慶州回想の記 2019年 1987年

7 慶州(4) 

 

 午後は、市街の東側にある史跡を訪ねよう。線路の下をくぐって反対側へ出る。そういえば昨夕は重厚なディーゼル機関車のエンジン音が街なかまで何度も響いていた。

 

 

 

 さて、線路の東側にも古墳はある。仁旺堂古墳群と言い、3世紀から6世紀中ごろと比較的古い時期の古墳なのだそうだ。残念ながら残っているのは2基だけしかない。

 

 

 

 だだっ広い皇龍寺(ファンヨンサ)の敷地内に入る。現在も発掘中のところもあるのだが、建物の基壇が残っているだけで、往時を偲ぶにはかなりの想像力を要する。

 かつてはここにも村があったから、これ以上の遺構など残っていないのだろう。

 境内は南門、中門、木塔、金堂、講堂が一直線に並んだ配置で、講堂と中門を結んで回廊が巡っていた。また、回廊内には他に東西の金堂と、東に鐘楼、西に経蔵が建てられていたという。

 

 

 一方、境内には皇龍寺文化館なる立派な建物が建っている。入場料を3000ウォンも取る割にはたいした展示はなく、九重木塔の模型と光る大仏の頭くらいしか見どころがない。

 

 

 

 皇龍寺の跡を出て、北側に隣接する芬皇寺(プナンサ)の境内に入る。ここは現役の寺で、境内に置かれたスピーカーからマイクテストに続いて民謡のようなお経が流れてきた。木魚を叩いているから、お経であることは間違いない。

 境内には黒っぽい三層になった石積みの塔があり、狛犬ならぬ狛オットセイが四隅を守っている。(オットセイは2頭だけ)

 この石像、ずいぶんトロけてしまっていて、オットセイなのかどうか微妙なところではある。

 

 

 

 暑い暑い道を西に歩いて、中心市街に戻る。持ち歩いていたゴボウ茶がたちまち空になった。

 

 

 

 

 小腹もすいたので、喫茶店に入る。隠れ家的な裏道にあって、今風のお洒落な内装である。メニューのハングルを読み解いてアールグレイミルクティーとスコーンを注文する。スコーンはチェリー入りで甘くてサクホロ。クリームなどはつかない。

 

 

 

 陽が陰って少しは涼しい風が吹いて来た。路東洞古墳群の木陰で休憩。地元のお二人さんもちらほら見える。いずれも男の方が黒い傘を持っているのは日よけ用なのだろうか。

 

 

 夕飯は「ティンドン天丼」なるチェーン店に入る。天丼は日本食と見なされているのか、店内の壁には富士山が描かれている。

 天丼自体は扇形に広げたエノキ茸をはじめ野菜、海老天に温泉玉子ものったものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕暮れ時、もう一度、月精橋を見に行く。下流の飛び石を使って中国人の女の子たちが「ちょきちょきばさみ」をやっている。じゃんけんの掛け声が「ハンニャンシンコー・ワイワイワー」と夕焼け空に響き渡る。

 

 

 

 ライトアップされた月精橋を堪能した後は、瞻星台へ行く。月精橋はまだあまり知られていないのか、夜景を見に来る人は少なかったが、瞻星台は内外からの観光客で大層賑わっていた。瞻星台自体、ただの石積みの塔で眺めるだけの遺跡だから、夜に来た方が幻想的で雰囲気がある。

 

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