★セシンプル★旅しながらシンプルライフ
私は2026年に60代になる主婦で、セミミニマリスト~というより、シンプルライフを目指しているところです。

これまでお金を使いすぎて無駄なものをたくさん買ってしまった結果、部屋が狭くなり、整理しても圧迫感があり、掃除もますます面倒に感じるようになっていました。さらに、物を手に入れても満足感が得られず、イライラしてしまうことも増えていました。

そこで、ミニマリストのライフスタイルに憧れ、不要なものを断捨離し、少ない物で暮らす生活を始めることにしました。物を貯めない習慣を身につけ、余計なストックを持たないことで無駄遣いも減り、金運にもよい影響があるそうです。さらに、これからはお金を物ではなく、体験や経験に使うことに決めました。

断捨離は簡単に思えますが、家族との共同生活では難しいこともあります。まずは自分のスペースから整理するというアプローチは、とても良い方法だと思います。自分のスペースを整えることで、周囲の人々にも良い影響を与えるかもしれません。

今年2025年末、末っ子が巣立ち、私はほぼ料理を作らなくなりました。長年「家族は何を食べるの?」「スーパーで何を買えばいいの?」と頭の中がいっぱいでしたが、もうそのことで悩まず、自分のことを考える時間にしています。スープが好きなので、味噌汁くらいは作りますが、無理せず自分のペースで暮らしています。

 

琉球から沖縄へ、私の祖先と消えた王国の歴史

ひいおじいちゃんは、義村朝義(よしむら ちょうぎ)、(義村朝明の次男)です。

私の祖先が生きた「琉球(りゅうきゅう)」とは、いったいどんな国だったのでしょうか?

現在の沖縄は、日本の一つの県で、現在とても人気がありますね。

 

でも、昔の沖縄には「琉球王国」という独立した王国が存在していました。

琉球は、中国や日本、朝鮮、東南アジアなどを結ぶ海上交易によって栄えた国でした。

しかし、その王国はやがて薩摩藩の侵攻を受け、さらに明治政府による

「琉球処分」によって、1879年に消滅します。歴史を振り返ると、

 

「勝った側は英雄になり、負けた側は歴史の中から消えていく」

そんなことも少なくありません。

 

その「負けた側」の歴史を受け継ぐ私だからこそ、少し興味を持って調べてみました。

「琉球って、どんな国だったの?」

「なぜ琉球王国はなくなったの?」

「どうして琉球から沖縄になったの?」

そして、

「私の祖先、義村朝義は、どんな時代を生きたのだろう?」

今回は、そんな疑問から、琉球の歴史をできるだけ分かりやすくまとめてみました。

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① 琉球王国の誕生――三山統一
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14世紀ごろの沖縄には、

・北山(ほくざん)
・中山(ちゅうざん)
・南山(なんざん)

という三つの勢力がありました。

これを「三山(さんざん)」と呼びます。

そして1429年、尚巴志(しょう はし)が三山を統一。

これが、後の琉球王国の基礎となりました。

政治の中心となったのが首里(しゅり)です。

首里城(しゅりじょう)を中心として、琉球は次第に一つの国として発展していきました。

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② 海を越えて繁栄した「大交易時代」
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琉球王国の大きな特徴は、「海の国」だったことです。

中国との交易だけではありません。

日本、朝鮮、そして東南アジアの国々とも交易を行いました。

琉球は、東アジアと東南アジアを結ぶ「中継貿易」の国として大きく発展します。

中国から品物を仕入れ、

それを日本や東南アジアなどへ運ぶ。

反対に、日本や東南アジアの商品を中国へ運ぶ。

この海上交易によって、琉球王国は大きな利益を得ました。

この時代は、琉球の「大交易時代」と呼ばれています。

首里城は、単なる王宮ではありませんでした。

政治の中心であり、外交の中心でもあったのです。

 

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③ なぜ「琉球」という名前なのか?
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「琉球(りゅうきゅう)」という名前は、もともと中国側の史料にも登場する名称です。

琉球王国は中国の明(みん)・清(しん)と冊封(さくほう)関係を結び、

中国皇帝から国王として認められることで、朝貢(ちょうこう)貿易を行っていました。

そのため、「琉球」という名前は中国との外交関係の中でも重要な意味を持っていました。

つまり、琉球王国は、「日本の一部」

というだけでは説明できない、独自の外交関係を持つ海洋国家だったのです。

 

