友人が亡くなりました | ローダの幸日・第二章

ローダの幸日・第二章

2016年6月24日ブログ開始。
2024年7月10日第二章に突入!

昨日の朝、電車に乗って鎌倉へ向かう途中、1通のLINEが届きました。誰かな?と開くと、Mちゃんの名前でした。


Mちゃんとは約30年前に「宝塚ファン」という冊子が月刊で発売されていたのですが、その中の文通相手を探すコーナーで知り合いました。当時他にも数人と文通を始めたのですが、自然消滅する事が多く、その後も連絡を取り合っていたのはMちゃんだけでした。


最初は文通だったのが、メールになり、LINEになり。彼女は愛知県在住だったので、私が宝塚の名古屋公演を観に行く時はいつも連絡をして、都合がついた時は会いに来てくれてました。


私が観た名古屋公演
1992年 雪組「華麗なるギャッツビー」
1998年 花組「ザッツ・レビュー」
2007年 雪組「星影の人」
2009年 雪組「情熱のバルセロナ」
2014年 雪組「若き日の唄は忘れじ」
2016年 雪組「ローマの休日」
2017年 雪組「星逢一夜」


彼女はいつも味噌煮込みうどん、ひつまぶし、エビフライ等毎回私が食べたい名古屋グルメを聞き、人気のお店に案内してご馳走してくれました。


最近はそんなに頻繁に連絡する事もなく、思いついた時にLINEを送り合っていたのですが、11月を過ぎてからLINEが既読にならず気になっていました。忙しいのかな?体調悪いのかな?と心配はしていたものの、何度も送るのは申し訳ない気がして、返事を待っていたのですが全く音沙汰なし。毎年元日に届く年賀状も来ない。どうしたんだろう?と心配する日々。


そして昨日のLINE。「あ、やっと返事が来た照れ
」とホッとしたのも束の間、そこには年末に彼女が亡くなったというご家族からの連絡と、今までお付き合いしてくれてありがとうの短い文のみが書かれていました。


え、何で!?!?!?
LINEには亡くなった日も、理由も書かれていませんでした。もう頭は真っ白です。嘘でしょ?突然すぎて涙も出ませんでした。まだ40代、学年は私の一つ下ですが、私は早生まれなので、半年違いでほぼ同級生の感覚でした。


とりあえず、職場の先輩と待ち合わせていたので落ち合い、鎌倉を散策。「置石」で一息ついたところでたまらず先輩に全てを話しました。先輩も最近、年齢の近い親戚を亡くされたばかりだったので、色々話を聞いて下さいました。


せっかくの鎌倉散策だったので、その間はMちゃんの事をしばし忘れて楽しみました。帰宅してすぐにMちゃんのご家族に返信。来月、月組の御園座公演を観に行くので、出来ればご自宅に伺って、お線香をあげさせていただきたい旨の内容をお伝えしたのですが、お気持ちだけで十分ですとお断りされてしまいましたショボーン


残念ながら、彼女にお線香をあげる事も、今まで仲良くしてくれた感謝をご家族にお伝えする機会もなくなってしまい、どうして良いのやら…と途方に暮れています。昨年受け取った彼女からの年賀状を形見として、しばらくはゆっくり彼女との思い出にひたろうと思います。


Mちゃん、今までありがとうラブラブ
安からに眠って下さいねお願い