中央アジア巡礼行記 2023年
22 タラズ(2)
テクトゥルマス廟のある丘を降り、タラス川を渡って市街地に戻る。ちょうど33系統のバスが停留所を発車していくのが見えた。ポールも標識もないけれど、あそこがバス停なのだろう。
そろそろ街も起き出した時間なので、次には街の東側にある「グランド・バザール」へ行ってみようと思っている。行ってしまった33系統は、タラス川沿いの裏町を抜け、その「グランド・バザール」へ真っすぐ向かうというなかなか都合の良い路線なのである。
しかし、20分近く待ってやって来たバスは10系統であった。この路線も「グランド・バザール」へ行くことは行くのだが、市街中心部を大回りしていくルートをとる。各路線の運行間隔もわからないので、10系統で行くことにする。
タラズの市内バスは3種類がある。まずオレンジ色の大型バス、これは主要幹線にしか走っていない。続いて中型クラスの水色のバスがあり、一番小さいマルシルートカ風のバスは白い。車体が大きいほど車両自体も新しい。この10系統は一番小さくておんぼろな白い車両で、走りだせば振動、騒音もかなりひどい。そんな車両でも車内にはカードをタッチする機械があり、柱の二次元バーコードをスマートフォンで読み取って決済している人さえいる。(この決済方式はビシュケクでも見た。)
もっとも、現地の人でも運転手に現金で払っている人も少なからずいる。運賃は一乗車130テンゲ(45円)。運転席の横に後ろ向きの席があるので、そこに横座りをして、前面展望を楽しむ。まわり道ではあっても、街の構造を把握するにはかえって良かったかもしれない。
「グランド・バザール」は、この街のメインストリートであるトレ・ビー・プロスペクトの突き当りに広大な敷地を構えて鎮座している。4階建ての、イスラムと西洋がミックスしたような建築ではあるが、新しいものなのか遊園地の建物のような感じもする。
中に入ると吹き抜けのホールが左右にあり、それらを囲んで回廊が巡っているというお決まりのショッピングセンターであった。しかし、屋根は鉄板、支えの柱も鉄骨で、全体的に武骨な内装である。この敷地、元は工場だったはずで、当時の建物をそのまま利用しているのかもしれない。
回廊に並んでいる店は衣料品や靴、雑貨などが中心であり、各店舗はガラス戸などで仕切られているので、よそよそしい感じがする。ただ、半屋外のような一角に肉屋や果物屋が並んだ場所があって、そこだけが市場らしい雰囲気を漂わせていた。「グランド・バザール」のさらに郊外側に大きな市場があるので、生鮮食料品などはそちらで扱っているのだろう。バスを降りたときには、車が続々と駐車場に入って来ていたけれども、まだお客は少なく、どの通路も閑散としている。
「グランド・バザール」を背に、トレ・ビー・プロスペクトを西へ、すなわち街の中心に向かって歩き出す。トレ・ビーというのは、18世紀、カザフの族長にして詩人であり、この人の名を冠した通りはたいていの街に存在している。霊廟はタシケントの中心部にあるそうで、あらかじめ知ってれば訪れたものをと思う。
そのトレ・ビー・プロスペクトには車道と平行してプロムナードが作られている。長さ500メートル、幅は50メートル程もあるから、広々としている。冷たい空気も心地よい。そして、バス停の壁のデザインが、鉄板を切り抜いたものに過ぎないのに秀逸である。
プロムナードの背後には中層のアパートが何棟か建っていた。熱水供給の太いパイプが頭上を走っている。
プロムナードが尽きると、トレ・ビー・プロスペクトは数百メートルにわたり歩行者専用となる。クルマは、北側に迂回させており、さっきのバスも細い裏通りをうねうねと走り抜けていた。
どこかアラブ風の様式に整備された店舗、車輪に支えられたベンチ、至る所にある水瓶のモニュメント。四角い穴の開いた古銭のモニュメントもあって、往時の東西交流を偲ばせる。
どれもごく近年につくられたものには違いない。しかしながら、デザインのためのデザインに陥ることなく、実用と装飾とが融合しているので好感が持てる。