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④ 1609年――薩摩藩が琉球へ侵攻
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琉球王国に大きな転機が訪れます。

1609年。当時、尚寧王(しょうねいおう)

薩摩藩の島津氏(しまづし)が琉球へ侵攻しました。

薩摩軍は琉球各地を攻め、琉球王国は降伏します。

しかし、ここで琉球王国そのものが消滅したわけではありません。

国王も王府(おうふ)も残りました。

一方で、琉球は薩摩藩の強い支配・監督を受けることになります。

そして、ここから琉球は非常に複雑な立場に置かれることになります。

中国との関係を維持しながら、薩摩の支配も受ける。

この状態は、一般に「日中両属(にっちゅうりょうぞく)」と説明されます。

 

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⑤ 薩摩支配の中でも続いた琉球文化
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薩摩の支配を受けるようになっても、琉球王国は独自の文化を発展させていきました。

首里を中心に、

・琉球舞踊
・三線(さんしん)
・紅型(びんがた)
・琉球漆器
・泡盛(あわもり)

など、現在の沖縄につながる文化が発展していきます。

また、日本との交流が増えたことで、

日本文化の影響も受けるようになりました。

中国文化、日本文化、そして琉球独自の文化。

さまざまな文化が混ざり合いながら、

現在の沖縄文化につながる独特の文化が形成されていったのです。

 

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⑥ 19世紀、日本が大きく変わる
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19世紀になると、日本そのものが大きく変わります。

1853年、ペリーが日本に来航。

その後、幕府が倒れ、明治政府が誕生します。

そして日本は、

「近代的な一つの国家」

を作ろうとしていきます。

この流れは、琉球王国にも大きな影響を与えました。

 

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⑦ 1872年――琉球王国から「琉球藩」へ
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1872年。

明治政府は琉球王国を「琉球藩(りゅうきゅうはん)」としました。

国王だった尚泰(しょう たい)は、琉球藩王とされます。

しかし、これは琉球王国がそのまま続いたという意味ではありません。

明治政府は、琉球を日本の近代国家の中へ組み込んでいく政策を進めていました。

 

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⑧ 1879年――「琉球処分」と王国の消滅
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そして1879年。

歴史上、大きな出来事が起こります。

明治政府は琉球藩を廃止し、「沖縄県」を設置しました。

これが一般に「琉球処分」と呼ばれている出来事です。

琉球王国は、ここで政治的な国家として消滅しました。

国王・尚泰は東京へ移され、首里城を中心とした琉球王国の政治体制も終わりました。

こうして、約450年間続いた琉球王国の歴史に大きな区切りがつけられました。

 

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⑨ なぜ「琉球県」ではなく「沖縄県」なのか?
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ここで、一つ疑問が残ります。

なぜ「琉球県」ではなく、「沖縄県」だったのでしょうか?

「沖縄」という名称自体は、明治政府が突然作った名前ではありません。

古い日本側の文献にも「沖縄」という表記は見られ、

その由来についてはいくつかの説があります。

そのため、

「中国から与えられた『琉球』という名前を、

日本領土であることを示すために『沖縄』へ変更した」

と単純に断定することはできません。

ただし、1879年に「沖縄県」が設置され、琉球王国という

国家そのものがなくなったことは歴史的な事実です。

 

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⑩ 琉球王国は「消えた」のか?
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政治的には、琉球王国は消滅しました。

しかし、「琉球の歴史が消えた」わけではありません。

琉球王国が残した文化、言葉、芸能、食文化、工芸、そして人々の記憶は、

現在の沖縄へと受け継がれています。

つまり、

「王国は消えた。でも、琉球の文化や人々まで消えたわけではない。」ということです。

 

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⑪ 私の祖先、義村朝義につながる歴史
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ここからが、私にとって特に興味深いところです。

私のひいおじいちゃんは、義村朝義(よしむら ちょうぎ)です。

自分の祖先を調べていくと、単なる「家系図」だけではなく、

「その人が、どんな時代を生きていたのか?」

ということが気になってきます。

琉球王国が存在した時代。

薩摩の支配を受けた時代。

そして、明治政府によって琉球王国がなくなり、「沖縄県」となった時代。

私の祖先も、こうした大きな歴史の流れの中を生きていたことになります。

だからこそ、私は琉球の歴史を調べることが、単なる歴史の勉強ではなく、

自分自身のルーツを知ることにつながっていると感じています。

 

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⑫ 勝者と敗者だけでは語れない歴史
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歴史は、どうしても「勝った側」から語られがちです。

国が滅びれば、その国の歴史も忘れられてしまうことがあります。

でも、本当にそれでいいのでしょうか?

