ジア巡礼行記 2023年

20 ビシュケク発317列車

 

 

 午後も遅くになって、ビシュケクに戻ってきた。たっぷり歩いたので、いささか疲れたので、中心部まで歩くのが億劫だ。東バスターミナル前の路上で暫らく待つとトロリーバス2系統がやって来た。行先表示に「ЦУМ」の文字が見えるので乗り込む。

 歩道の人通りがひときわ多くなったところの停留所で地元のお客たちに混じってトロリーバスを降りる。ツムの裏手が公園になっていて、平日だと言うのにたくさんの市民が出ている。ベンチの数は多いのに全てふさがってしまっているので、公園から公園へとひたすら歩く。劇場や博物館も多いし、カートで遊ぶ子どもやら、園路をすっ飛ばしていくトレインやらで賑々しいことこの上ない。

 

 

 そうした園路を歩いて行くうちに、レーニン像に行き当たった。台座の上に乗っていて見上げる位置関係だからか、頭が小さく短躯に見える。

 

 

 

 別な場所ではソ連邦英雄の顕彰額も残されていた。キルギスは一時期、市場化の優等生のように言われていたけれども、国民の生活が豊かになったとは言えない。だからソ連時代を懐かしむ人も一定数いるのだろう。

 

 

 

 メインストリートのチュイ通りに出ると交差点には地下歩道があった。中はソ連の各地にある簡素な地下街で、ここにトイレもある。

 近くの公園内にも公衆トイレがあったのでそちらに入る。しかし、首都の中心街にあり、しかも有料なのに、ブースの扉が半分は無くなっているという惨憺たる有様であった。もっとも、例によってブースの壁自体が高さ1メートルほどしかないタイプなので、扉があろうが無かろうが、大して変わりはない。

 

 

 歩き疲れたので、アラ・トー広場のベンチで休憩する。この広場には巨大な国旗がはためいていて、ちょうど衛兵交代の時間であった。行進は脚を前に蹴り上げるだけなので、面白みがない。

 この広場の周囲は円頭アーチの回廊をめぐらしたビルが取り囲んでいる。ビルの角楼には金銅色のドームが載っていて、イスラム風ともトルコ風とも、はたまたソ連風ともつかない独特の雰囲気がある。

 

 そもそも、この街にはイスラム臭がほとんどない。ウズベキスタンやタジキスタンのように街なかに小さなモスクが点在しているということもない。人々の風貌もペルシャ風のコーカソイドだったこれらの国とは違って、モンゴロイドの顔立ちである。

 何より、中心部に限った印象ではあるが、街並みにはソ連を強く感じさせるものがある。

 

 

 このアラ・トー広場から西へ1キロメートルほどのチュイ通りがビシュケク随一の繁華街だろう。そのチュイ通りをはさんでツム(中央百貨店)とグム(国営百貨店)が並んで建っている。グムといっても今は国営ではないだろうが、どちらも未だに略称で親しまれている。

 中に入って見れば、内装やディスプレイなど先進国のデパートと変わるところがない。特に二つの吹き抜けのあるグムは豪華で、午前中までいた農村との落差に驚きを禁じ得ない。

 ここのトイレはきれいで、しかも無料である。但し、例によってブース内にフックや棚がないので、荷物の置き場に困ってしまう。

 

 

 どちらも最上階にはフードコートがあり、ラーメン、スシなどという看板も見える。ツムの方にあるチャンピオンというカフェテリア方式の店で、サラダやサモサを食べておく。

 1階がスーパーマーケットになっていたので、夜食を物色する。冷蔵ケースには大麦から作るショーロという飲み物のペットボトルも見える。しかし、大きなボトルしかないのでこれはあきらめ、かわりにウリートカ・イズューム(かたつむり・干ブドウ)という名の渦巻きパンを仕入れておく。

 通りに面した側には小さな喫茶店もあって、ショーケースにはケーキも並んでいたのだが、お腹の調子を考えて自重する。

 

