今年の猪名川町
今年もママチャリで猪名川町へ行って来た。
いつもは、4月1日もしくは2日に行ってるのだが、桜が散り去った若葉薫る時季に行ってみたいと思ったのと、この日1泊2日で家族旅行する事になったので ~結局前日に母親の体調が悪くなり中止となったが~ 、1週間ずらして行ってみようと思ったのだ。
ところが、桜が散り始めどころか、満開に咲き誇っており、地面にもあまり花びらが散ってないような状態だった。山のほうはおそいんかな?

で昨年に引き続き今回も、町内にある一般大衆食堂でお昼をした。うどん付きのおにぎり定食であった。味は普通だがコレで充分!
また、昨年訪れた酒蔵を改造したカフェは、リニューアルの為閉店しており、残念ながら入れなかった。

御覧のとおり、いつもながらののどかな景色、上の写真にある桜と川のコラボレーションは初めて見た景色だ!こんなステキな景色、あったかなぁ・・・?

またどう言うワケか、例年よりもそんなに疲れはせず、まわりの風景楽しみながら目的地の終点まで、結構のほほんと行けたような気がする。
最近件のお店ネタを書かなかった理由は、
別に“もうこんな低俗な遊びはやめよう”と改心したワケでも、“50にもなって、もうこんなエロい事を日記にしてウケ狙いするのはやめよう”と大人になったワケでもない。こういう事。
それは簿記検定試験の直前期に知った。春から上の学校へ進学するそうなので、いつかこんな日が来るのではないかと思っていたが、それにしても寝耳に水だった。
それにもめげず、簿記2級は無事合格出来たが、2月24日の失恋記念日は2X年前を思い出した悲しみではなく、試験結果への不安とまもなく迎えるこの別れの悲しみのほうが勝っていた。
そういえば今年になって、何かを言いかけてやめ、聞き返したらやや不自然な回答をされた事が2回あったので、ひょっとしてお店やめる旨を言いたかったのかも知れん。
勤務日も残りあとわずかとなった日に、先日小樽へ行った際買った北一ガラス店のグラスと自分の貼り絵絵はがきをプレゼントした。
そして最後の日は、待っているお客が多そうで、お店からもせかされてるような気がしてあまり長時間いる事が出来ず、お礼と別れの言葉と握手は交わしたものの、最後らしからぬ慌ただしい別れ方であった。
日本人形のようなやや童顔で清楚な顔立ちの割には、オレより背が高く、スタイルもよかったが、それ以上に“なんでこんな勉強熱心で知的な娘が、![]()
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なお店で働いているんやろう?”と思うくらい言動がしっかりしていた。
もちろん他にも、美人かつセクシーでサービス旺盛、話し上手な女性店員サン達はたくさんいるが、ほとんどの店員サンは![]()
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目的以外の前後上下左右にはならなかった。
だが彼女は、それらプラスお互い勉強熱心かつ好奇心旺盛な性格ゆえ、また彼女が興味ある事柄でオレも興味あるもの、または興味はないが比較的よく知ってる分野であるものがシンクロかと思うほど実に多く、非常にハナシが合い、この11カ月間楽しかった。もちろんやさしかった事は言うまでもない。
もしもこういうお店ではなく、異業種交流会や社会人サークル、SNSのオフ会などで知り合ったとしたら、そして極端な年齢差でなかったら口説いていただろう。
最近になってようやく心も癒えてきたが、1か月もの間お店へ足向ける気になれなかった。
出会ったのが桜が散り去り八重の桜が満開の季節で、最後の日が温かけれど春はまだまだ浅い時季であったから、花見の季節とカブる事がなかったというわけか。
ありがとう、○○さん。これからの幸運と健闘を祈る!

(お店から出た直後のオレ)
ようやく使い切ったnankaiマイチケット
昨日の野上電鉄廃止20周年で訪れた際に、南海電車で帰宅する事にしたが、その際、3年前の日記で述べた、このnankaiマイチケットの残金分 も使う事にした。
和歌山市駅の券売機に入れたものの、なぜか”カードを上向きにして入れて下さい”とヘンな表示が出たので、裏返して入れたがそれでも同じ表示が出る。
仕方なく、横の1万円札や定期券、広範囲の接続路線購入にも使用できる券売機に通すと、使えましたー!
たぶん残金は200円位しか残ってなかったと思われるが、それでもなんばまでの890円分には相当な足しとなる!
ココに印字されてるとおり、購入したのが1991年2月で、当時は「どうせ、何度も野上電鉄や南海貴志川線(現・和歌山電鐵)に乗りに行くんだから。」という考えで買ったんだが、その7カ月後オレは上京し、帰阪してからもしばらくはカードの事をすっかり忘れていたので、再び使用するのは18年後となった。
また、それ以降も南海を使用する事は全くなく、今回の野上廃線訪問でようやく使い切る事が出来た。使い切るのに足掛け23年かかったというワケだ。
ソレにしても、同時期の他社カードは、今でも使用出来るんかなあ?
20年後の野上電鉄
廃止20周年という事で、1994年の廃止そして会社解散により消滅した、和歌山県海南市を起点に走っていた、今はなき野上電鉄(以下 野鉄)の廃線跡を訪れて来た。
なお、この鉄道の概要は2011年3月31日付の日記 で述べているので、併せて参照にされたし。
本当は午後1時頃からJR海南駅(野鉄の起点駅だった日方駅の最寄駅)で行動を起こしたかったのだが、生憎実家でちょっとしたトラブルがあり、現地に着いたのは午後3時頃だった。
今から行動を起こしても、そこそこノスタルジーには浸れるが、周りを見ながらの散歩気分で終点駅だった登山口駅まで行く事は難しい。電車如く、ただただまっすぐに行くだけになりそうだった。
起点だった日方駅は当然、駅の建物などは残っておらず、草の生えた空地になってるだけだが、立入禁止となってて、土地の真ん中でなんか築き上げてるようだから、何か出来るんでしょう。
ソレにしても、20年間も空地のままで放っておくか?

