アラゴン連合王国 旅行記  2025年

10 うさぎを見つけた - サラゴサ(7)

 

 今日はアルハフェリア宮殿を見学するつもりだ。この宮殿の前は、宿と旧市街とを行き来するときに何度も通っているけれども、朝に通るときはまだ開館前だし、夕方に通るときは閉館間際か閉館後かで、なかなか入場する機会がなかった。

 今朝も、開館時刻の10時まではだいぶ時間があるので、少し宮殿の付近を散歩しようとおもう。

 

 

 

 アルハフェリア宮殿の正門を横目に、空堀に沿って直角に曲がる。朝日に照らされた壁面は厳めしく、宮殿というより城砦と呼ぶにふさわしい。と、空堀の底で何か白いものが飛び跳ねた。リス?と思って小走りに近寄ってみる。

 

 

 

 

 リスではなくてウサギであった。毛色が地面の色と同化しているので、しっぽの裏側の白い部分を見せていなかったら、そばを通っても気づかなかったかもしれない。敵が来ないと安心しきっているのか、そのうち箱座りになってしまった。

 

 

 

 宮殿横の公園を抜けると、大通りに面して、クレセント状の大きなマンションがあった。最上階はペントハウスふうに瓦屋根がのっているのが見える。

 

 

 その先のラウンドアバウトを渡れば、昨日も来たエブロ川に架かる橋のたもとに出る。ロータリーの中心にはオベリスクが建ち、その手前には照明灯のタワーや二重螺旋のようなオブジェが並んでいて、何だかわからないがカッコいい。

 ラウンドアバウトの中にバス停があって、グリーンに塗られたイモムシ型の電気バスが発着しているのも、近未来的な風景だ。

 

 

 

 橋の上からピラール聖堂を少し眺めてから引き返し、サン・パブロ地区を歩く。トラムの線路より西側にあるこの地区は、ローマ時代には城壁外だったわけだが、現代においては中世の面影を残す住宅街である。ただし、住民はほとんどが移民のようで、建物への落書きがひどく、美観を損ねている。なかには芸術性の高い壁画もあるのだが。

 

 

 このサラゴサはスペインでも5番目くらいの大都市だけあって、移民が多い。彼らはこのサン・パブロ地区や、宿のあるデリシアス地区に住んでいるようで、中心の旧市街地やトラムに沿った南側の新市街地ではほとんど見かけない。

 スペイン人自体も、新市街と周辺部では「人種」が違う。グランビアあたりを歩いていたような品の良い女子高生などはデリシアス地区にはいない。かわりに目につくのは全身に刺青をしているような姐ちゃんである。

 

 

 

 

 

 

 10時になったので、アルハフェリア宮殿に行く。ここは、現役の州議会議事堂でもあるからか、入場するときに荷物のエックス線検査がある。駅と同様、人間の方はフリーパスだから、どれほどの意味があるのかはわからない。

 入場するとすぐに部屋に囲まれたアラブ風の中庭がある。よく手入れされていて興味深いものではあるが、アルハンブラ宮殿と比べてしまっては気の毒というものだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここから階段を上ってゆくと、複雑につながった部屋がいくつも現れる。華やかな装飾などはないが、天井の装飾は見応えがある。

 

 

 1593年当時の復元模型があって、それによると胸壁の外側にもいろいろな建物が取りついて宮殿らしい結構を見せている。これでは防衛の役には立たなさそうだが、レコンキスタ完了後100年も経っていれば、これで良かったのだろう。

 

 

 一部の部屋ではゴヤの絵画を展示している。代表作のひとつである「裸のマハ」が日本に来たことがあって、朝のラジオで盛んに宣伝していたことを覚えている。

 

 

 

 

 

 

 

 最後に、また中庭に戻って見学はおしまい。議会のある方にはカフェもあるそうだが、そちらには行けない。胸壁の上から外を見ることもできない。少し物足りない。

 

 

 