それにしても、今日は平日である。40万都市の中心街にしては、随分と人通りが少ない。この街の人たちはいったいどこへ行ったのだろうかと思うほど、人が歩いていない。中心市街地が空洞化するような状況とも思えないのだが。
やがて、時計塔のある広場に出た。右手にはモスクのような建物が連なっている。これは、郷土博物館などの公共施設であるのだが、一見するとイスラム教の施設としか見えない。
時計塔もビッグベンとアラブ様式が混合したかのようなデザインである。ここが、タラズのヘソと言ってよいだろう。しかしながら、やはり見事なほど人影がない。
広場に隣接して、大きなショッピングセンターがあった。地下にはスーパーマーケットも入っている。建物は長辺が200メートルにもなる巨大な直方体で、愛想も何もあったものではない。しかも入口がスーパーマーケットの反対側に1か所しかないから、方向によっては随分と遠回りをさせられる。
このショッピングセンターの裏手に当たる所に、カラハン朝の霊廟がある。市街地にある史跡としては唯一のものだろう。トレ・ビー・プロスペクトを離れて、車の通る道を少し歩くと道に面して緑地があり、ここが霊廟だなと思う。
ところが、中に入ってゆくと、何やら建物を発掘、復元した場所がトタン屋根に覆われている。これはモスクとキャラバンサライなのだそうだ。モスクの方には床の敷石の模様が掘り出され、キャラバンサライの部屋には、壁に沿って土の「ソファ」が復元されている。このような「ソファ」は隊商宿に必須の設備だったとある。
他に、1864年に撮影されたアウリエ・アタ城の写真なども展示されている。かつては、この街の名前自体がアウリエ・アタだったのだ。写真の背後に写っている山の様子からすると、先ほど訪れたアウリエ・アタ像のあたりに城があったようにも思える。
実はこちらの入口はいわば裏口であった。廟の正門は反対側の道路に面していて、チケット売場もそちら側にあるのだ。ブラナ・タワーでもそうだったのだが、このあたりの料金収受はおおらかというか、とりっぱぐれてもあまり気にしていないようなところがある。もっともわずか200テンゲ(70円)の入場料では、チケット売場の係員の給料だって賄えるかどうか覚束ない。
さて、そろそろホテルにチェックインしておこうと思う。予約したホテルは街の北西側にあり、ここからだと直線距離でも2.5キロメートルは離れている。ホテルの名前は「ケルエン」とだけあり、ゲストハウスだとかホテルだとかいう言葉はつかない。「ケルエン」とは変わった名前だと思ったらキャラバンの意味であった。それなら宿泊施設にふさわしい。
トレ・ビー・プロスペクトに戻りさらに西へ歩く。道の北側は、競技場や劇場が入った大きな公園である。歩いているのは通りの南側の歩道で、こちら側にはカフェやレストランがあるにはある。しかし、お昼時だというのにひとつとして営業している店がない。屋外のテラスなどを備えているから、夏だけの営業なのだろうか。
その先の交差点を斜めに渡ると、西洋風の館が並んだ広場に出た。これらの西洋館は役所に使われているようで、このあたりはさっきのバスからも見た。何度も同じことを書いていて気が引けるが、この広場もやはり誰も歩いていない。
ここからはトレ・ビー・プロスペクトを離れて、1本北側の通りに移る。こちらの通りは先ほどの西洋館群の裏手にあたり、丘の縁に沿って上下2段になった遊歩道が続いている。不思議な模様のモニュメントがあったり、「言葉は力だ」と書かれたアゴラ風の列柱広場があったりして、なかなか飽きさせない。列柱広場のそばにはクリーム色の館があり、トイレや休憩所にしては瀟洒な造りだと思ったら「出会い」という名のバーであった。
この遊歩道もほとんど歩く人はなく、何だかもったいないような気がする。そう思っていたら、やにわに、前方から若い男女の一団がやって来た。この先に学校がいくつかあり、ちょうど下校時間にあたったようだ。

























