●幼き日に感じた「理不尽」で知った、人生において重要なこと
こんにちは、マヤ暦アドバイザーのRumikoです。
本日は、投稿ネタよりお題を拝借しました。
「なんで自分だけこんな目に!」と思うことを「理不尽」と呼びます。
おなじことを、他の人がしたらセーフ、自分がしたらアウト。
人によってセーフ・アウトが決まる、
しかも、セーフ・アウトは、自分以外の人が決めるケースで、【理不尽】は発生します。
わたしが感じた、はじめての理不尽は【幼稚園】で起こりました。
共働き率日本一、社長排出率日本一、同居率が高く、
子どもの学力も上位の福井県。
(自営業や、夫が社長妻が専務の会社も多い。当然共働き)
いまでこそ、核家族が増えましたが、
わたしの子供のころは、3世代4世代同居は当たり前。
出産ぎりぎりまで仕事をし、産休があけたら、
おじじおばばに子供の面倒を見てもらって、母親は仕事に復帰。
年少・年中は保育園で、ラスト1年年長さんになったら、
公立の幼稚園(午前中しかない・給食たべてすぐ帰る)に入るのが通例でした。
(同居でない家の子は、ジジババに面倒を見てもらえませんから、
年長さんまで保育園に通うことが多かったです。)
公立の幼稚園でしたが、かなりいろいろな勉強を習った覚えがあります。
ある日、数の勉強をしていました。
わたしが間違えると、ボロクソに怒鳴るのに、
同じクラスの、かわいい女の子が間違えると、
「間違えることもあるよね、次間違わなければだいじょうぶよ」
と、優しい言葉をかけます。
子供ながらに「なんで?」と思っていました。
家にかえって、親(育ての母)に言うと、
「世の中は、そういうもの。こちらがあってても、向こうが違うと言えば、【はいそうです】って言わないといけない時もある。
そうしないと、生きていけないの」
との答えが。
今でこそ、自分の主張を声高らかにしてはいけないシーンもある(結果、自分が損をする)とわかりますが、
当時は、
「人によって態度ちがうの、どういうわけ!」
と、理不尽に思っていましたっけ。
「人によって、同じことを見ても、違うように見えるのは当たりまえ。
違和感を感じるのも当たり前で、
違和感の答えは、ずーーーっとあとでわかることもある」
これが、幼き日に感じた「理不尽」で知った、人生において重要なことです。
理不尽なことがあったら、「出来事」「そのときの気持ち」を書き出しておくといいですね。
いつの日か、自分にしっくりくる「納得の理由」に気づけます。