三淵嘉子 | 文武一道

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主に『映画』『音楽』『芸能』『文化』『経済』『歴史』等、つまり雑学?(あと、『カンフー映画』にはかなりDEEPにハマッてます!)



 NHK連続テレビ小説『虎に翼』❗

 ヒロイン猪爪寅子(伊藤沙莉)のモデルは、女性初の弁護士・判事・裁判所所長となった三淵嘉子

 三淵嘉子は、「五黄の寅」だった1914年(大正3年)に生まれ、女性初の弁護士・女性第2号の裁判官となり、性別による差別の解消など公平な社会の実現を目指し活躍⁉

 三淵嘉子は、1914年(大正3年)11月13日、台湾銀行に勤務していた武藤貞雄の長女として、シンガポールに生まれました?


 その後、武藤貞雄はニューヨーク勤務を経て、1920年(大正9年)に帰国し、一家は揃って東京渋谷区に❗

 武藤貞雄は、当時としては男女に分け隔てのない非常に民主的な考えを持っていて、幼い三淵嘉子に「ただ普通のお嫁さんになる女にはなるな、男と同じやうに政治でも、経済でも理解できるようになれ、それには何か専門の仕事をもつ為の勉強をしなさい。医者になるか弁護士はどうか」と語っていたそうです?

 いわゆる良妻賢母ではなく、職業婦人として自立する女性となるよう諭していた⁉

 三淵嘉子は、東京府青山師範学校附属小学校から、1932年(昭和7年)3月に東京女子師範学校附属高等女学校を卒業した後、法律を勉強しようと決意‼


 1933年(昭和8年)5月の弁護士法改正によって、それまで弁護士資格について「日本臣民ニシテ・・・成年以上ノ男子タルコト」(第2条第一)とされていた規定が、「帝国臣民ニシテ成年者タルコト」と改められたことで、女性も弁護士となることが認められました❗

 もっとも、弁護士になるには、高等試験令による司法科試験に合格し、その後1年半弁護士試補として修習を受ける必要があり、司法科試験を受けるには、高等学校または文部省が特に指定した専門学校の卒業生あるいは大学の学部在学中か卒業生でなければなりませんでした‼

 当時、女子専門学校で文部省から指定を受けた学校は皆無で、大学学部在学中か卒業生になる以外に道はありません⁉

 弁護士法改正を見越して1929年(昭和4年)に創設された明治大学専門部女子部法科(3年制)が、唯一、その卒業生に対して明治大学法学部への編入を認めていて、女性が弁護士を目指して法律を学べる学校でした?


 三淵嘉子は、女学校卒業後、1932年(昭和7年)4月、第4期生として明治大学専門部女子部法科に入学❗

 1935年(昭和10年)3月に卒業した後、さらに明治大学法学部に編入、1938年(昭和13年)3月に卒業!

 三淵嘉子が卒業した年の11月1日、司法省は三淵嘉子および同級の中田正子、そして1学年下の久米愛の3人の女性が、高等文官試験司法科に合格したと発表⁉

 女性初の快挙だったそうです?


 『東京朝日新聞』(第18884号、11月2日)は第二面で「法服を彩る紅三点、女性の法律問題は女性が—、弁護士試験・初の栄冠」と3人を称賛し、『法律新聞』(第4339号、11月8日)は、第一面に「女弁護士登場」として、3人の写真と談話を掲載しました…。