という事で、ギター復活だあ~!!
今年のたぶろう展と上野の森美術館用の絵も完成&出品し終え、その後はこないだの日曜日に行なわれたある資格試験の勉強をしていたが、ソレも終わった。
さあ、これからまた、遊びまくるぞ~!って事で、何ヵ月ぶりだろう?、ギターを復活させた。
貼り絵を本格的に仕掛けるまで練習してた曲を弾いてみたが、やっぱ忘れてる!
とは言え、指の感覚は結構覚えてたので、楽譜見ながらまあ弾く事は出来た。
また、鉄道模型も復活させた。もうかれこれ22年も前から、設計図まで書きながら作っていなかった家屋を仕掛けはじめたのだ。
週末から来週明けには、今年のたぶろう展のために上京する。
当然だが、遊んでばかりいないで、仕事もキチンとしよう!
今年も国立新美術館でたぶろう展!
今年も、私の所属している私設美術協会たぶろう会の展覧会が開催されます。
5/23の日記やフォトアルバムにてお見せした「ある駅のホーム」が展示なされます。
おそらく、今年も賞は獲れてないと思いますし、しかも土曜日曜に、他でいろんな行事やイベントが開催されてる可能性もありますので、行きづらいかとは思いますが、万障繰り合わせの上、お越しください!
記
2013 第48回 たぶろう展
会場 国立新美術館3B室 (東京メトロ千代田線乃木坂駅出口⑥)
会期 2013・06/12(水)~6月24日(月)AM10:00~PM6:00(入場はPM5:30まで)
最終日は午後3時閉会(入場は午後2時まで)
6/18(火)は休館日。
料金 500円 (受付で”たねやの招待で来た”と言っていただければ無料になると思います。)
また6/15(土)の午後1時からは、会の授賞式ならびにレセプションのため、避けられたほうが無難かと思われます。

この日
本日は亡き親父の誕生日。生きてれば80歳になってるが。
またちょうど10年前、勤めてたカイシャより2度目の退職勧奨を受けた日でもある。
勤続約38年の人事の年輩課長からは、取るに足らぬような小さなミスをあれこれ挙げられて、「君はココには向いてないのとちゃうか?東京でリセットしたらどうや?友達いっぱいおるんやろ?」と言われた。
その横に座ってた人事次長(現在このカイシャの常務取締役)の机には退職届のプリントが・・・。
2人とも従業員が大損害や大失態をやらかした時の如く、怒った厳しい口調で責め立てるのではなく、イヤラしいうすら笑いを浮かべながらしゃべってたので、「ああコレは、オレが悪い事したから辞めろという趣旨ではないなー。」と感じた。
さらにこの課長は、オレの所属部署の上司3人を指して、「この人たちは、君なんてもういらん、て言うてるで。」と言われた挙句、
所属部署の次長には「○○(オレの苗字)!こんな失敗、あんな失敗してー!おまえなんて、いりません!」と嘘泣きの涙声で怒鳴られ、さらに課長は「もうこの人たちは、新しい人を入れた言うてるでー。どうするぅ~?」とさらに陰湿な言い方をし、人事次長は「コレ退職届。参考までに。」と差し出されたが、ちょっと待って下さいで押し返した。
次の日からは、とうとう倉庫現場から外されて、実験室みたいな部屋に閉じ込められてレポート書く日々となった。
このカイシャ紹介してくれた伯父に話しても ~伯父は当時は定年退職してから12年以上経っていたので、もうカイシャに口出し出来る立場になかった~、役員目線で見るからか「人事がそういう裁断したという事は、おまえの働きぶりが悪かったのだ!」と逆に言われてしまい、もうこのカイシャで勤め続けるには、出るとこ出て闘うしかなかった。
だがオレはこの時期、たぶろう展へ出品した貼り絵作品が初入選した事もあり、コレを機会にもうカイシャを退職して貼り絵画家目指して再び上京し、アルバイトで生計立てようと考えていた。
ただし、酷い目に遭わせたんだから、管理職ユニオンに訴えてアタマ下げさせる事も考えていた。
管理職ユニオンに行って相談したところ、受け付けた職員は「この系列のカイシャは組合の力が弱いから、労使間でしょっちゅうこんなトラブルがありますね。」と。
ところが、ココで訴えて闘うには、指定された組合に入らねばならない、場合によってはビラ撒きもしなければならない等、いろいろ面倒な活動をしなければならないようで、しかももう気持ちは退職に向かっていたので、それきりになった。
レポート書きは1週間ばかりしていたが、こないだの日記で述べたとおり、その週末に亡き親父に呼び出されて、「家業を継げ!」と命ぜられ、東京へ再び上京する夢は絶たれた。
あくる週はじめ、上司に退職する旨言うたらば、「そのほうがイイかもな~!」と言いながら、退職届の書類を持ってきて、氏名と印を押させた。
そして、その週の水曜日から退職日まで有給休暇を取り、上京して旧友たちと親交を温めたり、実家の仕事を引き継ぐ下準備をしたり、大阪でやっている異業種交流会へ参加したりしていた。
ちなみにこの間、第14回上野の森美術館・日本の自然を描く展にも初入選した。
細木センセの占いでは、この年は“達成”という非常にHAPPYな1年となるはずなのに、なぜか不幸のズンドコの1年であった。また、マーフィーの自己啓発法則で東京に戻る事を想念し続けていたものの、残念ながら叶わなかった。
そんなワケで、この5月29日も忘れもしない日である。
ソレにしてもこの年に、同じくリストラされた世の中の人々はその後、どうなさったんだろうか?
