目に見えていても、それが何かわからないと見えてない、
見てはいるけれど、見えてはいない、
そういうものがたくさんあります。
「見ている」と「見えている」ことは、かなり違います。
これを幸せというものに置き換えると、あることがわかってきます。
幸せの本質を知らないと、幸せが何なのか、永久にわからないということです。
では、幸せの本質とは何でしょう。
私たちは、明治以降に入ってきた西洋文化の幸せ論を、学校教育の中で、
教えこまれました。
その幸せ論とは、足りないものをリストアップして、それを手に入れるのが幸せなんだ、というものです。
「理科が苦手な人は理科を勉強しなさい。努力しない人は、バカだ屑だ。
それを克服しなければ、幸せにはなれない」と、
足りないものをフォローし、人並み以上にならなければ幸せではないと教えられてきました。
学校教育と同じように、家庭でも同じように教育されます。その延長に会社があり、社会ができています。
このようにある一つの価値観で教えこまれることを洗脳といいます。
世の中が100%、この教育方針に従っているので、
ほとんどの人がこの西洋文化の幸せ論に洗脳されています。
この幸せ論に染まって一生を過ごしていく人がほとんどでしょう。
しかし、本当の幸せとは、努力して手に入れるものではありません。
「私」が幸せだと思ったとき、その思った「私」にのみ、幸せは生まれるのです。
幸せという現象は、存在しているものではありません。
ですから、探すものでも、
手に入れようと努力するものでもないのです。
幸せとは、感じるもの、気づくものなのです。
「普通に過ごせることが、とても恵まれていて幸せなことだ」ということに、
どれだけの人が、気づいているでしょうか。
それに比べて大病や事故に遭った人は、
何も起こらない日々がどれほどありがたいことかと、毎日感謝することができます。
悩み苦しみの多くは、自分の思いどおりにできないことが原因になっている。。