慶州回想の記 2019年 1987年

8 慶州から金海空港へ 

 

 

 慶州の朝、皇吾洞古墳群の中を通って、大陵苑西側の一角を散歩する。このあたりは民家が欧米人観光客向けの宿泊施設に続々と建て替えられている。豪壮な木組みの2階家ではあるが「伝統的」な様式とは言い難い。

 

 

 

 それらに混じって崇恵殿のような祠廟がある。門を眺めていると神官のような人が入って行った。韓国の時代劇でも見ているようだ。

 

 

 同じ一角には、瓦屋根のキリスト教会もある。慶州にはキリスト教会が比較的少ないように思っていたのだが、建築様式の規制で分かりにくいだけなのかもしれない。

 

 

 川を暗渠化したと思しき曲がりくねった路地が家並みを縫っているのを見つけた。こういう道を見つけると無性に辿りたくなってしまう。マンホールには新羅式の王冠がデザインされている。このマークは他でも使われていて、見る度に「祟」の文字を連想してしまう。 

 川跡の路地は100メートルほど先で、大陵苑に接した商店の下に消えていた。

 

 

 歩き回っているうちに、小学校の始業時間を告げるチャイムが聞こえてきた。曲は「乙女の祈り」。遅刻してくる子どもがけっこういて、どいつもこいつもダラダラと歩いている。この子たちが大人になる頃は、きっと韓国経済も失速しているのだろう。

 

 

 昨日の朝食が美味しかったので、今朝も城東市場の同じ店へ行く。おかずは少し違っていた。

 

 

 

 

 太宗路に戻り西へ歩くと、古墳群の中に法蔵寺がある。本堂の扉が少し開いていて、ご本尊がチラと拝める。唇に紅を差した、妙になまめかしいお姿である。お経は遊んでいるかのような節回しで全然ありがたみがない。

 

 

 

 さらに西へ行き、バスターミナルが近づくと、沿道の商店が瓦屋根になった。ガソリンスタンドやスターバックスまで、今朝方に見たアコモデーション群と同じ擬韓屋様式である。

 

 

 この街のバスターミナルは二つあって、市外バスターミナルと高速バスターミナルとが隣接している。普通に考えると「市外」からは近郊への路線が、「高速」からは長距離の路線が出ているように思われるがそうではない。市外からも長距離の高速バスが各地へ出ている。というより、こちらの方が「高速」よりも路線が充実している。自分が乗る釜山西部(沙上)ターミナル行きも「市外」の方に発着している。

 バスに乗る前にトイレに行っておこう。「市外」のトイレは利用客が多いだけにあまりきれいではない。発車までまだ時間があるのを幸い、「高速」の方に行ってみる。こちらは入口こそきれいであったが、全体に設備が古く、トイレットペーパーも入口でちぎって持ち込む方式であった。

 

 バスはターミナルを発車すると街角を2回曲がって、皇南洞古墳群を望みながら走り、瓦屋根のゲートをくぐって高速道路に入った。宮脇俊三が慶州に来たときの逆ルートである。

 前を金海空港行きのバスが走っている。あちらに乗ってもよかったのだが、空港直通バスは料金が高い。ところで金海は韓国式のローマ字表記ではGimhaeとなる。ターミナルの掲示でこの表示を見たときは「銀蝿」を連想してしまった。Gimhaeの文字から「キメ」の発音を導き出すのはなかなか困難である。

 

 慶州を出てしまうと高速バスの車窓は退屈であった。しばらく山中を走り、蔚山近辺では高層ビルと新幹線の線路が見えた。かなり内陸を通っているらしい。

 釜山が近づくと洛東江の東岸に沿う。そのまま沙上まで行くのかと思ったら、一旦西岸に渡ってしまう。金海は直進とあるからどこかで路線が交差しているのだろう。

最後は高速を降り、4車線の対向車線を斜めに横断してから準工業地域のような町工場の中を1周して、釜山西部ターミナルに着いた。

 この運転手、制服に模範ベストドライバーとあるが、シートベルトをしたのは高速道路部分だけであった。

 

    ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆

 

 

 35年前は、慶州を出た後、大邱、栄州と宿泊し、大邱では民防訓練に遭遇した。

 

 

 京釜線の普通列車に乗って、若木(ヤクモク)などという小駅に降り立ったりもした。何もない駅周辺にキリスト教会だけが異国を感じさせた。

 

 

 慶北線の店村からY字型に伸びる加恩線、聞慶線というローカル線に乗った。両線の分岐駅は佛井(プルチョン)という駅であるが、実際に線路が分かれるのはその先の鎮南信号所であった。両駅間はΩ型にえぐられた渓谷に沿って走る絶景であった。

 両方の線に乗ったので、この区間は4回も通って景色を堪能したのだった。

 

 

 分岐駅の佛井は周囲に人家もないような寂しい山間の駅であった。駅員と地元のおっさんが何やら話し込んでいる。この二人、駅舎の写真を撮ったら、あからさまにこちらを見て何かささやき合っていた。当時の韓国では鉄道は撮影禁止であったが、駅舎を外から撮る分にはかまわないと韓国大使館で確かめてあった。しかし、そんな国情だから、カメラを持つこちらを見る視線は鋭かった。

 

 

 最終日には中央線のムグンファ号に乗ってソウルに戻った。どこかで薬飯(ヤクパム)という駅弁を買って食べた。甘い味付けのおこわだった。

 

           ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆

 

 

 釜山西部ターミナルはいわばサブターミナルであるが、アップル・アウトレットと一体化していて規模は充分に大きい。2階にはフードコートもある。そのフードコートでパッピンズ(かき氷)を食べた。安直な食べ物の割には、7000ウォンもする。しかし、値段にふさわしい内容とボリュームであり高いとは感じなかった。あんこ入りのもち、きな粉、あずき、アーモンドなどがのっている。

 

 

 さすがにかき氷だけでは昼食にはならないので、街角のトゥー・レ・ジュール(チェーンのパン屋)で栗とクリームのジャンボパンを買い込んで、沙上駅から空港まで金海軽鉄に乗る。2両編成で各車両に扉が2つだから小さい車両に見える。しかし、内部は意外と広かった。自動運転なので前面展望も良い。

 

 

 

 金海空港の国際線ターミナルは出発フロア全体が大きな屋根に覆われていて、明快なプランと手ごろな大きさで大変好ましい。空港にもトゥー・レ・ジュールがあったので、追加のチェスナット・ブレッド(これは明日の朝食用)を買っておく。さっき買ったジャンボパンの方は搭乗待合室で食べた。

 

 今回は韓国の中でも日本に近く観光客も多い地域を旅行したせいか、人間か機械のどちらかが日本語を喋ってくれた。反日的な感情を煽るような輩は、ごく一部なのだろう。

 この旅行で鉄道に乗ったのは、韓国でも日本でも空港アクセスのわずかな距離だけだった。最近、この手の旅程がとみに多くなったなと思う。

 

[慶州回想の記 おわり]

<うさ鉄ブログ トップページ へ戻る>