 

 ツム、グムの周辺は夜になって、ますます賑やかになってきた。カフェやスタローバヤも満席である。街頭ビジョンまであって、まばゆいばかりというか、猥雑にすぎるほどだ。

 ところが、チュイ通りを少し離れると、大きな通りであってもろくに街灯もなくて、かなり暗い。そのおかげでバス停のイルミネーションがとても映えて見える。

 今夜は23時23分発の夜行列車に乗ってカザフスタンのタラスに向かう。駅は街はずれにあるので、あまり遅くならないうちに移動しておこう。朝も通った細長い公園を駅へと歩く。

 

 

 

 ビシュケクⅡ駅に着くと、待合室には既に数組のお客が座っていた。外の気温は15度で、スチームが入っているので暖かい。隅に腰かけた老夫婦がスマートフォンをいじりながら、仲睦まじそうにしているのが微笑ましい。

 ところで、この駅には売店の類が一切ない。駅前にも商店などは見当たらない。けれども、中国人らしきカップルが待合室に荷物を置いたまま出て行って、どこからかカップ麺を仕入れてきた。

 

 

 

 

 22時30分、男声の放送があってホームに出る。幅の広いホームに横付けされた緑色の寝台車。これぞ旅情、これぞ汽車旅。そんな思いに満たされる。

 地元の人たちにとっても、列車に乗るのは非日常的な体験なのだろう。列車を背に記念撮影などしている人もいる。

 

 

 

 

 ステップを上がって車内に入る。通路側にも長手方向に寝台を設けたプラッツカルタである。しかし、お客は少なく、線路と直角になった区画の下段寝台しか使っていないのに、半分も埋まっていない。この列車はロシアのサマーラ行きである。モスクワならともかく、サマーラなどという中途半端なところまで乗り通すお客がどれほどいるのだろうか。停車中の車内は、コトリとも音がしない。

 そんな状態なので、予約した寝台とは無関係に、車掌が空いている区画へ誘導してくれる。隣の区画にはニュージーランドから来たバックパッカー風の中年女性が入った。

 プラッツカルタは、元々は3段寝台だったのだが、今では上段寝台を毛布や枕の棚として使っている。それが、この列車では元の中段が寝具置き場になってしまっている。お客が少ないのがわかり切っているのだろう。毛布は、車掌室近くの棚に置いてあった。

 また、この車両、窓が固定されているのに気がついた。エアコン車に改造されていたのである。道理で、最上段の窓側にダクトがあって、あれでは3段寝台として使っていた時には邪魔ではなかったかと思っていたのだ。

 

 

 定刻に2分遅れて発車。すぐに大きな踏切がある。ゴロゴロと10分ばかり走ってビシュケクⅠ駅に停車。降車客がないのは当然として、煌々と照らされたホームには乗車客の姿も見えない。
 

 さて、ビシュケクⅠ駅を出てからも、ゴロゴロとした走りっぷりは変わらない。時速は60キロメートル程度に思える。私はなぜかプラッツカルタの寝台と相性が良いので、毛布にくるまってすぐ、眠りに落ちた。

 

 1時20分、列車が停まり、目が覚めた。モコモコに着ぶくれて、おなかにボックスを抱えた男たちが乗り込んでくる。カザフスタンとの国境に着いたのだ。昔なら、おなかのボックスにはスタンプとスタンプ台が入っているだけだったのだが、今やこれはカメラとスキャナー内蔵のコンピューターである。

 2時13分、のろのろと動き出し、10分ほど走ってまた停車する。今度はワンコを先頭に迷彩服を着たカザフスタン側の一団が乗って来た。リュックサックの中の荷物を全部出してチェックする。暗い車内なので顔写真を撮るときのライトがまぶしい。

 3時ちょうどに発車。車内で出入国審査が済むので、バスでの国境越えよりもずっとラクだった。だが、両替屋は来なかった。

 

<21 タラズ(1) に続く>

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