問題作はどうなった?
問題作「九条の白蓮畑」の審査結果が届きました。
ふるえつつ、カッターで封書を切り開けて、中身の書類引っ張り出して見てみると、入選と書かれてあったので、
「ああ、入選ね。良かった。落ちなかっただけでも良しとしよう!やっぱしあんな絵で上位入選は出来んワ。」
と思いながら、さらに入選の文字の右側を読み進めてみると・・・、ぬ、ぬわあんと、五、六字分空けて佳作賞の文字がー!
え゛っ、なんでやねん?
あの絵はたった3日で仕上げた、殴り描き作品(殴り貼り作品と言う方が正しいが)やのにー!
上位入選よりも、上の賞とはどーいう事だ? 賞もらえるんは応募出品数約6000点のうち、しかもたった210人程度しか獲れないんやぞー!
というワケで、今年は授賞式にも参加する羽目になった。
ウレシさの反面、審査委員のセンセ方はいったいどーゆう基準で選考してるんやろう?と思った。
そして、土曜日出荷
今年のたぶろう展用に出品する作品「ある駅のホーム」、金曜日の夜慣れない手付きで梱包して、土曜日の昼出荷する事とした。
撮った画像を見て「あああー、ココ修正するべきだった!」といった箇所を発見したが、宅配業者がくるまであと数十分しかなく、もう梱包完了していたので、あとの祭り(AfterDance)だった。さて、この箇所がセンセ方に指摘されるかどうか・・・。
午後3時前に運送屋は来たが、運賃が倍以上にアップしてたんで、ビックリした!今年から料金UPしたとかなんとか。
次回からヤマトに戻そうか?~ヤマトでは9年前に額縁を壊された経験があるんで、ずっと敬遠していたのだ~
さて、この絵がどう、観て下さる人たちに映るのか・・・。
やっとできまちたー!
一昨年前から仕掛けてた、今年のたぶろう展に出品する貼り絵、ようやく完成しましたー!
題名は「ある駅のホーム」。
御存知の如く、いつもは音楽を聴いてインスピレーションを得て、ねた思い付くんだが、今回は全然思い浮かばず、それならと、一番メインの趣味である鉄道ねたでやる事とした。
仕掛当初は、前作「これからの幸を祈ります」でセンセ方からかなり批評された事もあり、「こんなありふれたような題材で、人々を感動させられるんだろうか?」と思っていたし、人物の表現方法等にも迷いに迷っていた事もあって、昨年は出品を見送ったが、手を進めていくうちに、制作している自分自身がおもしろくなっていき、サクサクと手が進んで行った!
人物の表現方法に関しては、従来のパターンとそう変わらないと思うが、それでも体の動きなどで全体的にほほえましい情景になっているのではないか?
また、独自で遠近法を発見したので、建物や構築物の類はソレに基づいて制作してる故、以前の作品のように、バランス悪い等の違和感はないと思う。
鉄道の絵ではあるが、鉄道に興味のない一般人の人たちも、「あああー、あるあるある、こんな情景!」とか、「確かに私ら、駅でこんな事してるワー!」等と感じられる事かと思う。
あと少し、手直しや装飾するところもあるだろうが、そう大きくは変わらんであろう。

不運で気づいた
大雨のため、日曜日のタイフェスティバル大阪2013に行けなかったんで、今回のたぶろう展に出品する作品の最終仕上げを行なう事とした。
ついでに、2年前使用した額縁にちゃんと収まるかどうかもチェックしてみた。
絵の寸法は間違ってないようだ。ところが額縁裏側に、吊るし金具が横方向にしか付いていない事がわかった。今回の絵は縦長なんで、これでは展示できない。
「額縁もう1個買うか?」、「加工してもらうか?」、「自分で改造するか?それには手間と時間がかかりそうだし、めんどくさい。」など少々考えたが、結局は“鉄”のテクで以ってトライしてみる事とした。
模型用の安物電動ドリルとドライバー等の工具、金属定規でどうにか付け替え、ものの45分程度で完了、片側につき6個の木ネジで留めてあるから、まあ落っこちる事はないだろう。
もし、タイフェスに行っていれば、おそらく出品直前までこの事には気付かなかったワケで、ある意味不運がもたらした気づきだったのかも知れん。
今年は行けなかった
3年前から毎年行っている大阪のタイフェスティバル。きのうと今日が今年の開催日だったので、当然行く予定であった。
ところが、午後1時頃から消防訓練がある事をド忘れ・・・、いや知ってはいたのだが、こんなんすぐ終わるやロウ、と勝手に思っていた。
さらに、正午少し前から雨が降り出して、消防訓練行なわれてる時にはもう本降りとなっており、そんで以ってこの訓練してる時間も延びに延び、終わったのが午後2時45分頃だった。
雨は降り止まぬどころかますます強さを増し、もうこんな状態ではとても行けるような状態ではなくなって来た。
きのう、

なお店行って店出たのが午後4時半頃だったんで、家へ帰らずその足で行っとけばよかった、と少々悔やんだ。
マイ・フェイバライト・アーティストやバンドが出場するのなら、天候に関係なく行くだろうが、今回は全員知らない人達だったんで、それも躊躇させる原因だったのかも知れない。

ソレにしても、こんな大雨の中でも関係なく決行したというが、写真上(昨年のステージ)のように毎年ステージは屋根は奥の方にしかない。
アーティストさん達は、びしょぬれ状態で歌ったのだろうか?
