中央アジア巡礼行記 2023年

21 タラズ(1)

 

 6時40分起床。窓の外はまだ真っ暗。車内はすっかり冷え切っている。明け方には突き上げるような揺れがあったけれども、その割にはよく寝られた。

 やがて、右手の車窓にはタラズの市街地が広がった。白い街灯がはるか彼方まで点々と光っている。タラズは人口42万人あまりもある大きな街である。

 

 

 ちょうど夜明けの時間に列車はタラズ駅に到着した。幅の狭い中間ホームに降り立つ。隣区画のニュージーランドから来たバックパッカー婦人も降りた。

 一般に旧ソ連の主要駅の場合、駅舎に接した「1番線」は幅も広く風格があるのだが、それ以外のホームは幅が3メートル程度しかないことが多い。しかも給水ホースなどが這い廻っていて旅客用というより、作業通路のような感覚だ。

駅舎の側には反対方向の列車が停車している。跨線橋も地下道もないから、そちらが発車するまで足止めだ。

 この駅は種村直樹著「ユーラシア大陸飲み継ぎ紀行」にジャンブルの旧称で登場する駅である。モスクワから乗った列車内で旅の道連れとなったアルドゥルなる青年とこの駅で別れたのであった。アルドゥルと私はほぼ同世代である。彼は今もこの街のどこかに暮らしているのだろうか。

 ようやく「1番線」の列車が走り去り、線路をまたいで駅舎に入る。到着客が駅舎に入るときにも荷物のエックス線検査を受けさせられる。

 

 

 駅舎内では、まず切符売場に直行した。窓口に座っていたのは青緑と黄色のネッカチーフを巻いたオバさん駅員で、見かけによらずユーモラスな人だった。明日のアルマトゥイ行きは昼間だけの乗車でも寝台の指定となり、下段は売り切れだと言う。運賃は4000テンゲ(1300円)。行先や時間を何度も確認するので、何か間違っているのではとかえって不安になる。

 待合室の片隅にATM機があったので、テンゲを補充しておく。これなら、深夜の国境に両替商が現れる必然性はないわけだ。

 

 

 駅舎の2階には軽食堂がある旨の表示も見られるが、この手の店は営業していたためしがないので見送り、駅前を横切る通りを右手へ歩き出す。朝のうちに、街外れの丘に建つテクトゥルマスという聖廟を訪れておこうと思う。

 

 

 

 どこかで朝食をとも思うのだが、駅の周辺には花屋はあっても食べ物屋など全く見かけない。1キロメートル以上歩いて右に折れると、先ほど通ってきた線路に突き当たる。地図上では道路が線路の向こう側へ続いているかに見えるのだが、実際は人しか線路を横切ることはできない。踏切といっても遮断機も警報器もなく、そのかわりに何のつもりかレリーフのついた立派な門が建てられている。

 

 

 

 線路を越えてさらに1キロメートル余り行くと、川があり橋が架かっている。この川こそ史上名高いタラス川である。上流側に突き出した丘の上には目指すテクトゥルマス廟も見えている。

 ところで、川の名前をラテン文字表記すればTalasであり、一方この街の名はTarazである。歴史的にはどちらも使われていたとのことだが、キルギス領には以前からTalasという小都市があるのだから何とも紛らわしい改名をしてくれたものだ。ここにも本家争いがあるのだろうか。さらに言えば、Tarazの東郊にはTalasという集落があり、同名の駅まで存在しているのだ。ああ、ややこしい。

 

 

 橋を渡り、坂を上がるとテーマパーク風のわざとらしい門があり、左手、下流側に大きな立像が建っていた。11世紀にこの地方を支配していたアウリエ・アタの像だとある。その時代に肖像画はなかっただろうから、かなり想像をたくましくして造形したものに違いない。

 

 

 

 

 冷たい風に吹かれながら、オレンジ色のベストを着た清掃作業員たちと一緒に展望台に立って、タラズの市街地を見渡す。

 この街には高い建物がほとんどない。団地群もない。ただひたすらほこりっぽい市街地が広がっている。民家の屋根はほとんどがトタン波板なので、余計に寒々しい。

 

 

 川の下流側には鉄道の築堤があり、橋も架かっている。そこを盛んに貨物列車が行き交う。展望台にいる間にも何本もの列車が通過したから、かなりの運行頻度であり、しかも編成が長大である。

 

 

 公園管理事務所にあるトイレを借りてから、テクトゥルマス廟へ向かう。道の山側はほとんど砂漠のような土地で、それが山遠くの並みにまで続いている。手前の丘にはモスクのような新しい建築群が見えているのは、新興の教団でもあるのだろうか。

 

 

 

 道の傍らには石人がいく体か並べられていた。ブラナ・タワーのものとは違って、保存状態はあまり良くない。

 

 

 

 テクトゥルマスはムスリムの聖者であるから、廟の手前にはモスクが建てられている。しかしこのモスクは営業を停止した売店のように荒れ果てていた。モスクのテラスから尾根に沿って石垣で区切られた参道が伸びて、廟につながっている。

 廟は街に向かって突き出した丘の頂上に建っているから、写真の撮り方によってはかなりの高みに位置しているように見える。だが、実際に来て見るとそれほどのロケーションではなく、ちょっと期待外れだなと思う。

 

 

 テクトゥルマス廟の前にも頭にドームを乗せた建物が建っている。これは門だとばかり思っていたら、これもまた廟であって、参拝者は周囲に設けられた通路を迂回しなければならなかった。

 こちらに葬られているのはマンベト・バートルなる人物だという。ここへ来てはじめて「バートル」というモンゴル語の名称が現れた。壁が無く吹き曝しの廟なので、お棺に掛けられた緑色の布が色あせてしまっている。

 

 

 

 一方、テクトゥルマス廟の方は壁に囲われているので、床に敷かれた絨毯も色鮮やかである。絨毯の模様にはカザフ風の意匠も見られる。壁や天井は白一色に塗られているので、饒舌なサマルカンドの廟とは随分と雰囲気が違う。

 

 

 

<22 タラズ(2) に続く>

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