藤原惟規 | 文武一道

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 「藤原惟規」(ふじわらののぶのり)?

 平安時代の女流作家「紫式部」の弟と伝えられている平安時代中期の貴族❗

 NHKの大河ドラマ『光る君へ』では、高杉真宙さんが演じています!!

 「藤原惟規」の生年には諸説ありますが、974年(天延2年)とする説が有力⁉


 なお、母親の「藤原為信女」は、「藤原惟規」を出産直後に死去…?

 貴族の家庭に生まれた「藤原惟規」は、幼いころより高等教育を受け、成人後は律令国家において重要な役職を歴任❗

 1011年(寛弘8年)、父の「藤原為時」と共に“越後守”として越後国へ赴任⁉

 しかし、「藤原惟規」はこの赴任直後に同地にて亡くなりました!!


 「藤原惟規」は幼いころから優秀であったとされていますが、文学に関しては「紫式部」の方が優秀だった?

 そのため、父である「藤原為時」が、政治に参加できない身分である女性として「紫式部」が生まれてきたことを酷く残念に思ったという逸話も⁉

 しかし、「藤原惟規」の歌が『後拾遺和歌集』に10首も選ばれていることから、一定以上の才は持ち合わせていたと推測されます❗

 ちなみに、『紫式部日記』では“式部丞”と記されている残念な少年が「藤原惟規」!!


 「藤原惟規」は、姉が日本史上に名を残す「紫式部」であった為、評価が下がっている部分が大きいのかも?

 しかし、経歴を見てみると、決して悪くはありません❗

 若くして“文章生”となり、その後も順調に出世⁉

 1004年(長保6年)には“少内記”となり、位記の作成を担当‼



 「藤原惟規」は、“文章生”、“少内記”、“兵部丞”、“六位蔵人”、“式部丞”となり、1011年(寛弘8年)には“従五位下”に叙爵されています?

 「藤原惟規」は、夭折したため、残せるものが少なかったことも後世に名を残せなかった要因⁉

 ともあれ『光る君へ』で「藤原惟規」がどのように描かれ、「紫式部」との姉弟像がどう描かれていくか楽しみです…😁。