悲しみの街
おととい、10年前に住んでいた淀川区宮原を訪れた。
以前勤めてたカイシャからリストラ出向され、尼崎にある本社工場敷地内の子会社に倉庫作業員として働いてた時期に住んでたのがこの地。
写真でみるとオフィス街に見えん事もないが、それは新御堂筋に面しているからであって、ちょっと入れば典型的な大阪下町の風景である。ここからJR東海道線で通勤していた。
部屋の片隅で、再び東京で生活し活躍する事を夢見たリ、最寄り駅のそばから線路見つめな
がら、「ああ、この線路は東京へ続いているんだなあ、戻してくれー!」と祈ったりしていた。
土日は近場の鉄道に乗って観光したり、神戸が本拠地の音楽サークルに加入して親交を深めたりしてはいたものの、遠距離恋愛の如く¥かけて東京時代の友達に再び会いに行く事が多かったので、やはり逆望郷の念が強かった。
リストラ先の仕事は、社会人になってから最初にやったビル清掃の仕事よりは楽だったが、それでも体力を少々使うし、スピーディーさと正確さをも求められ、サービス残業してまで遂行せねばならない日々も多かったので、そういう日は当然“働いて寝る“という生活パターンだった。
ちょうど10年前の今頃、年に1回人事が取る従業員アンケートで、思う事を率直に書き述べたところ、呼び出され「元の部署には戻さんぞ。お前は戦力外、野球で言えば二軍選手だ。東京へ戻りたかったら転職しろ!」と逆に退職勧奨面談を受けて、絶望的な気持ちになった。
で、1つ年上の直属上司は配属当初こそ「何で東京で営業やってる人が現場に来たのかなぁ?」と半分不思議そうに言うてたが、もうこの時期には「東京で営業やってた人がですよー、倉庫現場で段ボール箱の組み立てしてる事実から、現状がわかりませんかー?」と嫌味を言っていた。
約10日後また人事から呼び出され、いろんなミスを針小棒大に言われた挙句、さらに所属部署の次長にも「お前なんていりません!」と嘘泣きの涙目で言われて、倉庫現場からも追放され、実験室みたいな部屋でレポート書かされる日々となり、様子をうすうす察知していた父親に察知され、今度は実家へ呼び出された。
そして、現状をしゃべらされた後、カイシャを辞めて家業を継ぐように半強制的に命ぜられ、残念ながら再び東京で暮らす夢は叶わなくなり、家業の物件を管理するという事で、東大阪市の東花園へ転居する事となった。
だから或る意味この街は、オレにとっては悲しみの街である。でも退職してすぐに引き払ったわけではなく、数か月後おばあちゃんと父親が豊中市内で入院する事になっていたので、病院に割と近いゆえ、そのまま引き続き4カ月住み続け、結局トータルで1年間住んでいた。
引き払う直前には、周りのおいしいお店を発見したり、いろんな食材があるスーパーにも行くようにもなっていた。だが、カイシャの風呂使用してたのが銭湯通いになったが。
ここの街並みや風景は一見あまり変わっていなかったが、新しいビルやコンビニが出来たりして変化している所もかなりある。
しかし同じく、かつて住んでいたけれども、その後何度も訪れている、板橋区小茂根や横浜市戸塚区、東花園とは違い、去ってから一度も訪れていないので、ウロ覚えや忘れかけてた場所も多く、やはり10年間の歳月の流れを感じさせた。
あの忌まわしい東日本大震災で被害を被った人たちは、こんなオレの災難よりもはるかに辛い災害や苦労を乗り越えて、歯を食いしばって明日へと頑張っておられる。
それに引き換えこのオレは、この10年間の歳月でいろいろやってはいるものの、まだまだ力不足だしうまく行ってない事も多い。それどころか以前から潜んでいた怠慢癖も出てきている・・・。
「あらためて頑張って行こう!」そう新たに誓った時でもあった。








