「イラスト・図説でよくわかる 江戸の用語辞典 時代小説のお供に」
江戸人文研究会編 廣済堂出版刊 発
*今回は「はじめに」についてのメモでございます。
身分的な人間関係の様相について
「江戸初期にはまだ気の荒い戦国時代の風習が色濃く、文化的には上方が中心でございました」
「歌舞伎」の語源である「歌舞く」=「傾く(かぶく)」は、「かぶ」が頭のことで頭をかしげるような行動、つまりは「常識外れ」「異様な風体」をすることだった。さらに転じて、風体や行動が華美であることや色めいた振る舞いを指すようになり、そのような身なり振る舞いをする者を「かぶき者」というようになった。
「かぶき者」は、時代の美意識を示す俗語として天正頃に流行した。
信長の没したのが天正10年だから、まさに信長全盛の時代の美意識だった訳だ。
江戸初期にも「かぶき者」は残存していて、これを幕府は厳しく取り締まった。(参照:NHK番組「タイムスクープハンター かぶき者たちの夜」http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2010018790SA000/ お試し視聴あり)
おそらく「かぶき者」が世間を大手をふるって歩くことが、体制にとって示しが着かない悪影響があったのだろう。
「かぶき者」は、私たちにはうつけ者と言われた青年期の信長を連想させる。信長は親族身内で骨肉の争いをした訳だが、安定した家父長制の主従関係を体制化しようとしていた江戸幕府も「かぶき者」をその疎外要因とみなした筈だ。
「かぶき者」は公道のリアル世界から一掃され、「歌舞伎小屋」の「歌舞伎役者」の娯楽演劇のヴァーチャル世界に封じ込められて行く。
私たちは、ここにも、
「家康志向」=集団を身内で固める集団志向 の体制秩序
「信長志向」=自由に活動している個々で集団を構成する集団志向 の反体制秩序
の対立と相互補完の構造を見出す。
一般に「世襲」というと、血縁継承を基本とするように考えられているが、それが徹底したのは身分の高い武家と大きな商家であり、一般的には「お家」を維持発展させるのが至上命題で婿や養子をとることは多々あった。
さらに、武家社会と対峙した町人文化や庶民文化においては、「襲名」というその<世間>の誰もが認める実力者が名前を継ぐことが一般的だった。歌舞伎の◯◯座・◯◯屋、落語の◯◯亭・◯◯家、浮世絵の◯◯一門は、疑似「お家」の疑似「家父長制」と捉えることができる。これは基本、出入り自由の「信長志向」の集団志向に他ならない。
武家の「お家」の主従関係は身分を踏まえた支配被支配関係なのに対して、庶民文化の疑似「お家」の主従関係は実力主義の師弟関係だった。
商家の「お家」は「お店(たな)」において使用人にまで拡張されその主従関係は基本的には雇用被雇用関係だった。そこに<知>の師弟関係、<情>の親子兄弟関係、<意>の命令系統関係が重なった。現代日本の企業の人間関係の様相は、会社によって多様ではあるが、おおよそこの「お店」の様相が今でも展開している。おそらく人間関係の様相だけを取り上げれば、アメリカの企業よりも、江戸時代の「お店(たな)」の方に親近性があるのではないか。日本の場合、体育会系でなくても、テレビの芸人まで先輩後輩関係に細かくうるさいが、それは企業の人間関係にもあり、そこ一つとってもそうだと言えよう。
着目すべきは、一般サラリーマンの場合、先輩後輩関係に細かくうるさい様相がそのまま年功序列といった組織制度に反映してきたのに対して、官僚や芸人の場合、先輩後輩関係に細かくうるさい様相とは別途、厳格な実力主義の組織制度が徹底してきたことだ。
一般サラリーマンは、会社の雇用被雇用関係において位置づけられ、
官僚は、試験と資格において位置づけられ、
芸人は、お客の人気において位置づけられる。
そういう組織制度の違いも反映している。
官僚社会は、明治の近代国家樹立以来、自己保存の法則が働いて「家康志向」がどんどん拡張してきた。
芸人社会は、戦後のテレビの発達に従って、人気芸人の入れ替わりが激しくなり、最近はコンビやトリオの一人が他とグループで出る「信長志向」がどんどん強くなってきた。
こう比較してみると、サラリーマン社会が、江戸の「お店(たな)」以来、人間関係的にはあるいは恊働関係的には一番変化していないと言える。
じつは、そうした企業社会の様相は、江戸後期に完成していたものに由来を求めることができそうなのだ。