琉球王国は、現在は存在しません。

しかし、そこに暮らしていた人々がいた。

文化があった〜

言葉があった〜

家族がいた〜

そして、その子孫が現在も生きています。

私もその一人です。

だから私は、琉球の歴史を調べてみたいと思いました。

「負けたから消えた歴史」ではなく、

「そこに確かに存在した歴史」

として、もう一度見てみたいと思ったのです。

 

【まとめ】

琉球から沖縄へ。

その歴史は、

「東アジアを結ぶ海洋交易国家として繁栄した琉球」

↓

「1609年、薩摩藩の侵攻」

↓

「中国との関係を維持しながら、薩摩の支配を受けた時代」

↓

「明治政府による国家統合」

↓

「1879年、琉球王国が消滅し沖縄県へ」

という大きな流れで見ることができます。

そして、この歴史の先に、私の祖先である義村朝義がいます。

王国は消えても、歴史は消えません。

そして、その歴史を知ろうとすることは、

私自身のルーツを知ることでもあるのです。

 

 

今日は映画『キングダム 魂の決戦』を観てきました!🎬✨

(ネタバレなし)

主演の信を演じる山崎賢人さん、本当にかっこよくて、

でもどこか可愛さもあって最高でした!

そして前作『大将軍の帰還』から続くこの壮大な物語、

王騎将軍(大沢たかおさん)の存在感や残した思いも変わらず胸に響きます。

中国の戦国時代、「天下統一」を目指す熱いストーリー!

ただ、この映画を観る前に、最初からアニメか過去の劇場版を観ておかないと

話の流れや背景の意味が分からないかもしれないので、事前の予習をおすすめします!

内容は文句なしに面白くて本当におすすめ!👍

ただ、かなり血の出る戦闘シーンが多いです💦

それでも単なる力押しではなく「戦略(ストラテジー)」の

頭脳戦もしっかり描かれていて、「なるほど、

昔からこうやって頭を使って戦っていたんだなぁ」と感心させられました。

実際の歴史上では映画のように派手には戦っていなかったかもしれませんが、

当時のイメージがすごく湧きます。歴史って美化されがちだけど、

本当に起きたことは誰にも分からないからこそ、こういう映画はロマンがありますね!✨

 

「日本人は魔法使いなのか!?」

と驚く気持ちもよく分かります。

地震で大きな被害を受けた橋が、

わずかな期間でここまで復旧していく姿に

は本当に驚かされます。

 

 

日本人から見れば見慣れた光景でも、

海外から見れば決して当たり前の事ではないよ!

これは魔法じゃない(笑)、

長年培われてきた日本の技術力と、現場で懸命に取り組んだ

技術者や作業員の皆さんの努力の結果です。

災害が多い日本だからこそ、こうした経験と技術が積み重ねられてきたことですね。

世界の人たちが日本の復旧スピードに感動してくれるのを見ると、ますます、この国好きになります。

現場の皆さん、本当にお疲れさまでした。🇯🇵

のんびりホリデーSuicaパスを使って、小田原・横須賀・鎌倉へ日帰り旅行に行ってきました!

成田発でぐるっと回ってきたので、旅の記録をまとめます✨

 

🏯 歴史の面白さに目覚めた小田原城

まずは成田を出発して小田原へ。 駅から歩いて小田原城へ向かいました(入場料1,000円)。

天守閣の中には貴重な歴史的資料や展示がずらり!

 昔はいろんなお城に行っても日本史の知識があまりなくて、

ただ眺めるだけで終わっていたのが今思うともったいない💦。

最近日本史の面白さにはまって勉強中ということもあり、

展示の背景が分かって見応え抜群でした!

