社会構成主義の結論を待つまでもなく、世の中にこれは絶対正しいということは何一つない。
たとえば、上下はある、という命題さえ普遍的で正しいようでいて、宇宙船で地球を脱した宇宙では上も下もない。つまり命題が真となる、地上、という限定的領域があるに過ぎない。
何かの体制や秩序についても、これが絶対正しいということはない。
たとえば、AからBに変わるのが時代の趨勢だとしても、Bのすべてが良くて、Aのすべてが悪い訳ではない。
理想的にはAの悪い所を除いて、Bの良い所を伸ばすのがいいに決まっている。
ところが、人は自分の利害でどちらかを選択しがちだから、A派とB派に分かれてしまう。
ABを理想的に統合する合理派もいるにはいるが、両者から排除されてしまうし、多くの人がそれを見越して合理派にならず、たいてい合理派は少数派に留まる。
民主主義が生まれたギリシャ以来、少数意見の尊重が言われるが、その少数意見とはこうした少数派に留まりがちな合理派のことを捉えていたのではなかろうか。
ABを理想的に統合するという考え方には、Aをやめることによって利害を損なう人の救済策やBへの移行策が含まれる。
ところが、派閥の利害秩序は、自派体制を強化する方向にばかりに向かうから、つねにその貫徹を構成員に強いている。
それは、構成員が自派に留まり協力するなら本来、不合理・不条理なことでも独自の、つまりは限定領域の論理で正当化して、構成員に許したりやらせたりして、構成員に派閥に依存させる、という人格変容を含む。
(具体的な例を上げれば、農家が生産活動をしないことでむしろおカネをもらえる減反政策とか、原発を受け入れさえすれば自力で地場産業を育てなくてもおカネをもらえる原発交付金とか。企業が本来、雇用する必要のない社員を雇用してもらえる就労補償金とか、この場合、企業と社員の両方が依存体質になり弱体化する。)
こうした背景から派閥の<内>の構成員のほとんどは、合理派にはなれない、というか、理性的に分かっていてもならない。
合理派に理性的にも本音的にも容易になれるのは、一般的に、特段の利害関係がなく特定の<内>に留まらない<外>の協力者である。
ここで言う<内><外>は、組織や集団の内外と考えてもいいし、知識や活動の分野の内外と考えてもいい。
少数でも合理派がいて健全に機能している組織や集団の場合(統率力のあるリーダーがいたり、現場業務にまで基本理念が徹底した会社など)、<外>の協力者との連携を綿密に図ることで、対立しがちな内部派閥なり考え方の守旧ABの統合的な調整をしているが、そうした理想的なケースは、企業社会、官僚社会、学校学問社会、地域社会すべてでつまりは日本の国全体で少なくなってきている。
以上、長々と述べてきたことは、国や社会、組織や集団の人間関係論であり政治力学である。
こうした人のサガというものはいたし方ないものなのだろうか?
私は、ポリティクスの実態を俯瞰する視座、つまり文化の視点が、このサガを客観視しコントロールするための対話そして解答を創出していくのではないか、と考えている。
しかし、世の中が政治的に急変する時節に、悠長に文化論を述べている暇はないし、述べたとしても誰も聞かないだろう。
しかし、政治的な急変が新しい事態を重層的にもたらし、さすがにその実態を自らの日常の生活や仕事の状況とした人々は、過去からの経緯を振り返って、悠長な文化論にも耳を傾け、生活文化や仕事文化という土台から、自分たちが関与している人間関係や政治力学の現実の好悪得失をとらえて改善なり改革をしようと思い立つのではなかろうか。
そして、その時に有意義なことを本質を分かりやすく述べるには、今から用意を周到にするしかあるまい。
私はライフワークとして文化論の方に軸足を置いてきたが、昨今は、日本と世界の急変に目を向けざるを得ない日々となっている。
しかし、人には持ち場役割があり、また時間、体力、知力などなどリソースも無限ではなく、何もかにもができる訳ではない。そろそろ初老の域に達するとならばなおさらだ。
急変する現実という、ポリティクスの実態を文化の視点から俯瞰しつつ、人間関係と政治力学の現実を、フェアかつオープンマインドな対話によってコントロールしうる文化論、つまりは組織や集団の知識創造論の検討に集中していきたい。
それは急変する現実に関わる諸問題にとっても、遠回りのようでいて、急がば回れの近道ということもあろう。
目の前の現実に引きずられずにむしろ悠長に古今東西の関連テーマに目を向けることで、世界市民としての連帯を射程にいれた視界の広さももつことができよう。
矛盾するようだが、この課題は、ひょっとすると急務なのかも知れない。
そしてたまたま、今の私は、この悠長な急務をこなすにある意味ベストな身の上にある。
東京都心でやってきた仕事とその現場から距離をおいた私だから振り返って俯瞰できる問題があり、また目前の事態に引きずられない立場だから掲げられる、個人的な利害や特定の専門分野の垣根を超えた社会的な課題もあろう。