「江戸中期になりまして、文化の中心が江戸の移ります。平和が定着し、武士も穏やかになりつつ、よりストイックになってまいります。
江戸後期は江戸文化が成熟した頃ですな。文化も花咲きますが、武士の風潮や気質が庶民にも広まって、身分の違いが小さくなってまいります」
ただし、この身分の違いが小さくなったのは、武士と町人の商人・職人そして商家的に隆盛した豪農との関係であって、貧農との格差や被差別民への差別はむしろ拡大・定着していった。量的には貧農が多いこと、質的には非差別民は貧農にもひどく差別されたことは留意すべきだ。
こうした見方は、現代の企業社会にも当てはまる。
就労環境が総じて過酷になると、正社員であれば、大手でも中小零細でも身分的な違いは就労環境が安穏だったころよりも意識されなくなった。定職を保っているだけでも御の字という階層が拡大したからだ。その分、それから漏れた派遣やフリーターへの差別や、彼らが、あるいは彼らとは結婚できないといった身分的とも言える格差は拡大した。
「微妙なところでは『町人』というのがあります。一般的には庶民と同義で使われますが、狭義では、庶民の中でも、表店(おもてだな)を営む以上の方々で、税金を納め、町の行政に関わる家の者を申しまして、貧しい裏長屋の住人などは含まれません」
現代の正社員は「町人」、派遣やフリーターは「町人や豪農をさっぴいた庶民」に相当しようか。
「そして幕末の十年は、またきな臭い時代となって、あらゆることが変わってまいります」
おおよそ、企業社会の身分的な人間関係の様相は江戸後期に完成していたものに由来し、それが今や制度疲労してきて幕末期のように揺さぶられていると、歴史をハイパーテキスト的に捉えることもできよう。
江戸の「間思考」について
「今日の方は、物事を『点思考』で捉えてますが、当時の方は『間思考』が基本でございました。
それは時間感覚にも見られます」
私たちは「◯時」と言えば、時計の短針が◯を指すその時を思うが、江戸時代の「◯つ」は、◯つの鐘がなってから◯+1の鐘がなるまでの「間」のことなのだ。
だから、◯つに約束している人が、◯つの鐘がなり終わってそろそろ行くかと腰を上げてOKだったのである。今、そんなことをするのは、デートにわざと遅れて行くことで優位に立とうとする軽薄者くらいだろう。
このことの根底には、時が太陽の出入りや月の出方にそっている、つまり自然観というか宇宙観がある。一時は2時間だから、◯つぴったりに来た律義者はへたすると1時間50分待たされても文句は言えないのだ。インドの場合、その日の内に会えればいいくらいの感覚だと何かで聞いたが、パンクチャルなクロックタイムで暮らしている現代人からずれば、江戸もインドも五十歩百歩だ。
「間思考」には、日本人ならではの自然観や宇宙観が影響しているのかも知れない。
「人を見る時もまた『仕事や経歴、趣味』など、個人の情報ではなく、『親や家系、所属』などを見ました。
本人よりもどのような『間』にいるかを重視したからでございます。
これが社会(筆者注:私の用語法では<世間>)の基準ですから、責任も個人だけでなく所属する者全員に及びました。
この間思考というのは、一見曖昧で理不尽に思えますが、その反面、当事者は曖昧さの中から答えを出す判断力と責任が求められる考え方でもありました。
社会の管理もまた間思考が基本で、それぞれの所属社会に、一義的な裁量権がございました。ですからそのルールも、今日の法律のように万人に共通するものではなく、所属する社会(筆者注:<世間>)によって異なりました」
雪印食品牛肉偽装事件において、告発をした冷蔵倉庫業者に仕事がぱったりこなくなったことは有名だが、業者の分際で得意先を告発するとはなんだ、というのが仕事をさせなくなった人たちが告発者に抱いた反感だったのは確かだ。
これは、それぞれの所属社会に一義的な裁量権があった江戸時代の因習が色濃く残存している、ということではないか。
最近では、オリンパスが辞めさせられた外国人社長によって告発されて、ついに自己再建が難しいという判断から資本業務提携することになっている。
これも、歴代の日本人社長は身内という所属社会での一義的な裁量権による処理をしてきた訳で、仮に日本人社長による告発ならば、ここまでの展開にはならなかった可能性が高い。
外国人投資家の利害を代表する外国人元社長による告発だったために、お上も対応を誤れば国際問題になるどころか株価のさらなる低迷をもたらしかねない。行政指導も強く働いた筈だ。