日本史面白すぎる! 完全にお城の魅力にもハマってしまったので、

これから全国の城めぐりもしていきたいです。

 

⚓ 横須賀・ヴェルニー公園と戦艦陸奥の主砲

続いて小田原から横須賀駅へ移動。 

あまり時間がなかったので、駅からすぐの

「ヴェルニー公園」周辺を散策しました。

海沿いを歩きながら日米の艦船を見学。

港町ならではの迫力ある景色が広がっています。 

そして公園内に展示されている「戦艦陸奥の主砲」! 

間近で見上げると想像以上の大きさと重厚感で、

当時の技術の凄さと歴史の重みに圧倒されました。

 

⛩️ 鎌倉・鶴岡八幡宮と小町通りの鎌倉焼き

次は横須賀から鎌倉へ。 大仏は何度も見ているので、

今回は鶴岡八幡宮へ向かいました。

鳥居をくぐり、参道を歩いて参拝。

帰りは賑やかな小町通りへ! すごい人出で活気にあふれていました。

歩いているうちに甘いものが食べたくなり、名物の「鎌倉焼き」を購入。

 もちもちの生地と優しい甘さの餡が美味しくて、歩き疲れた体に染みました😋

 

 

🛍️ 船橋で寄り道&交通費まとめ

帰り道、まだ時間に余裕があったので船橋駅で途中下車して

ウィンドウショッピングを楽しんでから帰宅しました。

今回の電車代を計算してみたら、パスのお得さにびっくり!👍

 

・成田 →(戸塚乗り換え)→ 小田原:2,750円 

・小田原 → 横須賀:1,034円

 ・横須賀 → 鎌倉:253円

 ・鎌倉 → 船橋:1,408円 

・船橋 → 成田:902円

 

👉 通常運賃 合計:6,347円 👉 のんびりホリデーSuicaパス:2,850円

なんと 3,497円もおトク に旅することができました!

歴史もお城も海もグルメも満喫できて、大満足の休日になりました✨

Solo 映画🎬



『この世界の片隅に』のドラマを見た。
今更❓そうかなり昔のドラマ。

しかし以前アニメ版は見ていたので、ストーリーは知っていたけれど、ドラマならではの表現や俳優さんたちの演技のおかげで、また違った気持ちで作品の世界に入り込めた(笑)

笑える場面もあれば、胸が苦しくなって涙が出そうになる場面もたくさん😢
改めて本当にいい作品だなと感じてしまった。

この作品を見るたびに思うのは、やっぱり戦争は悲惨だということです。
失われるのは建物だけではなく、普通の人たちの日常や、大切な人との時間、ささやかな幸せです。

だからこそ、今の日本がこれからも平和であってほしいと心から願います🙏

歴史の中で多くの苦しみや犠牲を経験してきたからこそ、その教訓を忘れず、平和を守っていくことが何より大切なのではないでしょうか。

戦争のことを考えると気持ちは重くなるけど、
それでもこの作品は、人がどんな状況でも前を向いて生きようとする強さって本当にあるね。

見終わったあともしばらく余韻が残る。
明日はどうなるか分からない、
今のうちに花見🌸へ行こう。

最後に
とにかく日常必需品の値上がり
ストップして欲しい

最近のニュースを見ていて、「これって、昔の戦国時代と同じじゃない?」と気づいたことがあります。

歴史を振り返ると、戦国大名たちの争いは「領土や資源の奪い合い」でした。

そして現代の中東情勢、特に「ホルムズ海峡」を巡る対立も、本質はまったく同じなんです。

💡 現代の「塩留め」=石油のルート封鎖

戦国時代、武田信玄を困らせるためにライバルたちが生きていくのに不可欠な塩を止めた

「塩留め(しおどめ)」という経済制裁がありました。(そこで上杉謙信が『敵に塩を送る』わけですが)

現代において、この「塩」の代わりになっているのが「石油(エネルギー)」です。

 

中東のホルムズ海峡は、世界中の石油タンカーが通る超・重要ルート。

 もしここが封鎖されたら、日本をはじめ世界中のエネルギーがストップしてしまいます。

 

現代の国々がこの海峡を巡って駆け引きする姿は、まさに戦国大名たちが「塩のルート」を

握って相手を揺さぶっていた姿そのもの。

 

形やテクノロジーは変わっても、人間が生き残るために「命綱(資源)」を奪い合う心理は、

数百年経っても何一つ変わっていないのかもしれません。

歴史というフィルターを通してニュースを見てみると、複雑な世界情勢が少しシンプルに見えてきませんか?

