アラゴン連合王国 旅行記 2025年
6 タイルのタペストリー? - サラゴサ(3)
ローマ時代から続く石橋のプエンテ・デ・ピエドラを渡れば、ピラール広場の東端、すなわち大聖堂の前に出る。しかし、まだ予約時間の10時には間があるので、大聖堂の周囲をぶらぶらすることにしよう。
大聖堂の正面左手の道に入ると、観光客向けの屋台が並び頭上には旗が吊るされて何だか楽し気な道である。ここも未だ準備中なので、人通りもあまり多くはない。そもそも、このサラゴサは中々に見どころの多い街ではあるのだが、アンダルシアなどに比べれば訪れる人は少ない。このくらいならオーバーツーリズムなどということもないだろう。
この道に面した大聖堂の外壁はムデハル様式で飾られていた。尖頭アーチの上部には、下向きになった三日月も見える。このような装飾はこの北壁だけである。
大聖堂の空は鐘楼を見上げれば、空は抜けるように青く快晴である。しかし、今のところ暑さもそれほどではなく、歩き回るにはちょうどよい。
至る所の建物にいろいろな紋章がついている。古そうな建物だけでなく、新し気な壁面にも石材を刻んで取り付けられている。ひとつひとつ由来を調べたいと思うが、残念ながらそれだけの知識がない。
屋台の並ぶ路地を先へ進むと、建物の下をくぐる尖塔アーチがあった。アーチ上には繊細な装飾の3連窓があり、よく見ると窓ごとに意匠が違っている。
一方、頭上に吊り下げられたバナーには7本燭台や六芒星が表現されている。
このアーチとユダヤ人とは別に関係がないようだが、アーチをくぐった先は、さらに道も狭く、片側に並んだ家々も狭苦しい感じがして、何となくゲットーを思わせる。サラゴサのユダヤ人街は旧市街の南東部だということだし、彼らが追放されたのは大航海時代の初め頃のはずだが、このあたりにもユダヤ人が住んでいたのだろうか。
歩き回るうちにようやく10時になったので、大聖堂の玄関へ行く。時間にはなっているのだが、ミサに参列した地元の人たちが出てくるまで、入場は少し待たされた。要するに信者と観光客を時間で分離しているわけで、余計な軋轢を生まないためにはこれも致し方あるまい。
大聖堂の内部は、5廊に6ベイの巨大な空間であった。地図を見る限りではピラール聖堂の方が大きく感じたのだが、さすがに大聖堂だけのことはある。
区画ごとに礼拝堂が作られていて、ひとつひとつ見応えがある。
天を仰げば、これも見事なクーポラの装飾が目に飛び込んでくる。天上のイメージだから、とりわけ力を入れて作っているのだろう。
堂内を巡るうちに、アラベスク模様の扉があるのに気がついた。位置からして、この扉の外はムデハル様式の壁ではないだろうか。しかし、この扉の模様はあまり美しくない。色合いだけでなく、帯のつなぎ方がぎこちないのである。よく見ると、下地となる図形が正方形や長方形でしかないのであった。
堂内の一番奥にタペストリー博物館への看板が出ていた。矢印に従って進むと、床一面がタイル絵のホールがあった。なるほど、タイルで絨毯を表現しているのだなと思う。しかし、普通はタペストリーと言えば壁にかかっているものではないだろうか。
不審に思いながらも、通路は先へ続いているので進んでゆく。すると奥には壁掛けタペストリーを展示した部屋が3部屋、階段でつながっていた。
タぺストリーは大きいのに、退色防止のためか照明が暗いので、詳細を観察しにくいのは残念だ。しかし、場所が奥まっているせいか、ここまで来る人は少ないのでゆっくりと鑑賞できる。
タペストリー博物館は見ることができたのだが、入場券を予約したときにはもうひとつ博物館があったように思う。しかし、再度堂内をひと回りしてみてもそれらしき場所は見つからない。チケットの券面には何も書いていないし、訊ねる相手も見つからない。記憶違いだったかもしれないので、大聖堂から退場してしまう。
広場に出ると、早くも空腹を覚えた。どこかで、お昼ご飯に何かつまもう。





























































































































