慶州回想の記 2019年 1987年

6 南山

 

 

 一夜明けて、6時過ぎ、今朝は昨日と違って空気が乾燥している。遠くの山の緑も鮮やかだ。今日は南山に登ろうと思う。それならば、まず朝ごはんをきちんと食べなくてはならぬ。城東市場の食堂街へ行ってみる。まだ7時にもならない時間故、お客の姿は見えないが、店は準備万端整っている。どの店もおかずをカウンターに並べているので、品定めしながら一周して、比較的辛い物が少なそうな店にした。

 

 

 野草のような歯ごたえのある葉物野菜の和え物、固めの豆腐、松の実とナッツの和え物、沢ガニのキムチなどなど、皿に山盛りにする。ご飯は少な目、魚のだしがたっぷり効いた味噌汁、歯ごたえだけでなく味もしっかりとしたものが多い。食後にはヤクルトがつく。〆て7000ウォンで充電完了だ。

 

 市場の前から市内バスに乗る。南山への登山口はいくつもあるのだが、今回は西麓の三陵から登って、東側の統一殿に下ろうと思っている。南山の西側を走るバス路線は500番台である。系統がいくつもあるのは終点や経由地が少しずつ違うらしい。

 ちょうどやって来た505系統に乗る。このバスは昨日歩いた皇理団キルを南下し、皇南洞古墳群に沿って走った。その先も、五稜、鮑石亭と過ぎて、三陵バス停で下車した。

 

 

 三陵も慶州の重要史跡のひとつであるにもかかわらず、バス停の周辺には案内板ひとつなく、松林の中に土の小径が伸びているだけである。その小道をたどると、程なく三連の円墳が現れた。ここにもシマリスがいる。

 その先で道は二手に分かれるので左の道をとる。材木を敷いた道になるし、降りてくる人も登っていく人もちらほらいるから、道を間違えているわけではなさそうだ。さらに先へ行くとようやく案内板が現れた。

 

 

 

 

 岩床を水が舐めて行くような道を登っていくと、上仙庵(サンソンアム)にたどり着いた。案内板にエルミタージュとあったとおり、ここは山中の隠れ寺だ。しばし休憩。

 

 

 さらに上ると、摩崖仏とその向こうに兄山江の谷を望むところに出た。仏像は南面しているのか、ここからは慶州の市街は見えない。

 

 

 

 

 もう少し先まで行くと眺めの開けた場所が2カ所あって、そこからは古墳に囲まれた街並みを望むことができる。慶州の古墳は日本の巨大古墳に比べたら随分小さいと思っていたけれども、こうしてみると中小のビルと比べてもかなり大きい。それらの中で、昨日訪れたチョッセム遺跡館のドーム屋根が異様に目立っている。

 ここが登山道の白眉であって、標高468メートルの金鰲山頂からは全く展望が効かない。

 山頂からはジープででもなければ通れないようなガタガタの車道を歩く。そういえば昔の地図には南山スカイウエイという観光道路が記されていたのを思い出した。この道はそれを廃道にした跡なのだろう。確かに聖山にドライブルートは不要である。

 

 

 しばらく歩いて行くと、南側への展望が開けた。背後には大きな岩があり、三花領というらしい。あたりにはねむの木の花が咲いている。

 

 

 あとは車道跡をどんどん下るだけだった。こちらの登り口にはゲートと詰所があり、案内図も置いてあった。麓の村の様子は、道のカーブと言いガードレールと言い、日本の村とよく似ている。家は屋敷と言ってもいいくらい豪壮で、レンガ壁に囲まれているあたりが違うと言えば違う。韓国には一般的に青いトタン屋根の家が多い様に思うが、慶州は黒い瓦屋根が一般的だ。

 

 

 

 村の中を進んで行くと蓮池があって、月見台のような建物が突き出している。門を見ると曹渓宗無量寺とあり、境内には東京会館のシャンティを思わせる仏塔も建っている。

 

 広くて暑い統一殿の参道を通ってバス停へ行き、10番のバスで市内へ戻った。昼食はIsaacという店に入った。ハングルで「ベイコンポテイトピジャ」と書いてあるのを注文する。「スバク・ブレンディド」というスイカのジュースも飲む。今風の店でお客は女子ばかりだった。

 

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