「イラスト・図説でよくわかる 江戸の用語辞典 時代小説のお供に」
 江戸人文研究会編 廣済堂出版刊 発

*今回は「[い]から始まる言葉」についてのメモでございます。


◯[居合]いあい
◯[居消]いけし
◯[居丈夫]いじょうぶ
◯[居職]いしょく
◯[居丈高]いたけだか
◯[粋]いき
◯[勇み肌]いさみはだ
◯[糸鬢頭]いとびんあたま
◯[鯔背銀杏]いなせいちょう
◯[鯔背]いなせ


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(twitterより)


パラダイム転換①

タブーとは不合理・不条理であることが明白でも誰も侵せない、
<世間>からの圧迫のある事柄です。
<世間>には<内>の人と<外>の人がいると同時に、
<内><外>限らず、
タブーを侵さず協力してその恩恵で保身する人たちと、
敢えてタブーを乗り越えようと連携する人たちがいる。

パラダイム転換②

タブーを侵すことは<世間>の<中>では非常識だと責められるが、
<外>の<世間>では当たり前の常識だったりする。
日本の様々な組織が硬直化し社会が膠着状態にあるが、
<内>なら海舟のように、<外>なら龍馬のように
同志が協力してタブーを乗り越えることでしか打開できない。

パラダイム転換③

外部ブレインやフリーランスには2通りいる。
タブーを侵さず協力してその恩恵で保身する人たち=御用学者や御用聞き、
敢えてタブーを乗り越えようと連携する人たち=信念の学者や自由人。
彼らを活用する経営者や正社員にも2通りいる。
今どちらが優勢かは、東電や経産省見れば分る。
「イラスト・図説でよくわかる 江戸の用語辞典 時代小説のお供に」
 江戸人文研究会編 廣済堂出版刊 発

*今回は「[あ]から始まる言葉」についてのメモでございます。


◯ [相対死]あいたいじに

  江戸の[愛]と結婚
◯[結婚]けっこん
◯[夫婦の情]ふうふのじょう

◯[逢引]あいびき
◯[垢抜けした]あかぬけした
◯[悪所]あくしょ
◯[顎つき]あごつき
◯[仇討ち]あだうち
◯ [後棒]あとぼう
◯[油売]あぶらうり
◯[編笠茶屋]あみがさちゃや
◯[洗張]あらいはり
◯[荒れ寺]あれでら
◯ 行灯の色々


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 江戸人文研究会編 廣済堂出版刊 発

*今回は「巻頭コラム 江戸の時刻と月読」についてのメモでございます。




江戸の時刻と月読は身体知だった



 江戸社会の時刻は[不定時法]と[定時法]の二つがあった。

「鐘がご~んと鳴って『おや、もう七つだね』なんていう、[時の鐘]で知る生活時刻で、これを『不定時法』と申します」

「もうひとつは、一刻の長さが二時間に固定された『定時法』で、『何時に七つの鐘を鳴らせ』だの『巳刻(みのこく)に登城せよ』など、主に御役目に使われたものでございます」

 不定時法の
「時の鐘は、日の出前を『明け六ツ』、日没後を『暮れ六ツ』として、その間を六等分したものでございました。朝と夜それぞれ六刻なので、一日は十二刻となります。
 昼間の一刻の長さは、季節によって変わります(中略)。
 これは太陽を見てもわかるんで、庶民はもっぱらこちらを用いました」

 ちなみに「おやつ」は八ツに食べていた間食のことだった。
 その八ツは、
 日が一番長い夏至のころだと2時40分くらいから5時10分くらいまで。
 日が一番短い冬至のころだと1時50分くらいから3時20分くらいまで。
 その間がすべて八ツで「三時に食べ始めるおやつ」ではなかった。
 昼食は九ツ、正午からで、日が沈む前に仕事を終えたから夕食は夏至のころは遅く、冬至のころは早かった。昼食と夕食の間つなぎの間食であるおやつは、自動的にちょうどいい腹具合の時間帯にとったことになる。

