中央アジア巡礼行記 2023年

16 タシケント(5)

 

 

 午後はチョルスー・バザールの北側に広がるは旧市街へ行こうと思う。バザールを出て、斜路を周囲にめぐらしたサザエ堂のような建物を見ながら幹線道路をしばらく歩く。

 

 

 その大通りに面して小さいながらもレンガ造りの瀟洒なミナレットを備えたオヒン・ジズル・モスクがあり、その脇から路地に入る。この路地はうねうねと住宅街の中を西へ向かって走り、別な大通りに抜けているのだ。

 

 

 

 

 旧市街とは言え、住宅の前面には相変わらずガス管が通っており、美しい街並みとは言い難い。そして、街並みの背後には巨大なイスラム文化財団の建物が建設中である。ガラス張りの現代建築よりははるかにマシではあるが、周囲を睥睨するような建築であることに変わりはない。

 

 

 路地から大通りに出ると、電柱の立て方が違うことに気がついた。地面にコンクリートの杭を打ち込んで、その杭に木の柱を結わえ付けているのだ。この方が、掘立柱にするよりも長持しそうではある。その電柱の下に1台の古い自動車が止められていた。旧ソ連製のマスクビッチである。

 ウズベキスタンでは未だにラーダやジグリといったソ連時代の車が走り回っているのだが、マスクビッチは比較的珍しい。そもそも、30年前ですらビンテージものだった車が、さして良好な整備状態とも思えないのに、今でも普通に使われていること自体が驚きだ。

 一方で新しい自家用車はほとんどが十字マークのシボレーである。いずれにしろ、日本以上に白い車の割合が高い。

 

 

 

 

 さて、大通りを300メートル程北上して、再び路地へと歩を進める。東西方向に流れている小川に沿った小道を行く。元はモスクだったのか、ドームのついた薄緑色の建物があったり、結婚式の飾りつけをした家があったりと、なかなか味わいのある小径である。このあたりは地図によればヴェネツィアンスカヤ・マハッリャと言うらしい。しかし、川面はゴミだらけで異臭が漂っているから、ヴェネツィアを名乗るのは少々おこがましい気もする。

 

 

 

 東側の大通りに抜けると、ちょうどハスティマムというモスク、廟、神学校のコンプレックスの前に出た。

 まず、通りに面したハズラティ・イマーム・モスクに入ってみる。下駄箱のそばに服装規定の絵が掲出してあって、半袖、半ズボンの男性にはバツ印がついている。長袖、長ズボンにはウズベク語で「Mumkun」とある。こんなところにアラビア語由来の言葉が使われているのだなと思う。自分の服装は半袖、長ズボンだから、可なのか不可なのか分からないが、カバンから長袖シャツを出して羽織ってから玄関の扉を開けた。

 

 

 

 建物内部は大変に広いホールで、ほとんど参詣者はいない。片隅で祈っている老人の声がかすかに響いてくるだけである。じゅうたんに座り込んで、暫らく休憩させてもらう。

 

 

 

 

 

 

 ハズラティ・イモム・モスクの背後に回るとマドラサが取り囲む広場となっていた。レギスタン広場のように対称性を意識した配置ではない。どの建物も平屋にすぎないので、ドームやイーワーンが妙に飛び出して見える。そのドームも薄い水色なので、全体に素寒貧とした印象を受ける。

 

 

 

 

 敷地の奥に少し離れてハズラティ・イマームの廟があった。奥には他の人達も合葬されていて、生没年がイスラム暦と西暦で書かれてある。西暦の方を見ると、皆20世紀の人達だった。

 

 

 ハスティマムの諸施設はどれも無料なのだが、一番小さな建物だけは有料であった。しかも、4万スム(400円)と、この国にしてはかなり高額の入場料を徴する。せっかくここまで来たのだからと、料金を払って建物内に入ってみた。中にあったのは、チムールがサマルカンドにもたらしたというコーランであった。

 1ページが50×60センチメートル程もある大きな本で、そこに12行だから文字もかなり大きい。材質も紙ではなく絹のような光沢のある布地であった。見るべき展示物は、国宝級とはいえどもこの本しかなく、他の部屋には各国語に翻訳されたコーランが並べられているだけである。3分冊になった岩波文庫も置いてあった。

 

 

 

 

 

 チョルスー市場に戻り、探索を再開する。市場に戻ったのはお腹の具合がおかしくなってきたからでもあって、トイレが確実にある所にいたかったのである。案の定、急速に便意を催してきた。ちょうどゴールド・バザールと書かれた建物があるので入ってみる。

 ここには金に限らず宝飾品の店ばかりが入っており、青く光るエスカレーターさえ動いている。トイレもさすがにきれいであったが、料金は他の場所より2000スムも高い5000スム(50円)であった。もっとも値段だけの事はあって、トイレットペーパーは上質なものが備え付けられていた。しかし、荷物を掛けられるフックや棚がない。一般の公衆トイレなら仕切り壁の高さが1メートル程度しかないから、そこに置いておけば済むのだが。

 

 

 

 

 すっきりしたところで、円形ドームの南側の一角を徘徊する。一段低くなったこのあたりは、服飾・雑貨の市場である。午前中に通ったときには、まだほとんど店開きしていなかったのだが、午後も遅くなってきたこの時間には結構な数の買い物客が行き交っている。店といっても垂木とビニールシートやトタン波板で屋根を組んだバラックに過ぎないけれども、通路は2列あって延々と伸びている。結局この通路は、クケリダシ・マドラサ下の大通りまで続いていた。

 

 

 

 大通りに出て見ると、歩道にも荷車に商品を満載した店が並んでいた。通り過ぎる婦人たちはヒジャブをかぶった人も多く、シルクロードのイメージにぴったりだ。

 

 

 

 入場料1万スムを払って、クケリダシ・マドラサに入場する。中庭の花壇がきれいに整えられていて、観光客はその中庭を見下ろす2階の通路を1周することができる。ここは現役のマドラサで、部屋には教室のように机が並んでいたり、ドアの外に脱いだ靴が沢山転がっていたりしていた。

 マドラサの隣にはモスクがある。折しも夕刻の礼拝時間で、短くも鋭いアザーンが響き渡る。呼びかけに応えて走ってくる人もいるけれども、集まった信者の数は少ない。

 

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