2年の春、中学3年からすっかり負け癖がついてしまい、部活もどんどん適当になる。人に流されやすい単純な性格もあり、髪も茶髪、タバコも堂々とスパ~。制服も昔流行ったボン短、短ランで街中でうろつく。グランドに出てはケンカをし、スパイク履いた状態で同級生をけり続け流血させたことも・・・
その時に泣きながら止めに入っていたのが、当時1年先輩のマネージャー。後に自分の嫁さんとなる。
その2年の時から部活の先生が増え、ルーキーズの川藤のような先生だった。夏までは前任の先生も居たこともあり、少々遠慮がちだった。春・夏の予選大会も先輩をたてて遊撃手で守っていたが、相変わらずの惨敗で終了。3年も引退し、前任の先生も居なくなったことから、その先生もどんどん地がでてきた。
その先生は前任校も荒れた野球部で建て直しをしてきたらしく、九州男児の熱血漢。非常に熱い男だった。
その先生から、「お前中心の新チームを作る」といわれ単純な自分は茶髪な髪を切り、やる気を出し始める。しかも、4番ピッチャーでいくとのこと。さすがに主将までは荷が重過ぎるため、副将に留まることになった。
夏以降、地獄のような特訓が始まる。手始めに挨拶、道具の管理と基本からみっちり教え込まれ、やはりにわか仕込の投手の自分が投げても、高校野球では簡単には通用しないと、朝晩の練習はもちろん、投手は人の倍以上練習しないとだめだと居残り練習の毎日。ランニング・坂道ダッシュと下半身の強化を徹底させられた。
しかも、うちの学校では考えられない遠征も実施。他校との2日間5試合とハードスケジュールをこなす。
試合に負けても他校の技術、野球に対する姿勢を学ばせるためだった。自分たちも少しづつでは、あるが負け数も少なくなり、負け試合の点差も縮みはじめ、上達している実感しはじめる。

