(Facebookより)
対話って一言でいうけど、交流分析を持ち出すまでもなく、対話は心理的なエネルギーの交流でもある。
①お互いに気持ちよくなることを主目的にする人、
②自分が気持ちよくなることを主目的にしていてそれを阻む人の気持ちをそぐ人、
③そういう心理的な力関係の厄介を嫌って事実や論理やデータのやり取りに重心をおく人
といる。
無論、周囲がどう受け止めているかは分からない。なぜなら自分の尺度で他者のことも見るからだ。
↓
(twitterより)finalvent氏: 他者との接触は、相手を思う想像力と言った片方の主観の問題ではなく、双方が合意してるプロトコルの問題。
↓
交流分析では5つの自我要素が前提される。
権威的な父CP、それに順応する子供AC、
自由な子供FC、それを保護する母NP、
そして合理的な大人Aだ。
対話をCP⇔ACの上下の秩序にもち込む人、
NP⇔FCの対等な気楽さにいたい人、
ただ情報や知識の合理的なやり取りに集中したい人
といると言えば卑近な事柄である。
大切なのは、対話する者同士で関係性に合意ができていることだ。
↓
同じ上下関係の認識でも、自分がCPで相手がACであるべきと両方が思えば葛藤(交差交流)が生じる。
また、片方が上下関係、片方が対等関係と異なる認識をしていれば、これまた葛藤が生じる。
合理的な大人Aの関係と認識している人と、上下関係や自由と寛容が前提の人間関係的対等の関係と認識している人でも葛藤が生じる。合理的な大人Aの自我は人間関係の力学を捨象しているからだ。
実際は、人は5つの自我要素を全体エネルギーを同一に強弱の分布で担っていて、葛藤がなくなる(平行交流)ように相互に歩み寄ることができる。
その歩み寄りがうまく行ったケースバイケースの成果が結果的に「双方が合意してるプロトコル」だと言える。
対話って一言でいうけど、交流分析を持ち出すまでもなく、対話は心理的なエネルギーの交流でもある。
①お互いに気持ちよくなることを主目的にする人、
②自分が気持ちよくなることを主目的にしていてそれを阻む人の気持ちをそぐ人、
③そういう心理的な力関係の厄介を嫌って事実や論理やデータのやり取りに重心をおく人
といる。
無論、周囲がどう受け止めているかは分からない。なぜなら自分の尺度で他者のことも見るからだ。
↓
(twitterより)finalvent氏: 他者との接触は、相手を思う想像力と言った片方の主観の問題ではなく、双方が合意してるプロトコルの問題。
↓
交流分析では5つの自我要素が前提される。
権威的な父CP、それに順応する子供AC、
自由な子供FC、それを保護する母NP、
そして合理的な大人Aだ。
対話をCP⇔ACの上下の秩序にもち込む人、
NP⇔FCの対等な気楽さにいたい人、
ただ情報や知識の合理的なやり取りに集中したい人
といると言えば卑近な事柄である。
大切なのは、対話する者同士で関係性に合意ができていることだ。
↓
同じ上下関係の認識でも、自分がCPで相手がACであるべきと両方が思えば葛藤(交差交流)が生じる。
また、片方が上下関係、片方が対等関係と異なる認識をしていれば、これまた葛藤が生じる。
合理的な大人Aの関係と認識している人と、上下関係や自由と寛容が前提の人間関係的対等の関係と認識している人でも葛藤が生じる。合理的な大人Aの自我は人間関係の力学を捨象しているからだ。
実際は、人は5つの自我要素を全体エネルギーを同一に強弱の分布で担っていて、葛藤がなくなる(平行交流)ように相互に歩み寄ることができる。
その歩み寄りがうまく行ったケースバイケースの成果が結果的に「双方が合意してるプロトコル」だと言える。