそう姿勢は大事だが、それはただ現状維持に働くだけかもしれない。かといって「がんばれ」と叱咤激励しても本人にとってはしんどいだけだろう。
私の場合は、マラソンを始めた時の話なら何か参考にしていただけるかもしれない。
30歳過ぎて春先にひいた風邪の治りが遅かった。暴飲暴食するだけで健康づくりしなければ、そろそろ体に響く年齢に入ったのだ。職場ではフルマラソンを走るグループが一年前に立ち上がり、励ましあって頑張っていた。私も健康づくりのためにフルマラソンを走ろうと思った。
「健康づくりのため?そんな軽い動機でフルマラソンを走れると思ってるの?」
グループの人からは笑われた。けれども自分は運動の適性では長距離走に良いイメージを持っていたので、半年後のフルマラソン大会に出ることに決めた。
最初に5キロを走ってみることにした。すると3キロ走った時点で完全に足が止まった。汗が滝のように流れて足もがたがた。もう一歩も走れない。確かにまだ季節は夏を引きずってはいたが、3キロでこれなのか?どうやって42キロを走れるようになるというのか?
あきらめることが頭をよぎった。まず無理だ。
まあしかし決めたことだから、まず無理だ、というところをベースにして、何キロ伸ばしていけるのか、今すぐすべてをあきらめなくてもいいしもう少し頑張ってみようと思った。
5キロを走りきることが最初の目標になった。何回も繰り返し練習して余裕をもって走り切れるようになった。
次は10キロに挑戦した。5キロの二倍の距離だから二倍の時間をかけて走ればよいと思った。その考えがどんなに甘いものかすぐに思い知らされた。距離が二倍でも、体力的には3倍4倍もの負荷に思えた。5キロと10キロの間には目に見えない壁が立ちはだかっていたのだ。解説書によれば、10キロ以上を走ってはじめてマラソンの練習になるという。それは足腰の疲労が初めてかかってくる距離なのだ。今までの5キロの練習は何だったのか?
とか思っても仕方がないのでコツコツと10キロの練習を繰り返した。スピードは遅いのだがまずまず走れるように、そのうちになった。
しかしその後も同じことが何度も繰り返された。10キロを走れたとしても15キロはすぐには走れなかった。そこにも大きな壁があった。15キロ走れても20キロはすぐには走れなかった。何度も繰り返して20キロを走れるようになっても25キロを走ってみたら別世界だった。
いったいフルマラソンとは何という世界なのか。
その陰では自分の体が少しづつ変わっていくのを感じてもいた。最たる変化は太ももだった。最初、太ももはどんどん痩せていった。大丈夫か?病気ではないか?とも思ったがやがてずっしり重い肉が集まってきた。丸太のようなガチガチの固さとなった。脂肪の塊が筋肉の鎧に変わったのだ。
走り方も変わった。一所懸命に前のめりに走っていたのが、姿勢を正してできるだけ力を抜く走り方に変わった。いわゆる「すり足走法」だ。楽に走るためには手をしっかり振っていくことも大切だと知った。
ハーフマラソン大会も完走した。やがてフルマラソンを一か月後に控え、距離を延ばす練習の最後に、36キロに挑戦した。
惨敗だった。家に帰ると玄関に倒れこみ、30分は動けなかった。
それでも36キロは走れたのだ。残りの6キロは腹をくくって、気持ちで走ると決めた。
本番で、気持ちでは走れないことを思い知らされた。他のランナーの多くと同じように、30キロを超えると立ち止まり、歩き、膝を抱えていた。残りの5キロが永遠の地獄に思えた。沿道から沸き起こる「がんばれ!」という声がどんなにうっとおしいものか、はじめて理解した。がんばれ!だと?今まで頑張らなくて30キロを走ってきたとでも言うのかあなたは!と叫びたかった。30キロ走ってきたランナーが声掛けしてもらいたい言葉は「あなたは頑張った」「よくやったね」なのだった。自分もしんどいのに私に「ファイト」と声をかけてくれるランナーもいた。私は膝にガチガチにテーピングをしていたので、それを見てのことだった。足腰が痛く、立ち止まっても、歩いてもそれは変わらなかったので、最後にはまたあきらめて走り出した。4時間30分程度で完走した。途中で立ち止まっても時間内にゴールすれば「完走」なのだった。ようやくフルマラソンの世界に入ることができた。
ところで、話の本番はここからなのである。フルマラソンを走らない人にとっては別世界だと思う。しかしフルマラソンを走る人の世界の中でもまた、さまざまな行き方があった。私は途中でやめた時期も含めて30代40代のおよそ20年間で10回以上フルマラソンを完走した。しかしもうお分かりの通り、私はこの世界の中では落ちこぼれだった。市民ランナーはサブフォーをめざす。4時間を切ることが市民ランナーの格なのだ。私にはどうあっても越えられない壁だった。ただ、健康づくりが目標なので、一年に一度大会に出ると決めたならばそのうち半年近くは練習して準備することになるので、十分に目標を達成するのだ。だから20年近くお付き合いさせていただいた。その間にはいろいろな「マラソン模様」があった。