 

おわりに

実は最近、日本の歴史に興味が湧いていろいろと勉強中なのですが、学べば学ぶほど

「昔の人も、今の私たちと同じことで悩んだり、同じような駆け引きをしていたんだな」と気づかされます。

 

教科書の中の退屈な暗記だと思っていた歴史が、今生きている現代と地続きで繋がっている。

そう思うと、歴史の勉強がどんどん面白くなってきました。

 

最後に……

歴史を見ても現代のニュースを見ても、結局一番苦労するのは、いつの時代も私たち

「ふつうの住民」なんですよね。

戦国時代に塩を止められて困ったのも領民でしたし、今、国同士の争いで物価高に

苦しんでいるのも私たちです。

 

偉い人たちのパワーゲームのツケが、いつも暮らしを直撃するのは本当に切ないところ。

。。。。。。。

土方歳三を追いかけて日野へ。最後は土方さんと二人きりだった日🥰

「新選組のふるさと・日野を歩こう」

そんな気持ちで朝、成田から出発。東京駅からJR中央線に乗って日野へ向かいました。

今日は完全に“新選組の日”です✨




【佐藤彦五郎新選組資料館】

まず向かったのは、11時から開館する佐藤彦五郎新選組資料館。新選組ファンには有名な場所です。

思っていたよりは小さな資料館でしたが、沖田総司の手書きの手紙や土方歳三の刀などを見ることができて大満足👍

佐藤彦五郎は土方歳三の義兄で、新選組結成前から隊士たちとも深い関わりがあった人物です。

資料館に入った瞬間、なんだか空気が違う気がしました。

「ここに土方歳三も来ていたんだろうな」

そう思うだけで、150年以上前が急に近く感じます。




【土方歳三資料館】

その後は多摩モノレールに乗って甲州街道駅へ。

名前だけでも歴史好きにはテンションが上がります。「甲州街道」って、もう時代劇が始まりそうな響き(笑)

そこから万願寺駅へ移動して、向かったのは土方歳三資料館。

今回はちゃんと開館日を確認済み。ここ大事です(笑)



以前から「休館だったら泣く…」と思っていたので、事前確認は大成功✨

資料館では土方歳三の直筆資料や家族ゆかりの品々を見学。

歴史上の人物って教科書の中では遠い存在だけど、実際に使われていたものを見ると、急に「生きていた人」になるのが不思議です。




【高幡不動尊】

次は高幡不動尊へ。

ここには新選組ゆかりの土方歳三像があります。



像の前に立つと、思ったより大きくて、そして思ったより格好いい。写真とは違う迫力があります。

「副長、今日も人気ですよ」

そんなことを心の中で言いながら見上げていました🥰

そして、もちろん土方まんじゅうも購入😋




【日野宿本陣】

その後は日野宿本陣へ。

300円で「新選組のふるさと歴史館」との共通券付きという、歴史好きにはありがたいシステム。

「なるほど、こんな場所で過ごしていたんだなぁ」と昔の景色を想像。




【日野宿交流館】

本陣の向かい側にある日野宿交流館は無料で入れます。

お土産もかわいいものが並んでいて、もちろん色々買ってしまいました(笑)




