1月9日に入院。
入院生活は、20日を超えてきている。
重症個室、ときどきICU(集中治療室)の日々だ。
全身麻酔の手術は、既に3回。
少し、熱は下がったが、まだ39度前後。
僅かな回復だが、
体調自体は、以前絶不調で、生きているだけで精一杯。
「殺してください」と看護師さんに伝えたのも、少し前の事。
「尊厳死宣言公正証書を持ってきて」と両親に伝えたのも、少し前の事。
その中、
お見舞いは、嬉しいかった。
気管切開で、話をする事は出来ないが、そばにいてくれる事が心強かった。
お見舞いは、毎週日曜日だった。
手術の時には、付き添いが必要なので、来てもらっていた。
2回目のお見舞いから、手を握ってもらったり、足をさすってもらった。
ただ、足の感覚は余り無かったりもした。
中年男性が、親や親戚に、普通はする事が無い行為。
でも、その行為が非常に助かった。
中には、嫌な看護師も居て、味方が居ないのではと、
孤独にさいなまれる時もあった。
体も心も限界で、辛すぎる状態で、
その手は、
まるで命を繋ぐ一本の糸のようだった。
伝える事は無かったが、帰っていくのが寂しかった。
この頃に、筆談で、
「毎日、来てほしい」
と伝えた。
父親の運転で、病院までお見舞いに来てくれていた。
なので、毎週日曜日にお見舞いだった。
両親の回答は、
「いいよ。」
それから、仕事を休んで、毎日来てくれる事に。
往復2時間かけて。
両親と親戚で、
毎日お見舞いに来てくれた事は、
回復への最大の力となった。