 アルハフェリア宮殿に続いて前述のサン・パブロ地区にあるサン・パブロ教会に行く。聖堂内に入ると階段の下に机がひとつあって、老人がポツネンと座っている。そこで入場料を払うのであった。

 

 

 

 

 

 サラゴサの教会では大聖堂、ピラール聖堂に次ぐ地位にあると思われるのだが、参観者は少ない・・・というより、ほとんどいない。だから、礼拝堂をゆっくり見て回れる。

 

 

 

 

 

 

 

 各礼拝堂で祀られているのはマリア像である。パウロの像とマリア像だけがあって、キリストの姿のない礼拝堂もある。胸に剣が突き刺さったマリア像もあれば、十字架にかけられたキリストの前に立つ白い衣装のマリア像もある。一見すると花嫁のようだが、白装束は喪服なのであろう。

 

 

 

 

 クーポラの装飾も様々である。特に一番東側のクーポラは、色彩はウエッジウッド風の白と水色にもかかわらず、スーパーバロックというかゴテゴテの極致であった。

 

<11 オリガミスタに出会った - サラゴサ(8) に続く>

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アラゴン連合王国 旅行記  2025年

9 トラムに乗って堀淳一を偲ぶ - サラゴサ(6)

 

 せっかくトラムの走る都市に来たので、午後はこれに乗って新市街へ行って見ようと思う。目指すは南西部にあるホセ・アントニオ・ラボルデタ大公園である。

 

 

 ローマ時代の城壁脇にある停留所で電車を待つ。切符は停留所の自動販売機で買える。均一料金だからかもしれないが、この機械は操作がわかりやすかった。

 ちょうどやって来たのがラッピング車両だったので1本見送る。運行間隔は5分おきだから、待つほどもなく次の電車がやって来る。しかし、どの電車も車内は満員である。

 次にやってきた南行電車もラッピング車両だったので、あきらめて乗車する。せっかくの大きな側窓なのにラッピングのせいで外が見にくい。そこで一番前まで行って、運転手の脇から前方を眺めることにした。

 ところで、片道乗車券といえども、乗車したらキャンセラーに通すべきだろう。柱の機械にタッチしたら、紙の切符でもちゃんと反応した。

 

 電車はエスパーニャ広場で右折し、インデペンデンシア大通りへ、さらにアラゴン広場の先からはグラン・ビアに出る。ここからは、中央の遊歩道を挟んで左右に分かれて線路が敷かれている。

 今のトラムは2011年に開業したものだが、エスパーニャ広場から南へは昔の路面電車11系統が最後まで残っていた区間である。当時の様子は、堀淳一著「ヨーロッパ軽鉄道の詩」に詳しい。グラン・ビアの遊歩道と線路の配置は昔と変わらないようだ。

 遊歩道の終端、カルロス5世広場で下車する。かつての路面電車はここが終点だった。市街地が膨張した現在では、トラムの路線はもっと先まで伸びている。

 

 

 車道を横断するとウエルバ川に架かる橋があって、そこが公園の入口であった。橋に建てられた東屋の屋根瓦が緑色なのもイスラム風である。

 

 

 橋の先には前方の丘までプロムナードが真っすぐに伸びている。午後になって気温が上がって来たので、日陰を選んで歩く。

 

 

 

 丘の上にはライオンの銅像と、王冠をかぶった人物の石像が建っていた。人物像の方はカルロス5世かと思ったら、アルフォンソ1世とのことだ。

 

 

 暑い日差しの中を歩いてカルロス5世広場に戻り、道路中央の遊歩道をエスパーニャ広場方向へと歩きだす。半世紀前に堀淳一もこの道をたどって、市電を撮影しながらエスパーニャ広場まで戻っている。同じ道を歩いていると思うと感慨深い。

