先日韓国ドラマを観ていた時のこと

Happy Birthday to You を歌うシーンがあった。

『おたんじょーびーおめでとー
おたんじょーびーおめでとー』

へー「Happy Birthday to You」じゃないんだー
あえて訳をそうしたのかな?


メロディーは同じなので、日本と同じように1番だけかと思いきや
『ねーどぉしーてーうまれーてきたーの
そんなブサイクーでーうまれーてーきたーのー』

え???嘘でしょ??ガーン


親しいからこその冗談なのかもしれないけれど
大切なひとを侮蔑するようなバースデーソングはないわ





ねえ どうしても僕らは上手くできなくて
気がつけばからっぽになってしまった
米津玄師【がらくた】


なんとなく聞き流していると
恋をした2人が喧嘩ばかりするようになり、お別れをした。
けれど、やっぱり一緒にいよう。
という歌に聞こえました。

MVも若い恋人たちでしたが、聴いていると、別の歌にも聞こえてきました。

米津さんの詩は言葉の選び方が秀逸なので、つい何度も聞いてしまいます。
聞き流して、聞いて、聴く。



恋人たちのお別れと復活の歌が、なぜだか
どんなあなたになっても、ずっと私のそばで生きていてください。
そんな極上のプロポーズに聴こえました


本当に、なんてあたたかい詩を紡ぐひとなのだろう…
コメントで拝見しましたが、ドームツアーで
『今まで生きていてくれてありがとう』と仰ったとか。

もしかしたら
かなしい事や、辛くて生きたくなくなった事、強い孤独を感じたこともあったのかもしれない。

米津さんにとって今生きていることは、当たり前ではなく奇跡のようなことで
だから「ありがとう」なのですね





サトウハチロー【おかあさん】


 序にかえて


たくさんの たくさんの おかあさんがいて

たくさんのたくさんの こどもがいます


そのたくさんのたくさんの おかあさんと

たくさんのたくさんの こどもさんたちへ

ボクはこの詩集をささげます


ボクのように もうすぐ六十になるものでも

おかあさんにとってはこどもです


また十九かはたちでも

お子さんがあれば おかあさんです


そのみなさんに ボクは申し上げます


――母ありてこそ われあり―― 


 ボクはおふくろがすきでした


サトウハチロー




小学生くらいの頃に与えられた本だったと思いますが、今でも忘れられない文です。


私はマザコンではありません(理想の父親像に対してのファザコンではありそうですが…)が、こちらの文をよく思い出します。



 母ありてこそ我あり。僕はおふくろが好きでした


ご母堂に面と向かって言えなかった、後悔の言葉なのかな?と思っています。






1999年に放送された【世紀末の詩】

今でもとてもとても好きな物語です。

あの頃から、愛についてよく考えています。


「愛とは



たしかにそうだな、と思いました。
強いても得られない。乞うたとしても、決して得られるものではない。


髭の殿下は「私たちは生まれながらの皇族だが、母は違う。」と娘に仰ったそうですが


ひとの貴賎(貴いことと卑しいこと。身分の高低。)は、生まれではないと思う。


貴く生きるか、卑しく生きるか

品よく生きるか、下品に生きるか


その差ではないのかなと思いました。



親御さんの言葉は、何気ないものでも子に影響を及ぼす。

親の発言は、子どもにとってとても重要です






『今』を楽しんでいる人
『過去の楽しかったこと』の中で生きている人

二十年も前の楽しかったことを言われても、日々に忙殺され続けた私の脳みそは、覚えていません
子どもの頃の話も然り。
ただ、「あぁ…懐かしいなぁ」くらいの感覚でしかない。

過去を楽しんで思い返すより、『今、このとき、この場所』を楽しむひとでありたい


過去は変えられず、時間薬というもので薄れ、どんなことでも多少は美化される。

脚色された過去より、今を全力で楽しみ、今を全集中で感じ、『今』の中で生き続けたい