ココから約6kmほどは、廃線跡がウォークラリー道路となってるので、容易に歩ける。下の写真のように、絵も所々に飾られている。上手だけど、現役の時からこんな一面の田んぼの中を走る鉄道じゃなかったぞー!家も多かったぞー。(笑)


ウォークラリー道路が終点になると、が、そこから先はもう道はない。
廃止10年後に訪れた時はまだ、廃線跡やホーム跡が残ってたので判別できたが、さすが20年ともあって、どこにどう線路が走っていたのかがわかりかねる地や、全く新しい道路や瀟洒な家々が建てられて消えてしまってる地、現在工事中の地も多く、若干道に迷った。
終点の登山口駅跡へ着いたのは午後6時33分頃で、当然廃線跡を辿って辿り着いたのではなく、先に述べたように線路跡自体がほとんどなくなってるので、背後の山と代替えバスが通る道を手掛かりに歩き回ってるうちに、
「ありゃ?このお店、登山口駅前のお店ちゃうの?で、遠くに見えてるアレ、駅の後に建ったバス車庫ちゃうの?終点に着いたんだ。」でわかったのだ。

駅跡のそばには新しく作られた道路、そしてその背後に川が流れているが、この川岸も整備されている。10年後はまだ、自然な感じの川だったのにな。

二十台ん時の2人の鉄道仲間は「鉄道(趣味)には感謝しているけれど、生き物ではないので、愛情が籠らない・・・。」と慌てて婚活&結婚していった。
御存知のとおりオレは、相手に全く恵まれず、鉄の道を突きすすみ、自分独自の鉄道趣味を創造&発展させていった。野鉄はその影響を与えてくれた恩人的な鉄道だった。
20年前のこの日、にわか鉄ちゃん、にわか乗客等であふれ返りながら、消滅したが、20年後の今、野鉄の廃止を追悼する者は誰もいない・・・。
でも、
月日は流れ 我等も年を取るけれど 野上(きみ)の事は 永遠に忘れない
京の町家とkyoはり絵展
もう4週間も前の事になってしまったが、上記の絵を観に、かつて住んでた東花園にある美術館へ行って来た。
この展覧会が開催されてる事を知ったのは、簿記2級の受験直前期だった2月21日で、当然その時はどうにもならなかった。
また試験終わってからも、失恋記念日行事などを執り行わなければならなかったので、空いてる日は3月1日しかなかった。
さてこの展覧会を観た感想だが、たくさんの京都の商家の建物が美しく制作されている・・・。
「へぇ~、こんな意匠を凝らした建物があるんかー?たまに京都へ行くのに全然気付かなかったー!」
「そういえば、(三重県の)関の町並みにもこんな建物が多かったな。」
だがしかし、「ジャンルが同じ貼り絵なんで、自分の絵の参考になった!」とはならなかった。
そうではなくて、「もし、玄海灘交通クッピー線に建物が少なければ、民家や商家の製作で大いに参考にしてただろう。」と感じたのであった。
確かにこの人の貼り絵は美しいし素晴らしいが、オレが自分の絵の制作で参考にしたいのは、人物の絵や風景の表現方法、そして陰影の付け方などで、建物は貼り絵ネタにはあるけど、コレに関しては他の人の作品をあまり参考にはしない。
ソレに、これらの絵は、道路の端からまっすぐに描き、そんなに色も使用していないので、なんか模型的にも見えた。
だがだが、もしもだ、先ほど言うたように、これから仮にまた新たに鉄道模型のレイアウトやジオラマ制作するとしたらだ、これら建物群の貼り絵はメチャ参考になる。確かに市販の建物には面白いものが出ているが、他の人の作品と違いや差を付けるって事では貴重な参考資料になる。色に関しても、こんな塗料や色を使用したらよさそうだ、等と思った。
この絵に出会うのがおそかったな!