 道の左右には商店が途切れなく並び、一本裏の道には公共市場もある由だ。しかし、ちょうどシエスタの時間にかかっているので、たいていの店は閉まっている。市場も同様だ。

 だから、遊歩道をずんずん歩いてゆく。こうした段葛のような遊歩道をカタルーニャではランブラと言うそうだ。サラゴサはカタルーニャではないが、いずれにしろ木陰が多くて幹線道路であっても快適に歩ける道だ。

 

 

 

 

 そのランブラが尽きるアラゴン広場手前の五差路までくると、宮殿のような立派な建物が建っていた。地図を見ると大学の一部であり、博物館も入っているようだ。

 

 

 

 

 正面玄関の扉は開いており、守衛所なども見えないので中に入ってみる。回廊や階段室の壁は臙脂色、階段室を見上げれば天井は渋い瑠璃色。さすがにセンスが違うなと思う。

 

 

 少し寄り道して、カルメン門を見に行く。道路の真ん中に取り残されたボロボロかつ薄っぺらい門でしかない。由来はともかく、周囲にそそりたつビルも醜悪で、わざわざ見に来るほどのものではない。

 

 

 

 

 グラン・ビアに引き返し、道路が膨らんで紡錘形になった形のアラゴン広場を抜けてゆく。この広場からは左右の歩道がポルティコになっていた。陽射しが遮られているので涼しい。

 

 

 

 

 ポルティコを歩き出してすぐ、道に面して大きな郵便局があるのに気がついた。

 こうした都市部の郵便局は、建てられた時代からして装飾を凝らしていることが多い。階段を昇って入ってみると案の定、回廊のアーチや吹き抜け天井のステンドグラスが素晴らしい。 

 

 

 

 

 ここで切手を買って絵葉書でも出したいところだ。しかし、マドリードではよく見かけた絵葉書を、ここサラゴサでは全く見かけない。この郵便局でも、そのようなものは売っていない。

 

 

 しばし、待合室で涼んでから表に出ると、外壁にライオンの顔がふたつ取り付けられている。よく見ると口が開いており、それぞれ、外国用、国内用と表示してある。これは郵便ポストなのであった。ますます絵葉書を出したくなったが、売っていないものはどうしようもない。

 

 

 郵便局の外観を確かめに、道の反対側に渡る。内装と同様、アラブとスペインの折衷様式であった。

 

 

 グラン・ビアのこちら、西側には、エル・カラコルというショッピングセンターがあった。カタツムリという名前から想像できるように、グッゲンハイム美術館よろしく吹き抜け回りに螺旋状の斜路を巡らした建物である。

 

 

 ここも各店舗はほぼシエスタ中であったが、カフェは開いていた。ショーケースを見るとキャロット・ケーキがあったので、ここでおやつにしよう。しっとりした生地でおいしいケーキであった。

 

 

 旧市街のアルフォンソ1世通りまで戻れば、シエスタ時間も終わって人通りが増えている。これからが賑やかな時間だし、ピラール聖堂の夜景も見たい。だが、日が暮れるのは22時近くだし、今日は歩き疲れた。早めに宿に戻ろうと思う。

 

 

 

 

 宿のアパートにほど近いデリシアス市場を覗いてみる。ここは営業している店の数が多く、比較的お客も多い。とはいえ、店舗が規格化されているからか、あまり面白味のある市場ではない。どうも、スペインの公共市場は総体的に衰退期に入ってしまったようだ。

 

 

 デリシアス市場では旅行者が食べられるようなものも売っていないので、商店街のスーパーマーケットで夕飯と朝ご飯用の食材を仕入れる。メンブリーリョ(かりんのジャム)が食べたかったのでちょうどよい。会計に行くとレジのお姉ちゃんがこちらを見てニヤッとする。昨日と同じアルバイトらしき娘さんだった。

 

 

 

 夕飯の後、商店街をぶらついて、歩道上のテーブルでオルチャータを飲む。ちょうどスーパーマーケットの閉店時間で、件の娘さんが他の店員たちとシャッターを降ろして帰って行った。

