中央アジア巡礼行記 2023年

17 タシケントからトクマクへ

 

 

 相変わらずお腹の調子は悪いけれど、午前中にシャシリクを食べただけだから空腹感を覚える。しかし、タシケントの都心部には繁華街といえるような区域がないので、飲食店を探すのも億劫だ。そこで、先日も行った地下鉄コスモナフトラル駅近くの「フィッシュ・アンド・ブレッド」に行くことにした。

 地下鉄駅から地上に出て店に向かう途中、公園の中に不思議な門を見つけた。少々形がおかしいけれども、これはどう見ても神社の鳥居である。

 

 

 食事の方は野菜サンドイッチとレンズ豆のスープで軽めに済ませ、バスターミナルがあるアルマザール駅へと向かった。

 

 

 ビシュケク行きバスの発車時刻は20時であるが、切符を購入した時に19時30分までにターミナルへ来いと言われていた。だから早めにやって来たのだが、発券窓口などがあるホールには出発の案内があるわけではない。鉄道と違って改札口もないので、勝手にホームへ行ってみる。

 切り欠きのあるホームには何台もの大型バスが頭を並べている。けれども、前面ガラスに行先の札が掲げられているから迷うことはない。ビシュケク行きはきれいな車体のハイデッカー車で、脇腹にはトランス・アジア・サユーズという会社名が書かれている。

 乗車口のドアが開いていないのでホームをぶらついていると、柱の陰に「VAQF」と書かれたドネーションボックスがあるのに気がついた。WQFの文字(いずれも勾玉のような形をしている)に相当するアラビア文字を図案化したマークも付いている。

 

 

 乗車が始まって見ると、どうやら自由席のようだ。発券のときには窓側か通路側かを訊かれたような気もするのだが。適当なところに座っていると、スマートフォンを持った係の兄さんがやってきてレシート状の乗車券をスキャンした。しかし、その後になって、そこは自分の席だと言う青年がやって来た。青年にチケットを示すと、1とあるのが座席番号だと教えてくれた。券面全てウズベク語表記だからわからなかったのである。「PERRON」「VAQTI」など他の言語から類推できる言葉も多いのに、「JOY」(場所)という単語では見当がつかなかった。

 

 無事、最前列の席に陣取ることができた。落ち着いて観察すれば座席の前後間隔は狭く、シート自体も何となく安っぽい感じがする。窓ガラスの隅には「宇通客車」の文字が見えるので、このバスは中国製なのだろう。出入口の上にある時計は、初めからビシュケク時間に合わせてある。

 乗客が揃ったのか、バスは定刻20時に7分も早くプラットホームを離れた。そしてバスターミナルを出ると、地下鉄で通ってきた街道を逆に走り始めた。先日に歩いた観覧車のある遊園地の脇も通る。照明は華やかでも人影がなく閑散としている。遊園地だけではなく全般に寂しげな市街地が続くのは、片側5車線もある道路に面しているからだろうか。中央分離帯には、花瓶に花束のイルミネーションが郊外に出るまで続いていた。

 

 発車して40分ほどでバスが停車した。早くもカザフスタンとの国境に着いたのである。バスを降りると出国審査場に向かう通路の両側に子どもの乞食がうじゃうじゃといる。柵の外からひとの服をつかんだりして中々にしつこい。

 ウズベキスタンを出国し、屋根のある通路を歩いて、カザフスタンの入国審査場に入る。カザフスタン側の国境の村は「ジベック・ジョリ」という。シルクロードの意味だそうで、大きな街にはこの名前がついた通りが必ずあるし、放送局にもウオッカにも同名のものがある。

 荷物をエックス線の装置に通し、入国審査の列に並ぶ。ブース内の係官は中国人のような顔立ちである。順番が来てパスポートを差し出すと「もう一度カザフスタンに戻って来るか?」と尋ねられた。

 バスの座席は最前列だったのに、建物から出たのは乗客の中で一番最後だった。それでも所要時間は合わせて50分ほどだったから、スムースな通過だったと言ってよい。

 おもてには、両替商のおばちゃんたちが大勢いた。ただし、彼女らは少額のウズベキスタン通貨など見向きもしない。店舗の窓口も開いているので、そちらでカザフスタンの通貨テンゲに交換しておく。

 両替店の裏側に回ると公衆トイレがあった。コンクリートの床に二等辺三角形の穴が開いているだけの設備で、扉も壊れて無くなっている。ウズベキスタンではたとえ仕切り壁の高さが1メートルしかなくても、温水や石鹼は必ずあったから随分と差がある。

 

 30分ほど待ってようやく国境を通過したバスがやって来た。ところが、発車する段になって、女性の3人組がいないと運転手や車掌が言っている。その3人は100メートル程先の路上で待っていたのだが、こんなのでよく積み残しが出ないものだと思う。

 3人を乗せて発車、と思ったら数分でまた停車する。ガソリンスタンドがあり、ここでトイレ休憩なのだそうだ。勝手知ったる地元の人たちはぞろぞろと降りて行く。当方はさっき行ったばかりだから、窓からそれを眺める。

 

 その後は、夜のカザフスタン最南部をひたすら東へ走った。途中、シムケント、タラスといった街も通過するのだが、バイパスを通ったためドライブインのようなところを見ただけであった。

 

 