(ちなみに江戸庶民の昼食は、朝食の残りが中心で、温め直した味噌汁を冷えたご飯にかけて、流し込む程度のものだった。外に出かける職人は弁当持参で、中身はご飯に煮物といったところだ。
 戦国時代までは一日二食だったのが、江戸初期からは一日三食が定着してくる。江戸時代にロウソクが庶民に普及して夜の生活が長くなったためという説が有力だ。
 庶民には少しずつ3食が普及しますが、武士はかなり遅くまで2食だった。太平の世の侍は仕事がラクで午後の早い時間に帰宅できたため、朝夕の2食で十分だったという。)


「一日の区切りは今日のように午前零時ではなく、明け六ツでございました。
 ですから夜明け前の出来事は『昨日のこと』となります」

 今日でも、深夜零時をまわっても飲み続けて話し合っている仲間と、零時前の出来事を昨日のこととは言わない。身体感覚では今日の出来事だから、今日のあれはさ~などと振り返る。
 ところが、空が白む朝まで飲みあかした場合は、夜明け前の出来事は「昨日のこと」と言う。今日はよく飲んだね、とは言わない。言うなら、昨日から飲み明かしたね、と言う。
 江戸社会の時刻表現は、私たちももっている身体感覚だったと分る。

([定時法]はあまり身体感覚を反映していないので割愛します。)



「当時の人は月を見上げれば、今日が幾日かわかったもんでございます。
 これを『月読(つくよみ)』と申します。
 なにしろ『ひと月』は月の満ち欠けで数えておりましたから。(中略)
 満月を見ますと、『月も半ばですなぁ』と感慨深く思ったものです」

 夜空が、万人が共有する大きなスマートホン画面で、画面上の月形のアイコンで今日が幾日かわかった、と思うと面白い。


「[十六夜(いざより)]
 「いざよい」とは「ためらう」の意味で、日没後に、少々間をおいて昇ってきます。満月の少し欠けた月でございます」
 月の動きを擬人化することで、誰もが感慨深く感じられるようにしている造語法である。
 以下もこの造語法による。

「[朔日(ついたち)]
 『月が立つ』という意味でして、第一日目を申します」

「[若月(わかつき)]
 二日目の月で、まるで夜が目をつぶったような薄月でございます」

「[月籠・月隠(つきごもり)]
 月が隠れ始めます、晦日前の月でございます。『晦』と書いて『つごもり』とも読みます」


「[立待月(たちまちづき)]
 十五夜を過ぎますと、月は日没後に昇るようになります。立ったまま『月はまだか?』と待っていますと上がる月で、十五夜の二日後でございます」
 この場合は、月を見る人の振る舞いを表現することで、誰もが感慨深く感じられるようにしている造語法である。
 以下もこの造語法による。

「[居待月(いまちづき)]
 十五夜から三日後の月を申します。月待ちの際、立ち疲れて座った頃に出る月という意味です」

「[臥待月(ふしまちづき)]
 十五夜から四日過ぎますと、月を待っているうちに眠くなりますな。で、横になった頃に出る月でございます。『寝待月』とも申します。
 
 月を見る人の振る舞いを表現する造語法は、身体感覚を連想させるから、言葉自体に身体知を含んでいると言っていいだろう。
 身体語ではないが、身体語が身体部位の動きや身体感覚を連想させることと、似通った認知表現パターンである。



*次項では[あ]から始まる言葉についてメモさせていただきます。


「イラスト・図説でよくわかる 江戸の用語辞典 時代小説のお供に」
 江戸人文研究会編 廣済堂出版刊 発

*今回は「巻頭コラム 江戸の社会と司法」についてのメモでございます。


◯ 江戸の社会と司法の様相に現代の企業社会を照らす

(後略)

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(追記)

集団を身内で固める人(家康志向)と身内を大切にする人は、必ずしもイコールではない。
余所者も身内同等に大切にする人(信長志向)は身内の誰をも大切にする。
利害の一致しか尺度がない人には信念がない。
だから、利害が対立すれば身内の中でまた身内と余所者を分け群れて余所者叩きを続ける。
信念の人は群れず、余所者叩きもせず、出入り自由な身分上下のない同志のネットワークをつくる。
人は考えや意見の異同の以前に、その持ち方で人となりが違う。
人を排除したり、人の言動そのものを制約するのは、自分はそれが許される身分であるとの自負が無自覚的にか自覚的にかある。