【新選組のふるさと歴史館】

そして最後に、新選組のふるさと歴史館へ。

日野宿本陣から約15分。坂道で結構疲れました💦



長〜い階段も頑張って登りましたが、行く価値ありです。

館内でビデオ上映を見始めたら、気づけば時間がどんどん過ぎていき…



見終わって時計を見ると、もう17時。閉館時間でした。

館内には私一人。

そして目の前には、大きな土方歳三の写真。

広い空間に私だけ。

なんだろう。

静かすぎるのに、不思議と寂しくない。

むしろ少し嬉しかった。

まるで、

「最後までちゃんと来たね」

と土方さんが言ってくれているような、そんな勝手な気分になりました😍

ただ一つ心残り。


17時を過ぎてしまい、行こうと思っていた井上源三郎資料館には間に合わず断念…。

残念だったけれど、それは次に日野へ行く理由ができたということにしておきます✨

新選組を追いかける旅は、まだ終わらないみたいです。

京都、函館、会津も行かないと👍

ボリビアの砂漠の途中にある休憩所で、ちょっと考えさせられる出来事がありました。

トイレの横に、民族衣装を着たおばちゃんが座っています。
年齢は不明。強い日差しで焼けた肌は、若いのか年配なのかも分からない感じ。




ここでは、5ボリビアーノ(約100円)を払うと、
ひと切れのトイレットペーパーをもらってトイレを使う仕組み。

用を済ませたあと、少し話しかけてみました。

「ここ、本当にきれいな景色ですね。砂漠の中にアンデス山脈が見えて、山の上には雪がかかっていて…まるで富士山がいくつもあるみたい」

でも、この景色を毎日見ているおばちゃんにとっては、特別なものではないのかもしれません。




観光客は「すごい!」「きれい!」と感動するけど、
おばちゃんはトイレの横で、観光客からのわずかな使用料で家族を支えています。

話を聞くと、
「この仕事だけじゃ、月に2回しか一番近いスーパーにも行けないの。そこまで3時間かかるのに、交通費も足りない。ガソリンも高くなったしね」

その言葉が、すごく印象に残りました。

そして、もうひとつ驚いたこと。

この砂漠、道がありません。
舗装された道路はもちろん、はっきりした道すらない。



あるのは、4WDの車が通った跡だけ。

それなのに、ガイドさんは普通に走っていくんです。

どうやって?と聞いたら…

山の形や石の位置、地形の感覚で道を判断しているそうです。

カーナビもないのに、迷わない。
本当にすごいなと思いました。






ウユニ塩湖やアタカマ砂漠は、一生に一度は行きたい場所。

でも実際に行ってみて思ったのは、
ここは「絶景の観光地」であると同時に、
そこに暮らしている人たちの日常の場所でもあるということ。

正直、景色としては一度で十分かもしれません。
標高も高くて、体への負担も大きいですしね。

だからこそ、
元気なうちに来てよかったな。



2日目は
★APJ(ペルー日系人協会)
★AELU(ウニオン運動場協会)
を訪れました。

APJは、私が日本語を勉強していた思い出の場所。
AELUの中には、私が小中学校を卒業した「ラ・ウニオン学校」があり、あの広いキャンパスも今も健在でした。

APJは昔とはすっかり変わり、建物も増えていて、中にいるとまるで日本にいるような雰囲気。
現在は老人ホームや、ペルーへの日本人移民の歴史を紹介する博物館、

さらには病院まであるそうです。もちろん日本語学校もあります。
その発展ぶりには本当に驚きました。

image

現地に住む仲の良い同級生二人がすべて案内してくれて、とてもありがたかったです。



再会した瞬間、まるで昨日も会っていたかのように自然に会話が始まり、あの頃のいたずらを思い出しては大笑い。

隣にいた娘はスペイン語がわからないので助かった…と思ったけれど、私たちの雰囲気を見て
「ママ、昔ちょっとヤンチャだったでしょ?」
とバレてしまいました(笑)


AELUの中にある、居酒屋🏮風の飾りがあるレストランで食事をして、

本当に楽しい時間でした。



そして3日目。
朝4時半集合で、南方面のツアーに参加。

たまたま24歳のかわいい日本人女性がペルーひとり旅で同じツアーに参加していて、さらに楽しい一日になりました。

まずはバレスタス諸島(Islas Ballestas)へ。

 


バジェスタス島 Ballestas Islands

(ペルー・パラカス)








景色は本当に美しく、日本にはない独特の魅力があります。
オットセイの群れや、空を飛ぶペリカンの姿もとてもかわいらしく、霧に包まれた風景はどこかミステリアスでした。

その後はワカチナ(Huacachina)へ移動。


砂漠のオアシス「ワカチナ」




オアシスを囲む広大な砂丘の景色はまさに圧巻。
バギーで砂丘を駆け巡る体験は、まるでジェットコースターのようなスリル満点のアトラクションでした。








さらにサンドボーディングにも挑戦。





砂の上を滑る感覚は想像以上に楽しくて大興奮。

本当はこの日、ナスカの地上絵を飛行機から見るツアーも予定されていました。
しかし、土砂崩れの影響でパンアメリカンハイウェイ(Panamericana)

の途中が大渋滞となり、事故も発生したため、残念ながら中止に。


このツアーは、日本人しか受け付けていないペンションの企画ツアーです。

ナスカの地上絵はとても楽しみにしていただけに本当に悔しかったけれど、安全第一🦺
また次回への宿題になりました。