*次項では「巻頭コラム」についてメモさせていただきます。
江戸人文研究会編 廣済堂出版刊 発
*今回は「はじめに」についてのメモでございます。
身分的な人間関係の様相について
「江戸初期にはまだ気の荒い戦国時代の風習が色濃く、文化的には上方が中心でございました」
「歌舞伎」の語源である「歌舞く」=「傾く(かぶく)」は、「かぶ」が頭のことで頭をかしげるような行動、つまりは「常識外れ」「異様な風体」をすることだった。さらに転じて、風体や行動が華美であることや色めいた振る舞いを指すようになり、そのような身なり振る舞いをする者を「かぶき者」というようになった。
「かぶき者」は、時代の美意識を示す俗語として天正頃に流行した。
信長の没したのが天正10年だから、まさに信長全盛の時代の美意識だった訳だ。
江戸初期にも「かぶき者」は残存していて、これを幕府は厳しく取り締まった。(参照:NHK番組「タイムスクープハンター かぶき者たちの夜」http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2010018790SA000/ お試し視聴あり)
おそらく「かぶき者」が世間を大手をふるって歩くことが、体制にとって示しが着かない悪影響があったのだろう。
「かぶき者」は、私たちにはうつけ者と言われた青年期の信長を連想させる。信長は親族身内で骨肉の争いをした訳だが、安定した家父長制の主従関係を体制化しようとしていた江戸幕府も「かぶき者」をその疎外要因とみなした筈だ。
「かぶき者」は公道のリアル世界から一掃され、「歌舞伎小屋」の「歌舞伎役者」の娯楽演劇のヴァーチャル世界に封じ込められて行く。
私たちは、ここにも、
「家康志向」=集団を身内で固める集団志向 の体制秩序
「信長志向」=自由に活動している個々で集団を構成する集団志向 の反体制秩序
の対立と相互補完の構造を見出す。
一般に「世襲」というと、血縁継承を基本とするように考えられているが、それが徹底したのは身分の高い武家と大きな商家であり、一般的には「お家」を維持発展させるのが至上命題で婿や養子をとることは多々あった。
さらに、武家社会と対峙した町人文化や庶民文化においては、「襲名」というその<世間>の誰もが認める実力者が名前を継ぐことが一般的だった。歌舞伎の◯◯座・◯◯屋、落語の◯◯亭・◯◯家、浮世絵の◯◯一門は、疑似「お家」の疑似「家父長制」と捉えることができる。これは基本、出入り自由の「信長志向」の集団志向に他ならない。
武家の「お家」の主従関係は身分を踏まえた支配被支配関係なのに対して、庶民文化の疑似「お家」の主従関係は実力主義の師弟関係だった。
商家の「お家」は「お店(たな)」において使用人にまで拡張されその主従関係は基本的には雇用被雇用関係だった。そこに<知>の師弟関係、<情>の親子兄弟関係、<意>の命令系統関係が重なった。現代日本の企業の人間関係の様相は、会社によって多様ではあるが、おおよそこの「お店」の様相が今でも展開している。おそらく人間関係の様相だけを取り上げれば、アメリカの企業よりも、江戸時代の「お店(たな)」の方に親近性があるのではないか。日本の場合、体育会系でなくても、テレビの芸人まで先輩後輩関係に細かくうるさいが、それは企業の人間関係にもあり、そこ一つとってもそうだと言えよう。
着目すべきは、一般サラリーマンの場合、先輩後輩関係に細かくうるさい様相がそのまま年功序列といった組織制度に反映してきたのに対して、官僚や芸人の場合、先輩後輩関係に細かくうるさい様相とは別途、厳格な実力主義の組織制度が徹底してきたことだ。
一般サラリーマンは、会社の雇用被雇用関係において位置づけられ、
官僚は、試験と資格において位置づけられ、
芸人は、お客の人気において位置づけられる。
そういう組織制度の違いも反映している。
官僚社会は、明治の近代国家樹立以来、自己保存の法則が働いて「家康志向」がどんどん拡張してきた。
芸人社会は、戦後のテレビの発達に従って、人気芸人の入れ替わりが激しくなり、最近はコンビやトリオの一人が他とグループで出る「信長志向」がどんどん強くなってきた。
こう比較してみると、サラリーマン社会が、江戸の「お店(たな)」以来、人間関係的にはあるいは恊働関係的には一番変化していないと言える。
じつは、そうした企業社会の様相は、江戸後期に完成していたものに由来を求めることができそうなのだ。
「江戸中期になりまして、文化の中心が江戸の移ります。平和が定着し、武士も穏やかになりつつ、よりストイックになってまいります。