「フルマラソンを走るのですか。すごーい」と言われるようになってフン、フンと鼻を高くすることは多かった。ただ一人だけ、ありえない言葉を聞いた。「フルマラソンを走るのですか。実は私も一度だけ走ったことがあるのです。何も練習しなかったのだけれども、5時間かかりましたが完走できましたわ」
はあ?何それ、あり得ない!しかし世の中には、一切練習しないでも走れる人がいるようだ。
「次の大会に君も出るのか。じゃあどちらが早くゴールするか、勝負しようか!」
先輩から声をかけられた。そのように声をかけられても困るのになあと思ったが、「いいですよ勝負しましょう!」と返してしまった。先輩はサブフォーのランナーだ。この人に勝てる可能性はゼロなのだ。だけど一緒に大会に出て楽しめたらそれでよいので話のネタにはなると思った。
ところが先輩は大会前の練習で膝を痛めて出場を断念した。私は予定通りに大会に出てとても遅く走り切った。
「へえ、先輩は出なかったのですよね。私は出て記録を残せました、だったら私の不戦勝ですよね!」
思いっきり言ってやった。先輩はたいそう悔しがっていた。しかし足腰を痛めて出場断念することも多い世界なので、立派な勝ちではあった。
また同じ職場の後輩なのだが、仕事でもウマが合い一緒に楽しくやれていて、走りもサブフォーで仲間の先頭に立つ人が、夏の終わりに暗い顔をして私に話しかけてきた。
河川敷で走っていたのです。突然目の前が真っ暗になって、そこから先を覚えていません。意識を失ってバタッと倒れたのだと思います。普通の街中の道路を走るのと違って、夏の河川敷って、ほぼほぼ人の通りがありません。私の場合には、たまたま見つけてくれる人がいたので救急車を呼んでもらえました。それで一命をとどめることができました。だけどもしも誰も通らなかったらどうなっていただろうと思うと怖くて仕方ありません。そういうわけで、もうフルマラソンの大会には出ないことにします。
フルマラソンは、数あるスポーツの中でも死亡率が高い。こういうこともありうるのでやむを得ない。私が大きなトラブルなく走り続けられたことの方が奇跡だったかもしれない。しかし彼の中ではマラソンを走っていたことが記憶から消し去りたい経験になってしまったかもしれない。とは言え彼は、その後仕事ではさらに成績を上げ、転職を成功してキャリアアップを果たしていった。
私のこの世界での終幕は、着ぐるみとなった。大会に出るとさまざまな着ぐるみランナーがいて、コスプレの本格さと、それにもかかわらない走りの良さに感心させられっぱなしだった。私の中での最優秀コスプレイヤーはアイアンマンだった。全身仮装でめちゃくちゃメタリックで、なんと頭には塗装されたフルフェイスのヘルメットをかぶっていた。どうしてそれで完走できるのかまったく意味不明だった。長い金髪をなびかせた白人女性のセーラームーンも忘れられない。もう記録はどうでもよいからずっとこの人をつけていこうかと思ったら、途中からいなくなった。セーラームーンは折り返しあたりでリタイアしたようだった。マリオとルイージーが、あのゲーム音楽を流しながら二人で並走していた。あの音楽のとてもゆっくりしたテンポに合わせているので、かなりペースが遅い。それで普通に抜いてしまった。30キロを超えて私の魔の時間帯が迫り、走りを止めざるを得なくなった時、後ろからかすかにあのゲーム音楽が聞こえてきた。その時の負けた感は忘れられない。
最後の大会にしようと思った時、本当に、記録なんてどうでもよくなった。有終の美とまでいかずとも、楽しく終わりたくなったら、なんか被ろうと思った。職場の仲間が妖怪ウォッチのウィスパーの被り物を作ってくれた。布製のウィスパーが私の頭の上に載っているような形となった。とても勇気がいったが会場であきらめて被った瞬間にボランティアの女子がくすっと笑ってくれた。それで吹っ切れてウィスパーは走り続けた。ウィスパーに対する声援は多かった。魔の30キロに差し掛かった時に、いつもなら立ち止まるが今日はできないと感じた。どれだけ遅くてもいいから何とか走り続ける方を選んだ。最後まで声援は途切れず楽しく手を振りゴールできた。5時間以上もかけた最も遅い記録で、最も楽しい記憶となった。
これで私のフルマラソンの世界は終わった。
けれども実は、この話の本筋はこれからだったりする。
