藤原行成 | 文武一道

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 NHNの大河ドラマ『光る君へ』で、“書の達人”⁉…藤原行成


 この藤原行成は、ドラマに初登場以来、常に物腰柔らかく、学識の高さが滲み出て、人の好さも感じさせます❗

 では、実際どんな人物だったのか?

 書に関しては「三蹟」の一人に数えられる当時の達人で、政務能力にも長け、「寛弘の四納言」と称され、藤原道長や歴代の天皇からも信頼を得る有能な人物でした‼



 藤原行成は天禄三年(972年)、藤原義孝の子として誕生しました❗

 父の藤原義孝は藤原北家の出で、祖父の藤原伊尹は当時、円融天皇の摂政⁉

 藤原行成は生まれて間もなく祖父の猶子となります‼

 祖父は紀伝道(歴史)の学者で、蔵人頭などの経験もあるエリート文官で、漢学の知識も豊富で、孫の藤原行成に惜しみなく伝えたそうです⁉



 また、当時の東宮である師貞親王は、藤原伊尹の外孫だったため、藤原行成とは従兄弟の関係?

 永観2年(984年)10月に師貞親王が花山天皇として即位すると、この血縁の近さから藤原行成は侍従の官職を与えられ、側近く仕えることになります❗

 しかし寛和二年(986年)、右大臣・藤原兼家や藤原道兼らの陰謀によって、花山天皇が譲位・出家してしまう…【寛和の変】が起きます‼

 これによって、まだ数え7歳の一条天皇が即位⁉



 花山天皇と一条天皇は父子ではないため、藤原行成も”現職天皇の外戚”という立場を失ってしまい、代わって藤原兼家が台頭することに❗

 藤原道隆・藤原道兼・藤原道長ら兄弟の台頭?

 藤原行成は真面目に仕事をしていたおかげか、その後も少しずつ位階は上っていったのですが……官職の方はあまり芳しくありませんでした⁉

 藤原行成は永祚元年(989年)、源泰清の娘と結婚します‼



 その後、彼女との間に7人もの子供に恵まれ、夫婦仲は良かったと思われます⁉

 藤原行成は『権記』と呼ばれる日記をつけていて、妻の亡くなった日の記録には「結婚したと思われる日付」も書かれています❗

 また、この翌年に藤原行成は、亡き妻の妹と結婚し、彼女との間にも複数の子供をもうけました?

 万寿四年(1027年)の年始頃から、藤原行成は体調が優れなくなり、翌年12月4日に亡くなります‼



 享年56歳❗

 ちなみに藤原行成は、命日が藤原道長と同じ万寿四年12月4日(1028年1月3日)という不思議な縁があります…‼