 

 

 

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8 ピラール聖堂の塔に登った - サラゴサ(5)

 

 

 ローマ劇場跡からさらに北西へ進む。ドン・ハイメ1世通りを越えて、エル・トゥーボ地区に舞い戻ってきた。

 

 

 地図を見ると、アルフォンソ1世通りに出る手前に、パサーヘ・デ・ロス・ヒレスなるパサージュがある。朝方もこの道を歩いたはずだが、パサージュがあるとは気が付かなかった。

 

 

 探し当てて入ってみると、確かに通り抜けは出来るのだが、ほとんど店が入居していない。床屋、雑貨屋に写真館と3軒だけである。二つある吹き抜けに面して、上層階の窓が並んでいる。柱や床は磨き込まれた大理石で、そこを歩く人は皆無という、ちょっとシュールな空間であった。

 

 

 パサージュを出たところの広場に面したシベーレスという名の店に入り、タパスを2皿注文する。注文はカウンターでしてもよいのだが、皿を運ぶのはウエイターに任せなければならないようだ。どうも、そのあたりの勝手がわからない。

 ゆで玉子とオリーブを楊枝に刺した方にはエビが2匹隠れていて、タコの切身がのったフランスパンともども大変に美味ではある。だが、コーヒーと合わせて1000円出しても、おなかいっぱいにはならない。

 

 

 

 店を出て、アルフォンソ1世通りを横切り、路地を進むと、サン・フェリペ広場に出た。いつ来てもあまり人がいなくて静かな広場だ。

 こうした旧市街を彷徨い歩く場合、どの道をとっても必ず出てしまう辻や広場がある。この広場もそうした場所である。

 

 

 広場の横には同名の教会(というより、広場の方がこの教会の名をいただいたのだろうが)があって、ねじりん棒の柱が両側に立った玄関が印象的だ。

 

 

 

 そろそろピラール聖堂の塔への入場時間が近づいてきた。エブロ川の方向へと適当に歩いてゆくと、ピラール聖堂とスーダの塔とのあいだに位置するサン・フアン・デ・ロス・パネーテス教会の斜塔を望む階段上に出た。

 

 

 

 

 塔への登り口はエブロ川に面した側にあるので、いったん川の方へ回り込む。すると、足元の歩道上に、ホタテ貝のマークが埋め込まれているのに気がついた。すぐそばの、トラムが渡る橋の名前はサンチャゴ橋だし、この道ははるかサンチャゴ・デ・コンポステラまで続く巡礼路の一部なのだろう。

 

 ピラール聖堂の公開されている塔はサンフランシスコ・デ・ボルハという名前である。しかし、この塔への登り口も案内というものが全くない。今のご時世なら調べる手段はいくらでもあるので困りはしないが、スペインは観光情報の案内が、ウエブ上でも現地でも意外と少ないように感じる。

 

 

 

 

 

 それはともかく、この塔はエレベーターで登るので、大変に楽チンではある。もっとも、最上部の展望台へはさらに階段を上がる必要があった。この最上階はアクリル板に囲まれて暑苦しいので、長居はできない。

 

 

 

 

 

 一方、エレベーター前のフロアからだと高さは十分なのだが、開口部に網が掛けられていて邪魔である。ピラール聖堂の他の塔やクーポラがよく見えて一番眺めの良いところは、その網が破かれていた。

 

 

 旧市街はほとんどの屋根が赤瓦である。しかし、何となく雑然とした印象ではある。そうした中で意外な存在感を放っているのが、西側に超然と立っているサン・パブロ教会の黒い塔であった。

 

 

 さらにその背後に目をやれば、デリシアス駅が異様なボリュームで横たわっている。天窓もガジガジとして、怪虫の背中を見ているかのようだ。街はずれとは言え古都サラゴサに、何でこんなものを造ってしまったのかと思う。

 

 

 

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7 クリスタルの天上世界を見た - サラゴサ(4)