今まで話したフルマラソンの世界を、学校生活に置き換えてみると、どうなるだろうか。さしずめ私は不登校気味の生徒だった。まず学校に通い始めることができなかった。あきらめることが頭をよぎった。まず無理だ。とはいえ完全にあきらめるでもなく、まず無理だ、をベースにしてよいから、と少しづつ練習した。すぐには結果は出なかった。試みる先々で壁があった。一方で、続けるうちに自分の体調も変化していった。少しづつ行きやすいように変化してくれた。学校生活に慣れるにはコツも必要で、少しづつわかってきた。一所懸命に行こうとするよりは、力を抜いてできるだけ楽にしていく方がうまくいった。やがて何とか学校生活になれることができた。ただし「がんばれ」という励ましは本当に嫌いだった。ここまで頑張っている人間のことを少しくらいは思いやってほしいと思った。
学校生活では、テストの成績はいつも悪く、この世界の標準的な点数を取ったことはなかった。けれどもそれで私は単なるダメ生徒だったかというと、どうだろうか。
学校行ってるの、がんばってるね、という大人もいたが、中には「そうですか。実は私は何の苦労もしなくて一切の勉強もしなくて普通に学校に行って良い成績取ってましたわ」という人もいた。確かに世の中にはそういう人もいるかもしれない。
「君も次のテスト受けるのか、じゃあ勝負しようか」という人もいた。勝負したって勝つはずがないのだが話のネタにはなるから「じゃあ勝負しましょう」と言ってみた。ふたを開けてみればその人は体調不良で欠席。私は低い点数でテストの結果を得た。だったらこの勝負、私の勝ちだ。
同じく成績優秀でクラスのトップを走る人がいた。けれど大きなトラブルがあって、その人はある日を境に学校に来なくなった。学校に行きづらくとも、なんとかねばっていける人もいる一方で、楽しそうにしていたのに突然来れなくなる人もいるかもしれない。その人にとっては思い出したくない過去かもしれない。けれども学校生活がその人にとってもすべてではない。もともと優秀な成績の人。その後の人生も楽しく切り開いていくことだろう。
学校生活と言えば、通えることが大事で、次は成績が優秀でありたいと多くの人が思う。多くの人に言われる。けれど中にはそんなことにとらわれてなくて楽しく学校生活を送っている人がいる。最後の授業で少し気がついた。例えば、マラソン大会は出場する本人だけでなく、大会の運営、ボランティアの人々、沿道で声援を送る人々によって成り立っている。そのことが大事だ。コスプレをきっかけにして、いろいろな人々と喜びを分かち合える。走ったことやその記録が大事なのではなくて、その過程が大事であり、周囲の関係の人と分かち合える価値がある。学校生活にも本来の価値が他に隠されているかもしれない。そのことを知る人こそが真に楽しく学校生活を送るだろう。それは家を出る際の何かかもしれず、道すがらに出会う猫かも、よそのクラスの子かも、図書館に埋もれた一冊かもしれない。
マラソンをやめて数年後、今の障害福祉事業の仕事をしていて、身体が弱くて風邪をひきやすく、体調が整いにくい人に、マラソンをすることを勧めた。マラソンを走れてしまえば体も変わり、今までの不調は一切なくなるよ、と言ったのだがその人は、とてもそれはできない、と言った。確かに誰にでもできるスポーツでもないとは思うが、彼が言うには、自分は過去にイベントで3キロ走をしたときにとてもしんどかった。だから42キロなんて考えられないと。その時は話を終えたが後になって、3キロでしんどかったって、それは私自身がマラソンをし始めた時と同じであるだけではないか、だったらコツコツ練習すればできるではないか、と考えてしまった。3キロしか走れない。それならばまずは無理だろう。そう考えることは当然なのだが、そこで話を終えるか、無理ベースで始めるかで、その後は変わる、ということになる。
これで最後の最後になるのだが、それでは私は、なぜ無理ベースで始められたのか、こそっと打ち明ける。言ってしまえば身もふたもないことと思われるかもしれないのだが。
私は20代の時に進路をきっかけにとても悩んでいて、挫折するしかないと考え、それならば自殺するしかないと思いつめたことがある。とはいえ自殺すること自体も大仕事なので、実際にはできなかった。ならば死んだつもりで生きなおそうと思った。つらい思いを引きづりながら、どんなにしんどいことがあっても、死を覚悟した時ほどしんどくはないだろうと思って生きてきた。しんどい局面に立った時にはいつも、自殺を考えた若い時を思い起こした。そこが自分の本当のベースなので、その後に何があっても耐えられるようになっていった。
だから、確かにフルマラソンはきつい世界だったが、自分にとってはなんてことない、やろうと思ったのならばやればできるさ、という程度の「低い」ハードルだった。ちなみに私が今の仕事をしている理由は、若いころの私と同じく苦しんでいる人の助けになる仕事を求めたからだ。
という感じなのだが、この最後の文章は果たして書いてよかったのかどうか。それはお読みになるあなたに委ねます。