江戸後期は江戸文化が成熟した頃ですな。文化も花咲きますが、武士の風潮や気質が庶民にも広まって、身分の違いが小さくなってまいります」
ただし、この身分の違いが小さくなったのは、武士と町人の商人・職人そして商家的に隆盛した豪農との関係であって、貧農との格差や被差別民への差別はむしろ拡大・定着していった。量的には貧農が多いこと、質的には非差別民は貧農にもひどく差別されたことは留意すべきだ。
こうした見方は、現代の企業社会にも当てはまる。
就労環境が総じて過酷になると、正社員であれば、大手でも中小零細でも身分的な違いは就労環境が安穏だったころよりも意識されなくなった。定職を保っているだけでも御の字という階層が拡大したからだ。その分、それから漏れた派遣やフリーターへの差別や、彼らが、あるいは彼らとは結婚できないといった身分的とも言える格差は拡大した。
「微妙なところでは『町人』というのがあります。一般的には庶民と同義で使われますが、狭義では、庶民の中でも、表店(おもてだな)を営む以上の方々で、税金を納め、町の行政に関わる家の者を申しまして、貧しい裏長屋の住人などは含まれません」
現代の正社員は「町人」、派遣やフリーターは「町人や豪農をさっぴいた庶民」に相当しようか。
「そして幕末の十年は、またきな臭い時代となって、あらゆることが変わってまいります」
おおよそ、企業社会の身分的な人間関係の様相は江戸後期に完成していたものに由来し、それが今や制度疲労してきて幕末期のように揺さぶられていると、歴史をハイパーテキスト的に捉えることもできよう。
江戸の「間思考」について
「今日の方は、物事を『点思考』で捉えてますが、当時の方は『間思考』が基本でございました。
それは時間感覚にも見られます」
私たちは「◯時」と言えば、時計の短針が◯を指すその時を思うが、江戸時代の「◯つ」は、◯つの鐘がなってから◯+1の鐘がなるまでの「間」のことなのだ。
だから、◯つに約束している人が、◯つの鐘がなり終わってそろそろ行くかと腰を上げてOKだったのである。今、そんなことをするのは、デートにわざと遅れて行くことで優位に立とうとする軽薄者くらいだろう。
このことの根底には、時が太陽の出入りや月の出方にそっている、つまり自然観というか宇宙観がある。一時は2時間だから、◯つぴったりに来た律義者はへたすると1時間50分待たされても文句は言えないのだ。インドの場合、その日の内に会えればいいくらいの感覚だと何かで聞いたが、パンクチャルなクロックタイムで暮らしている現代人からずれば、江戸もインドも五十歩百歩だ。
「間思考」には、日本人ならではの自然観や宇宙観が影響しているのかも知れない。
「人を見る時もまた『仕事や経歴、趣味』など、個人の情報ではなく、『親や家系、所属』などを見ました。
本人よりもどのような『間』にいるかを重視したからでございます。
これが社会(筆者注:私の用語法では<世間>)の基準ですから、責任も個人だけでなく所属する者全員に及びました。
この間思考というのは、一見曖昧で理不尽に思えますが、その反面、当事者は曖昧さの中から答えを出す判断力と責任が求められる考え方でもありました。
社会の管理もまた間思考が基本で、それぞれの所属社会に、一義的な裁量権がございました。ですからそのルールも、今日の法律のように万人に共通するものではなく、所属する社会(筆者注:<世間>)によって異なりました」
雪印食品牛肉偽装事件において、告発をした冷蔵倉庫業者に仕事がぱったりこなくなったことは有名だが、業者の分際で得意先を告発するとはなんだ、というのが仕事をさせなくなった人たちが告発者に抱いた反感だったのは確かだ。
これは、それぞれの所属社会に一義的な裁量権があった江戸時代の因習が色濃く残存している、ということではないか。
最近では、オリンパスが辞めさせられた外国人社長によって告発されて、ついに自己再建が難しいという判断から資本業務提携することになっている。
これも、歴代の日本人社長は身内という所属社会での一義的な裁量権による処理をしてきた訳で、仮に日本人社長による告発ならば、ここまでの展開にはならなかった可能性が高い。
外国人投資家の利害を代表する外国人元社長による告発だったために、お上も対応を誤れば国際問題になるどころか株価のさらなる低迷をもたらしかねない。行政指導も強く働いた筈だ。
*次項では「巻頭コラム」についてメモさせていただきます。