慶州回想の記 2019年 1987年

5 慶州(3) 

 

 

 

 

 大陵苑の南門を出る。正門はこちらだから門前は観光用に整備されていて駐車場などもある。韓国寺院風の建築に納まったセブンイレブンやスターバックスがあるのもこのあたりだ。大通りの向こう側は瞻星台や月城に続く遺跡公園で、広々とした空間に沢山の観光客が行き交っている。

 

 

 そちらへ行く前に、大通りを歩いて皇南洞古墳群を見に行く。円墳に違いがあるようには思えないのに、この古墳群は街はずれの原っぱに放置されているだけで、荒れた感じがする。参観者も全くいない。

 

 

 引き返して慶州元祖コングッという店でコンククスを食べる。白い豆乳スープの麺でゆでたまごやキュウリがのっている。胃に優しい味なのがありがたい。値段も7000ウォンと手ごろだ。

 

 

 

 おなかがふくれたところで、大通りを渡って遊歩道を進んでゆく。慶州のシンボルともいえる瞻星台を横目に見て、鶏林に入る。鶏林は新羅発祥の聖地のようなところではあるが、ただの樹林だからべつに面白いところではない。ただ、ここからは奈勿王陵などの古墳の向こうに瞻星台を望めた。このアングルはあまり知られていないように思う。

 ところで瞻星台の読み方をずっとチョソムデだと思っていた。正しくはチョムソンデであって、35年間ずっと間違えて覚えていたのだった。

 

 

 鶏林に隣接する月城跡に入る。観光ガイドには必ず紹介されている名所のひとつなのに、どういう訳かこちらに来る人はほとんどいない。

 月城の城壁に上がると、北側に広がる平坦地の中に瞻星台が見える。手前の方を横切る工事用の囲いが目障りだが、これは堀などを復元するのだという。一方、郭内は王宮址の発掘中である。新羅が辰韓諸国のひとつだった時代ならともかく、半島の過半を領有した国の王宮としたら随分とせせこましい。だいたい、新羅時代の条坊はどの程度だったのかもよく分かっていない。新羅大鐘の近くには直行街路が整った復元鳥観図がでかでかと掲げてあるが、こんなに立派な結構が整っていたとは信じられない。街区の配置は千鳥状だったという説もあるくらいで、そうだとすると随分と使いにくい都だったのではないだろうか。

 

 

 

 林の中を歩き、かつて氷室だった石氷庫を見て、城山の反対側に降りる。こちらから見た土塁の曲線は江戸城を思わせる。

 車道の反対側には蓮池がある。ここの蓮は午後でも花が咲いている。

 

 

 

 蓮池の先にある国立慶州博物館に入る。入館料が無料なのは立派だ。展示品の中に顔の落書きのある木簡があった。似たようなものを平城宮址の展示館で見たような気がする。

 新羅と言えば金の装飾品と古墳のイメージだけど、金製品が作られたのは初期のうちだけで、国が大きくなってからは金も古墳もないのだとか。資源が枯渇したのか、対外戦争に忙しくて余裕がなくなったのか。隣国のこととはいえ、どうもこの新羅という国、実態がいまひとつわかりかねる。

 広い敷地の中には本館のほかに月城館という展示館もできていて、入ってみると雁鴨池の模型が展示してある。雁鴨池へは後で行く予定だ。

 

 

 

 博物館を出て月城の裏手を川沿いに歩いてゆく。城に隣接した地にしては、どうという事のない鄙びた道である。家並みの中に大仁寺(テインサ)という寺がある。閉ざされた門には絵が描かれている。

 地図を見ると、大仁寺の先に仁王堂寺址という場所もある。こちらはただの空き地であった。

 

 

 道を進んで行くと月精橋が見えてくる。橋詰めに櫓門を構えた豪壮な屋根付き橋が「復元」されている。新羅の時代にこんな建築があったかどうかはともかく、被写体としてはすばらしい。

 橋の北岸には校洞地区という一角もあって、そちらからチマチョゴリ姿の一団がやって来た。婆さまから幼児まで女ばかりの集団である。しかし、何かがおかしい。チマチョゴリを着た女性というのは、凛とした美しさがあるものだが、この人たちにはそれがない。聞こえてくる言葉からすると、中国からの観光団らしい。

 

 

 校洞地区は最近になって整備されたらしく、歴史的町並みといっても映画のセットのようである。そぞろ歩く観光客の姿は多いのに、肝心の郷校までは誰も足を踏み入れない。

 この地区には慶州名産である法酒の醸造元がある。店頭の見本を見ると五合瓶程度のものが安い方で34000ウォン、高い方はその倍以上もする。美味しい酒だと言うが、半升でも飲みきれないのであきらめる。

 

 

 さて、まだ時間は早いのだが夕飯を物色しようと思い、皇理団(ファンリダン)キルという通りを歩く。この通り、慶州では若者に人気の通りという事になっている。

 しかし、道には歩道もなく、並んだ商店もわざとらしい感じで入りたいような店がない。

 結局、中心街まで戻り横丁にある「ミョンドン・チョルミョン」という店に行った。人気店らしく店の外には空席待ちの家族連れなどが立っていたが、一人の自分はすぐにカウンターに通された。おでんチョルミョンなるものを注文する。麵の上に魚のすり身の天ぷら、いり玉子、春菊がのっていて、沢庵漬けがついてくる。韓国でも結構、沢庵漬けは食べられているようだ。値段は昼と同じ7000ウォン。味はともかく、柱は鏡張りで自分の姿が映っているし、至る所に監視カメラがあって九分割の映像が客からも見えている。なんだか落ち着かない店内であった。

 

 

 

 さて、初夏の長い一日がようやく暮れかけてきた。瞻星台の前を通って、雁鴨池へ向かう。

 瞻星台の周囲は花壇が整えられていて、夕暮れの光線に花びらがひときわ鮮やかに見える。そして遊歩道には雁鴨池の方向へとたくさんの人が歩いてゆく。ライトアップされた離宮の姿を見るためである。

 雁鴨池の入口には入場券の自動販売機がある。しかし、その前には係のおばちゃんたちが陣取っていて、客の手からお札をもぎ取っては券売機に投入して入場券を渡している。駐車場にもこの時間を目当てに続々と観光バスがやってきているから、こうでもしないと入場者をさばききれないのだろう。

 

 

 

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 雁鴨池には35年前にも来た記憶がある。あのときはただひたすら暑かった。

 安康駅で気分が悪くなり、次の上り列車で慶州に引き返した。結局、さっき出立した旅人宿に舞い戻り、あと二晩お世話になることにした。

 

 

 K君が近くの医者に連れて行ってくれた。いわゆる町医者で、待合室も診察室も日本のそれとよく似ていた。最後に名前を訊かれて、K君が「○●さん」と答えた。診察券や処方箋の姓名欄には「さん」まで名前の一部として書かれていた。

 そのあと、今日と同じように古墳公園、半月城、瞻星台、雁鴨池と歩いた。K君は親切に案内してくれたのだが、病み上がりの身には堪える道行きだった。

 

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 今晩の雁鴨池は日が暮れて多少は涼しい。苑内はかなり広く、それほどごった返した感じはしない。自然と時計回りに人の流れができているし、撮影ポイントでは互いに譲り合うなどして和やかな雰囲気だ。光の当て方が上手だし、緑青色に塗られた木組みは人工的な白色光によく映える。 

 

<6 南山 へ続く>

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