 朝5時15分、キルギスとの国境に着いた。バスから降りるとさすがに寒い。国境警備兵も分厚い防寒着を着ている。彼らの一人が「ズドラストウィチェ」は日本語で何と言うかと訊く。何だか全体に小便くさい国境ではある。ここも約1時間で通過した。キルギス側には両替所が開いていたのでソムを入手しておく。

 バスに戻り、パスポートに押されたキルギス入国のスタンプを確認する。道路の国境だからクルマの絵がスタンプの片隅についている。普通は乗り物を図案化したマークなのだが、この国境のスタンプには妙に写実的な絵が描かれている。

 

 7時になると朝焼けが始まり、7時40分になって、ビシュケクの西バスターミナルに到着。ちょうど1時間遅れであった。

 このバスターミナルには空港のような立派なビルが建っているけれども、中はがらんどうで使われていない。トロリーバス6系統に乗って、まずビシュケクⅡ駅へ向かう。この系統は街の中心部を横断していくので、土地勘をつかむのにも好都合だ。

トロリーバスの運賃は11ソム(18円)。運転手に運賃を渡して乗り込む。地元民は8割がた、カードを柱の機械にタッチしている。

 市場の前を東西に走るのはジベック・ジョル大通り、その後はマナサ大通り、キエフ通りと角を何度も曲がって走って行く。駅まで数百メートルほどの停留所で下車し、人気のない通りを歩いてゆく。

 

 

 

 ビシュケクⅡ駅は地図だけ見ると街の中心を南北に貫く緑地帯の南端に位置し、首都の玄関口にふさわしい場所のように思える。しかし、列車の発着は東方向、西方向ともそれぞれ日に一往復、そして週に2本のサマラ行き、8日おきのノボシビルスク行きしかない。当然ながら乗降客はごく少ないので、駅の周辺には売店ひとつ見当たらない。

 

 

 

 例によって荷物をエックス線検査の機械に通して、駅舎内に入る。中央ホールの天井にはキルギス社会主義共和国時代の国章が色鮮やかに描かれている。その周囲はこちらの伝統的な模様が囲み、梁にはラーメン鉢のへりみたいなデザインが描かれている。たとえ利用者が少なくても、きれいに保たれた駅舎で好感が持てる。

 ひとつだけ開いている窓口に行くと、きちんと制服を着てスカーフを首に巻いた若い女性が座っていた。タラスまでの寝台車を予約すると、料金は一番安いプラッツカルタでも2600ソム(4100円)で、他の諸物価と比較すると割高な気がする。

 しかも支払いは現金のみとのことで、国境で両替したソムの大半を使ってしまった。券面の発車時刻は未だにモスクワ時間で表示されている。窓口嬢はビシュケク時間を書き入れてくれた。

 

 

 駅を出て正面の公園通りを歩く。気温は4度。高い木立ちの下の気持ちのいい道である。樹の幹には小鳥の巣箱がいくつも掛けられている。「ハトのエサやり禁止」などという料簡の狭い貼紙などはもちろんない。

 さっきトロリーバスから見て、両替所が集中していたモスクワ通りに出て追加両替をしておく。

 

 

 このあとはビシュケクの東60キロメートルほどに位置するトクマクという街まで移動する。トクマクへのマルシルートカは、夜行バスで到着したのとは別の東バスターミナルから出ている。現在地からは約3キロメートル離れているので、バスかトロリーバスに乗りたい。しかし、交差点の周囲に点在するバス停を見ても、路線図はおろか系統番号の表示すらない。しばらくバス停に立って、やって来るバスの車体に表示される経由地を注視したけれども、東バスターミナルと思しき表示は見つけられなかった。仕方がないので歩いて行くことにする。

 緑地帯を伝い、トルコの援助で建てられたという巨大なモスクを見て、東バスターミナルにたどり着いた。エメラルドグリーンに塗られたモスク風のターミナルがあるが、ここも使われていない。停車しているバスも小型のマルシルートカばかりである。

 

 

 

 頻発している急行353系統に乗り、1時間ほどでトクマクのバスターミナルに着いた。

 ここで、サビエツカエ行きの路線に乗り換えれば、キルギス随一の遺跡であるブラナ・タワーに到達できるのだ。今夜の宿も、タワー近くの村に予約してある。

壁に掛けられた時刻表を見ると、次の発車は13時ちょうどである。時間があるので、昼食をとり、今夜の夕飯も仕入れておこう。

 

 

 

 ターミナルのそばにはラウンドアバウトがあって、そこに面して赤旗や「トンカチとカマ」を描いた立て看板が立っている。キルギス語の部分は分からなくても、大祖国戦争78周年の記念であることは理解できる。それにしても、未だに「トンカチとカマ」とは、市場経済化の果てに貧しくなってしまった現状への反感があるのだろうか。

 

 

 

 ラウンドアバウトを囲むようにして、軽食堂併設のスーパーマーケットがあり、モスクや小さな公園もつくられている。公園内の土盛りの上には大きな騎馬像があった。説明版には、17世紀から18世紀にかけてのキルギス・カザフ連合の首長の像だと書いてある。雪山を背後にしているので、とても偉大な人物のように見える。

 

 

 スーパーマーケットはナロードヌィという、これまたソ連時代を思わせる名前であった。軽食堂に入り、オロモとシャウルマを頼む。まずオロモに口を付ける。これは具の少ないお好み焼きのようなもので、はっきり言ってまずい上に見かけよりはるかに量が多い。半分以上を食べ残し、シャウルマの方はリュックサックに突っ込んでバスターミナルに戻った。

 

<18 ブラナ村 に続く>

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