 

 大聖堂をすっかり堪能したので、その分、お腹が空いた。バルを求めて、先ほど彷徨しきれなかった裏道を抜けて行く。

 

 

 

 すると、サンタ・マリア・マグダレーナ教会前の広場に出た。鐘楼は、他の教会よりもさらにイスラム色の濃い外観である。そばに高校があって、休み時間なのかそこいらじゅうに生徒たちがたむろしている。

 広場からは旧市街を一直線に貫く、マジョール通りが伸びている。古代ローマの都市軸を引き継ぐ道筋と思われ、現在でも飲食店などが並んではいる。しかし、お昼ご飯に適当な店は見つからない。

 

 

 裏道に入っていくと、サン・ロレンツォというメルカードに出くわした。市場とあれば入らずにはいられない。だが、この市場は寂れていた。元々、旧市街に埋もれた小さな市場である上に、営業している店舗が3軒しかない。もちろん、バルの類などはない。

 小さな建物でも、旧ソ連各地の市場と同様に中央が吹き抜けになっていて、2階を回廊が廻っている。階段を上がることはできるけれども、がらんどうである。しかし、その2階にはトイレがあって、勝手に入れた。トイレの少ない旧市街にあってはありがたいことだ。

 

 

 サン・ロレンツォ市場の路地を抜けると、ちょっとした広場に面して大きな教会が建っていた。建物は角がきっちりとして装飾も少なく新しい感じがする。だが、玄関の脇には看板が出ている。近寄ってみると「ロザリオ・デ・クリスタル」常設展示と書いてあるではないか。そうだ、大聖堂でもうひとつ博物館があったはずと思ったのは、これだった。

 受付で大聖堂の予約チケットを見せると、確かに入場できるという。ここに単独で入れば10ユーロもするので、何だか得した気分になる。

 ところでロザリオ・デ・クリスタルとはいかなるものなのか?水晶でできた数珠や十字架なのか?それだけで博物館になるなら由緒あるものだろう。そのわりには、観光の目玉にもなっていないようだが・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実際の展示物は、予想と全く違った。色とりどりのガラスを使った帆船やらピラール聖堂やら祭壇やら。要するに巨大西洋版のガラス製山鹿灯籠みたいなものだと思えばよい。展示室はサグラド・コラソン・デ・イエズスというれっきとした教会なのだから、まさにこの空間は天上のイメージそのままである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかるに、このロザリオ・デ・クリスタル博物館、大聖堂本体には何の案内もないし、市や州のウエブサイトでもあまり重要視されていない。これでは、この場所を知らないままの人が多いのではないだろうか。事実、これほど楽しい空間なのに観覧者はほとんどいない。

 

 

 

 ロザリオ・デ・クリスタル博物館を出て横手の通りを見ると、博物館の建物に接して大きな天蓋がかかっている。野外劇場でもあるのかと行ってみると、それはカエサル・アウグスタ・ローマ劇場の遺跡であった。こちらはサラゴサ観光の必見ポイントとして、各種ウエブサイトには必ず登場している。

 それにしても小さな劇場である。エフェソスやフィラデルフィア(アンマン)の巨大な野外劇場とは比較にならない。古代地中海世界においては西方のサラゴサなど辺境に過ぎなかったのだろうか。

 この遺跡は周囲の路上からでも十分に眺められるので、わざわざお金を払って入場するまでもない。

 

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アラゴン連合王国 旅行記  2025年

6 タイルのタペストリー? - サラゴサ(3)

 

 

 ローマ時代から続く石橋のプエンテ・デ・ピエドラを渡れば、ピラール広場の東端、すなわち大聖堂の前に出る。しかし、まだ予約時間の10時には間があるので、大聖堂の周囲をぶらぶらすることにしよう。

 

 

 

 大聖堂の正面左手の道に入ると、観光客向けの屋台が並び頭上には旗が吊るされて何だか楽し気な道である。ここも未だ準備中なので、人通りもあまり多くはない。そもそも、このサラゴサは中々に見どころの多い街ではあるのだが、アンダルシアなどに比べれば訪れる人は少ない。このくらいならオーバーツーリズムなどということもないだろう。

 

 

 

 

 

 この道に面した大聖堂の外壁はムデハル様式で飾られていた。尖頭アーチの上部には、下向きになった三日月も見える。このような装飾はこの北壁だけである。

 

 

 

 

 

 大聖堂の空は鐘楼を見上げれば、空は抜けるように青く快晴である。しかし、今のところ暑さもそれほどではなく、歩き回るにはちょうどよい。

 至る所の建物にいろいろな紋章がついている。古そうな建物だけでなく、新し気な壁面にも石材を刻んで取り付けられている。ひとつひとつ由来を調べたいと思うが、残念ながらそれだけの知識がない。
 

 

 

 

 屋台の並ぶ路地を先へ進むと、建物の下をくぐる尖塔アーチがあった。アーチ上には繊細な装飾の3連窓があり、よく見ると窓ごとに意匠が違っている。

 一方、頭上に吊り下げられたバナーには7本燭台や六芒星が表現されている。 

 

 

 

 このアーチとユダヤ人とは別に関係がないようだが、アーチをくぐった先は、さらに道も狭く、片側に並んだ家々も狭苦しい感じがして、何となくゲットーを思わせる。サラゴサのユダヤ人街は旧市街の南東部だということだし、彼らが追放されたのは大航海時代の初め頃のはずだが、このあたりにもユダヤ人が住んでいたのだろうか。

 

 歩き回るうちにようやく10時になったので、大聖堂の玄関へ行く。時間にはなっているのだが、ミサに参列した地元の人たちが出てくるまで、入場は少し待たされた。要するに信者と観光客を時間で分離しているわけで、余計な軋轢を生まないためにはこれも致し方あるまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大聖堂の内部は、5廊に6ベイの巨大な空間であった。地図を見る限りではピラール聖堂の方が大きく感じたのだが、さすがに大聖堂だけのことはある。

 区画ごとに礼拝堂が作られていて、ひとつひとつ見応えがある。

 

 

 

 

 天を仰げば、これも見事なクーポラの装飾が目に飛び込んでくる。天上のイメージだから、とりわけ力を入れて作っているのだろう。

 

 

 堂内を巡るうちに、アラベスク模様の扉があるのに気がついた。位置からして、この扉の外はムデハル様式の壁ではないだろうか。しかし、この扉の模様はあまり美しくない。色合いだけでなく、帯のつなぎ方がぎこちないのである。よく見ると、下地となる図形が正方形や長方形でしかないのであった。

 

 

 

 堂内の一番奥にタペストリー博物館への看板が出ていた。矢印に従って進むと、床一面がタイル絵のホールがあった。なるほど、タイルで絨毯を表現しているのだなと思う。しかし、普通はタペストリーと言えば壁にかかっているものではないだろうか。

 

 

 

 

 

 不審に思いながらも、通路は先へ続いているので進んでゆく。すると奥には壁掛けタペストリーを展示した部屋が3部屋、階段でつながっていた。

 タぺストリーは大きいのに、退色防止のためか照明が暗いので、詳細を観察しにくいのは残念だ。しかし、場所が奥まっているせいか、ここまで来る人は少ないのでゆっくりと鑑賞できる。

 

 

 

 

 

 タペストリー博物館は見ることができたのだが、入場券を予約したときにはもうひとつ博物館があったように思う。しかし、再度堂内をひと回りしてみてもそれらしき場所は見つからない。チケットの券面には何も書いていないし、訊ねる相手も見つからない。記憶違いだったかもしれないので、大聖堂から退場してしまう。

 広場に出ると、早くも空腹を覚えた。どこかで、お昼ご飯に何かつまもう。

 

 

 

<サラゴサ(4) に続く>

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